第97話 夜天翔駆
少女は一切の光明すら差さぬ暗闇の中、荒い吐息を繰り返していた。
不意に時間の感覚さえなくなるほどに彼女を苛み続けた痛みと、身体の内側から命じられ続けていた自身の意思に反した拘束が解けていた事に気付く。
緩慢な動作でゆっくりと頭を巡らせた彼女に分かったのは、棺桶を思わせる形状の医療用再生槽に封ぜれられていたことから、少なくとも今まで少女を閉じ込めていた存在には、彼女に対する殺意まではなかったのだろうということと、それまで確かに彼女の頭の内側の大部分を占めていた浮かされたような熱情が消え去り、替わりに少女の頭を占めるのは一人の少年への申し訳なさだった。
長い間、動かされずにいた為か、強張り思うように動かない腕で、少女は目の前の半筒状の再生槽のカバーを押し開ける。呆気なく抵抗感もないままに解放された彼女は裸身を晒し、のそのそと身体を引き摺るように誰もいない室内へと這い出した。
少女の存在を感知して室内灯が自動で点灯、彼女は殺風景な室内を見回す。その小部屋の大部分を占める医療用再生槽の他には、備え付けのクローゼットが一つ有るのみで、恐らく廊下へと続くだろう金属製のスライド扉の脇には小さな操作パネルがついていた。
身に着けるものを探し、少女はクローゼットの中を探る。そこには、辛うじて手術着とおぼしい貫頭衣数着が残されていたが、その他には何も見つからなかった為、彼女は仕方無くそれを素肌の上に直に羽織った。
心許なさすぎるも、一応は衣服を身に着けた少女はスライド扉の前に立ち、ものは試しと、頭の片隅に記憶していた自身の登録コードを操作パネルに打ち込んでみる事にする。
少女自身それほど期待してはいなかったが、彼女の登録コードはまだ生きていたようで、操作パネルに解錠された旨が表示され、彼女の目の前で金属扉が壁の内側に引き込まれ、開き始めた。
しんとした冷気に思わず彼女は声を出しそうになったが、必死に喉の奥に噛み殺し、少女は扉を越えて非常灯のみが点々と灯る暗い廊下へと踏み出して行く。
無人の薄暗い廊下に、裸足のまま硬い床を歩く少し間の抜けた足音が響いた。
記憶したままの場所であるのかさえ不確かなまま、少女は慣れた様子で廊下を進み、やがて大きく開けた空間と辿り着く。対SF用高周波振動大鎌を振るう自身の専用SF“対立者”の納められた格納庫へと。
少女は自身の機体を認め、足早に近寄ると“救世者”のそれとよく似た脚部の点検用操作盤を開いて起動コードを入力。コクピットハッチを開放させ、機体の隣りに設置されたリフトを動かし飛び乗ると、その身を機体へと滑り込ませた。
壁際の武装懸架に吊されていた対SF用高周波振動大鎌を取り、折り畳み式小鎌を取り付けられる限りに機体の各所に装備、踵から脚部機動装輪を展開する。飛び出した機動装輪に踵が上がり、SFの姿勢が僅かに変化した。
「……いきますよ、“対立者”」
少女の呟きと共にはハイヒールを履いた女性騎士のような姿をしたSFが格納庫内から出入口の隔壁扉に向かって高速で疾走を開始し、手にした大鎌を振り抜き、分厚い隔壁扉をバターに熱したナイフを入れるように容易く切り裂いて外の世界へと突き抜けて行く。
†
その警報が鳴り響いた時、ファルアリスはガードナー私設狩猟団団本拠にて与えられた客室の寝台に身を預け、夢の世界に旅立っていた。
客室の扉の脇には侍従のセドリックが直立不動で主を警護している。
「……んぅ、うるさいれすわね……。……せどりっく……このうるさいのを……とめてきなさい……すぅ」
「……起きられてはいかがでしょう。姫様、……狸寝入りはお止めになられては?」
寝ぼけた様子で言ってくる主に姿勢を崩さぬまま冷静に返し、セドリックは窓の外へと視線を送った。そこには狩猟団所属のSF三機が格納庫から走り出している光景が映る。侍従が視線を寝台に戻すと、年若い主の不満げな唸り声が寝台から漏れ出ていた。
「……むぅー! ……ここは公国ではありませんのよ。わたくしが前に出ずともかまいませんでしょう?」
少女公王は眠っていた寝台の上に上半身を起こし、拳を握った両手を振り上げて侍従に抗議するが、セドリックは冷静に主人へと返答した。
「ええ、ですが姫様。もし万一の時、寝起きで御髪の乱れたその御姿を、この地の者達に見せるというのは如何なものかと」
「……“善き神”も騒いでいないようですわよ? ……久し振りにゆっくり休められると思いましたのに……。……はぁ、仕方ないですわね、……セドリック、衣装は?」
侍従は無言のまま主の休む寝台の傍へと歩み寄り、スーツケースの一つを手に取ると室内の開いたスペースに移動させ床の上に開く。中からドレスハンガーごと取り出した少女趣味なドレスを手に、主へと提示した。
「こちらでよろしいでしょうか。姫様の御就寝前に衣装係に渡された衣装となりますが」
「……今はなんでもかまいません。それで良いですわ。ではセドリック、わたくし着替えますので、お部屋を出ていてくださいませ」
「は、しばらくしてからまた伺いますので。どうか二度寝などされませんようお願いします」
ファルアリスは部屋の扉を指差すとセドリックを追い立てる。侍従は一言残すと一礼し、室内から去って行った。
†
「みんな、そろそろフォモール群が視認距離に入るわよ。最終確認ね。各機、予備弾倉は十分かしら? あ、レナ以外ね。って、ワタシとレビンだけなんだけど。ジェスタ機、問題無いわ」
ガードナー私設狩猟団SF部隊は巨木の影に機体を隠し、最終ミーティングを始めていた。ジェスタは自機の手と腰背部に装備した二丁の突撃銃に装填済の弾倉を確認し、機体右腰部に幾つも連結した予備弾倉をざっと確認し報告、いつも通り腰部左側には高周波振動騎剣が吊されている。そのジェスタ機の隣に立つレビン機は突撃銃を手に、左腰部に散弾銃を吊し、右腰部に突撃銃用の予備弾倉を、腰背部に散弾銃用の予備弾倉を装備していた。
『レビン機、異常無し! 予備弾倉も十分であります!』
前方に列ぶ二機の背後、更に奥の巨木の後ろに機体を隠したレナ機から、通信が入る。
『……レナ機も問題は無いよ。エイナ姉にも言ったけど、なんとか保たせてみる。複合型銃砲発射装置が弾切れになっても、突撃銃も持って来てるしね』
レナ機は方盾を装備する左腕で腰部の左側の接続端子に吊した突撃銃を示し、徐に複合型銃砲発射装置を木々の枝の合間に僅かに覗く空に砲口を向けた。




