別れ
100話まできてしまいました。
よくここまで書いたものです笑
ここまで読んでくださった皆様にはいつもながら感謝しております!
貴重なお時間をお使いいただきまして、光栄の至りであります。
では、始まります!
私たちはフィオ王女に別れを告げ、アーバン国の王宮を後にした。
『クリスちゃん、いつでも来ていいんだからね。私たちはずっと友達なんだから』
王宮を出る前に、フィオ王女は涙ながらに言った。
クリステル様は頭を下げた。
『民を護る王女として、私たちを匿うことがどれほど危険なことか・・・・・・この恩は決して忘れません、ありがとうフィオちゃん。ありがとう』
『クリスちゃん』
『全てを終えたら、また遊びに来るね』
『――うん、今度はお土産持ってきて』
『うん』
彼女たちは抱きしめ合い、何度も互いの頬を擦りつけて別れを惜しんだ。
ヴェルガは正規の手続きを踏み、世界規模でクリステル様を指名手配している。そのクリステル様を、一国の王女が匿えば非難は免れないだろう。
心優しい王女とその付き人たち、ひいてはアーバン国の民全てに、これ以上の危険を冒させるわけにはいかない。
別れの挨拶を済ませた私たちは、フィオ王女の用意してくれた護衛と車に乗り込み、港町へ向かった。
しばらくは舗装された道路を走っていたが、急に振動が激しくなった。田舎道に出たらしい。先刻まで車窓から見えていた灰色の建物は消え、代わりに点々と見える畑と彼方で陽ざしに映える山並みが見えた。
一度も訪れたことのない国であるが、田舎道というのはどの国でもある程度は似るものであるらしい。自然の多い景色は遠い故郷を思い起こさせた。
朝露に湿った枯葉の匂い、山から吹く底の白い風、古い家屋の匂いと、夕げの香り。
――おっ母
先の見えない未来が不安であるためか、母の顔が思い出される。
私は目をつぶる。心細さから母恋しやとは、焼きがまわった。
パン、と両頬を叩くと、思っていたよりも大きな音が出て全員が私に目を向けた。
「すまない、気合を入れた」
ルリが目を余計に細めて深々とため息をつく。
「アヤメちゃん色々考えすぎ、今からそんなんじゃ最終決戦の時に潰れるって。あんまり自分に厳しすぎると、解放の時に自然と第二段階になっちゃうよ」
「心得ている」
ルリはふん、と鼻で笑った。
「本当かなぁ~――ねえクリステルさん、アヤメちゃんって重いでしょ?」
ルリは言いながらクリステル様の頬を指でつついた。急に矛先を向けられたクリステル様がキョトンとしている。
目上の人に無礼なことをするなと、ルリを睨んだが一向に動じなかった。
私の視線に気づいていながらもこうしたことを続けるとは、肝が据わっているというか、我儘というか。
「ルリ、クリステル様に絡むな」
声に出して窘めると、ルリは不敵な笑みをこぼして私の膝の甲を指先でなぞった。そんなことをされるとは思っていなかったので、驚きとあまりのくすぐったさに体が飛び上がってしまった。
勝ち誇ったようなルリの顔を見て、私の顔から水が砂に染み込むが如く表情が消える。
「アヤメちゃんの愛って重そうだからさ、そういうので相手まで潰しちゃうことあるんだよね」
クリステル様はふっと笑みをこぼして言った。
「大切に想われることが、苦しいはずありません」
予想外の答えだったのか、クリステル様の包み込むような笑みに驚いたのか、目をしばたいたルリは頭の後ろで手を組んで座席にもたれた。
「忘れてたよ、クリステルさんも重い方だったね」
不思議と語調が嫌味たらしく聞こえなかった。まるで自分の言葉が覆されるのを望んでいたような、そんな言い方だった。
「私は重いですよ。ルリさんも覚悟してくださいね」
クリステル様がルリの肩に手を回し、そっと抱き寄せた。ほふっ、と満足げに漏らしたルリはされるがままである。
クリステル様。王宮を出る前にもう一度だけ医者に診てもらったが、病の類ではないと診断された。あれから気を配っていたが、今のところ体調に問題はないようだ。
そう考えていると、ソニアの手が伸びてきて私の肩を抱いた。
「・・・・・・なんだこれは?」
「え? だめ?」
「なにをやるなら今、のような顔をしている」
「あ~ん、フラれましたクリステル様」
そう言ったソニアは席を移動してクリステル様に抱き着く。よしよし、と頭を撫でられてソニアも満足そうであった。私が間違っていたのだろうか。
・・・・・・・・・・
「少し、寄り道をします」
しばらくしてクリステル様は運転席に声をかけた。
たどり着いたのは、私たちがシュタインの襲撃を受けた村であった。異国の傭兵集団とヴェルガ兵を容易に招いてしまったため、今や村はアーバン国の兵士で溢れて厳重に警戒されている。
変装用の衣を纏って車を降りると、天気雨が降った。向かう先の村は曇天の下にあるが、彼方の空は黄金色が侵食しているのが見えた。
「行きましょう」
そう言ったクリステル様に続き、私たちは歩き出した。
霧のような雨は差す傘の隙間を抜け、衣にべったりと張り付いてきた。道を行けば何人かの村民とすれ違ったが、彼らは一様に表情が重かった。暗い空と雨に、根こそぎ気力を吸い尽くされたかのようである。
鬱屈とした村を抜け、一軒の家の前にたどり着いた。村はずれに建っているこの家は、背の高い木々に囲まれているため、常に影が寄り添う寂しい場所にあった。
組積造の家が多い中、ここは土壁に藁葺き屋根である。クリステル様の前で無残にも命を奪われた、リラとその妹の家だ。
主を無くした家はしんと静まり返っていて、暗い穴の底に佇んでいるようであった。
その時、家の裏手からアーバン国の兵士が一人現れた。私たちを見ると敬礼した。
「お待ちしておりました、こちらです」
兵はそれだけ言うと、再び家の裏手に歩き去っていった。
裏手に行くとそこには、畑であるのか草地であるのか判別のつかないものがあった。何度か土をいじった形跡が見て取れたので、恐らくはこれから畑にするつもりだったのだろう。あの姉妹はここで懸命に生きていたのだ。
水にぬれた土の匂いを嗅ぎつつ、そう思っていると、見つめた先に先刻の兵士が立っていた。そこには二つの墓標があった。
「無理を言って作っていただきました」
そう言ったクリステル様は地に両の膝をつき、墓石へ祈りをささげた。私たちもそれに倣い、亡き姉妹を想いつつ祈った。
木の隙間を縫って風が吹いた。クリステル様が肩に乗せていた傘が舞い上がった。
後ろで祈っていたソニアがすぐに飛ばされた傘を取り、クリステル様に手渡そうとしたが、彼女は雨など意に介さず、ひたすらに墓標と向き合っていた。
ソニアはそんなクリステル様の傍らに立ち、傘で雨を防ぎ続けた。
亡き姉妹を悼むその姿は、墓地を離れた後も私の心に残り続けた。
ぬかるんだ土の上に膝をつき、雨に晒されながらも、クリステル様の美しさは最後まで崩れることなく残った。整った鼻梁も、しっとりとした頬も、何もかもが花の如く美しかった。祈る姿勢一つとっても気品に溢れていた。
だからこそ、暗く沈んだクリステル様の表情は痛ましかった。
もうこれ以上、この方を苦しませたくない。私はその一心だった。
車へ戻る途中、村人たちの会話が聞こえてきたのはその時だった。
『あの妙な連中が来なければ、リラちゃん達は死ななくて済んだんだ――全部よそ者のせいさ』
聞こえた時、思わず肩が揺れた。
すぐに前を歩くクリステル様を見たが、凛々しく背を伸ばしたまま、静かに歩を進めていた。
『違う、あの連中のせいじゃないさ・・・・・・知っていながら何もしなかった俺たちに責任はある。あの時、ほんの少しでも勇気があれば助けることができたかもしれないんだ』
別の誰かが、そう言った。
・・・・・・・・・・
気が付くと私たちは村を抜け、車の前に戻ってきていた。
雨はもう上がっていて、陽ざしの逆行で浮かび上がったクリステル様は、未だ凛とした姿のままであった。
「それじゃ、私は行きますね」
車から必要分の荷を取り出して、ソニアは言った。
彼女が向かうというアルダの森は、ここより西の方角にあるという。アーバン国の西側は未開拓の地が多く、太古からの姿を保っている場所も多いらしい。
せめて途中までは車で送る、という護衛の進言をソニアは断った。
恐らく向かう先の森は現世と聖域の狭間に存在しているという。聖域は大木のように地に根差すのではなく、先刻の天気雨のように気まぐれな現れ方をするはずだと言った。
「車で行けばそれが見つけられずに通り過ぎちゃうかも、気配みたいなものがあるから」
ソニアはにっこりと微笑んで言う。
「だからしっかりと自分の足で歩いていかなくちゃ。私の想いが通じれば聖域は向こうから現れるはずなんだよ、鍵になるのはこのファルクスの剣。光のエルフ、フィンデルさんがそう教えてくれたんだ」
覚悟を秘めたソニアの姿は、どこか特異な現象の前触れのように映った。
エルフと呼ばれる種族がいかなるものか、私にはわからない。だが、ピアを失って尚、姿勢よく通る声で強くなりたいと語った彼女は、開花する直前のような、そのような想像を持たせた。
「ソニア、頼みましたよ」
クリステル様がソニアの手を包み込んで言った。
「はい。必ず必要な時に馳せ参じます」
「ヴェルガでの落合場所は伝えたとおりです、わかりますね?」
「もちろんです、もう道には迷いません。アヤメちゃんにルリちゃん、クリステル様を頼んだよ」
私たちは頷きを返し、彼女の無事と健闘を祈った。
それじゃ、と言って歩き出したソニア。
後姿であるため、どのような表情をしているのかはわからなかったが、心に宿した火は清廉であることは伝わってきた。
「ソニア」
私の言葉に彼女は振り返る。
「待っているぞ」
満面の笑みで頷き、そうして森の奥へ消えていった。
クリステル様に肩を抱かれ、自分が震えていることが分かった。
「大丈夫だよ」
気遣うクリステル様の言葉であったが、私の体は不安から震えていたのではない。ソニアの進化する姿がまざまざと浮かんだため、剣士の本能である滾りを抑えきれなかったのだ。
「さあ、私たちも行きましょう」
私たちは再び車に乗り込み、港へと向かった。
・・・・・・・・・・
クリステル達と別れたソニアはふと森の中で足を止めた。
森には既に春の匂いが混ざり始めていた。
肌寒い風はいつの間にか消え去り、足元に暖かな空気が漂っている。緑苔に覆われた石は濡れた表面を光らせ、木の枝からは新芽が色鮮やかに映えている。胸にいっぱい息を吸い込むと、檜の香りが鼻腔を突いた。
ソニアは鞄から口紅を取り出した。
銀色のキャップを外すと、中からは果実のような色をした口紅が顔を覗かせた。
それをそっと唇に這わせていく。
ソニアが手にしているのは、亡きピアの口紅であった。自分が持っていたものは、最後の別れの際、ピアの手に握らせてきた。
ピアが初めての給料で買ってくれた口紅。形見はこれだけだった。
「ちゃんと見ててね」
唇を染め、口紅の蓋をパチンと閉じると身が引き締まる思いがした。
「よし」
ソニアは大きく一歩を踏み出した。