第89話 善き神
大陸中央山脈を挟んで西の公国を治める公王家の紋章の附いた巨大な車両が樹林都市ガードナーの街門を潜った。
侍従長セドリックを傍らに白とピンクのフリルに身を包んだ少女は広大な客室の中、柔らかなソファーに腰掛け、壁面に映された外部映像に視線を送る。
「やっと着きましたわ、樹林都市ガードナー。はてさて、いったいどんな方なのかしら? セドリック、あなた知っていて?」
「そうですな、残念ながら以前は兎も角、今現在の彼について、私は存じて居りません。まあ、それも随分と幼少の頃の事となりますが」
遠い眼をする侍従長に笑顔を返すとファルアリスは一つ頷く。
「……そう、では出会った時の楽しみといたしましょう。それから、“善き神”の機嫌はどうかしら?」
「ええ、今回、連れてきた整備の者によると、今までになく素直に起動状態に移行しているとの話です。只今は暖機状態で待機中、動かすのでしたら、姫様さえ搭乗されれば何時でも可能です」
頷きを返すセドリック。それを聴いてファルアリスは立ち上がり、客室の扉へと歩み寄った。
「ふふ、ではわたくしは“善き神”の下に参ります。衣装の用意は出来ていて?」
侍従長の目の前を通り過ぎ様に、少女は視線も向けずに問う。
「抜かりなく、御用意を終えて御座います」
「では置いてあるのは何時もの場所ね? セドリック、到着までには先方にアポイントメントを取って置いて。わたくしは“善き神”の御座で待ちます」
「承知いたしました。……姫様、どうかお気をつけくださいますよう。いってらっしゃいませ」
セドリックは恭しく頭を垂れ、年若い主人を見送る。
客室を後にしたファルアリスは狭い通路を通り、“善き神”の納められた無人の後部遮蔽貨物室に入ると巨大な車両の中心にうずくまる小山のような機械へと少女は歩み寄り、気の置けない友人にするように朗らかな声を掛けた。
「おはようございます、“善き神”」
機械は頭部と思しき部分をもたげると、少女に鳴き声のような音を返して来る。それに笑顔を返したファルアリスは“それ”の傍らを指差した。
「わたくしは着替えて参ります。少しお待ちしていてね。そうしたらまた、あなたの御座に上げて下さいませ」
ファルアリスはスカートを摘まんでカーテシーを送り、貨物室の脇に設えられた更衣室に足を向ける。少女は身に纏っていたドレスを脱ぎ落とし、用意されていた薄衣に袖を通すと更衣室を出て行った。
「さあ、“善き神”わたくしの準備は出来ましたわ。いつものようにお願いします」
両手を広げてみせるファルアリスの前で“それ”は大きく口を開き、小柄な少女を一飲みにする。少女は慣れた様子で身体の向きを変え、機械の奥へと自ずから飲み込まれていき、ファルアリスはSFのコクピットと良く似た操縦席に搭乗していた。
少女の通り過ぎた後を追うように幾つもの隔壁が閉ざされ、ファルアリスはパイロットシートに背を預けた。
『…………、…………!』
「ええ、“善き神”、ですが、まだ動いてはダメですわよ? そう、あなた、今日は何時になく嬉しそうですわね。ふふ、わたくしもあなたと同じよ! とっても、楽しみですわ! さあ先ずは感覚の共有を!」
声にならない声と会話を交わすファルアリス、少女は“それ”との感覚共有を開始、“それ”の視覚と触覚、全ての感覚器が少女のものとなる。
「うふ、うふふ! ふふ、ふふふ! あはっ!! セドリック、セドリック、セドリック、セドリック! ガードナーとのアポイントメントはとれまして? わたくし、今すぐに行っても良いかしら?」
会話を交わす感覚で通信回線を繋げたファルアリスは自らの侍従長に訊ねた。
『姫様、申し訳有りませんが今暫くのお待ちを。“善き神”は公王家の秘事、その姿をみだりに人々に見せてはこの街を滅ぼさねばならなくなります』
「しようがないですわね。もうしばらくは我慢しますから、お早めにお願いします。確かガードナー私設狩猟団はこの街の郊外でしたわよね? 街を抜けたら、わたくし行きますわ!」
むくれ気味の声で少女はセドリックに返し、“善き神”の身体から生える翼を周囲の隔壁に当たらぬように小さく動かした。
『……仕方ありません。では、街を抜けるまではお待ち下さいませ』
やがて巨大な車両が街中を抜け郊外へと出てしばらくすると、後部遮蔽貨物室を包む壁と天井を構成する隔壁が開放され、巨大な六対の翼を広げた影が天へと舞い上がった。
その日、ガードナー私設狩猟団団本拠の敷地内に警戒警報が連続して鳴り響いた。
†
フォモールとの戦闘の後にコクピット内で意識を失ってから数日、アクセルとファナを連れ歩いていたジョンは突然に鳴り響いた警戒警報に襟元の団から支給された微章型の通信機を起動した。
「こちらジョン=ドゥ! 団本拠、いったい何が起きてるの!?」
「ジョンにぃ?」
「ジョンにぃちゃ?」
不安そうなら顔で足にしがみついて見上げる幼い兄妹の背中を安心させるようにポンポンと優しく叩き、ジョンは団本拠との通信を続けた。ぶっきらぼうな声が通信機から少年の耳を突いた。
『こちら団本拠。レビン=レスターだ。フォモールの反応のない正体不明の飛行物体が団本拠を目指し接近中! 隊の全パイロットには緊急待機命令が出ている! ジョン、貴様も直ぐ団本拠に戻れ!』
「了解、一緒にいるアクセルとファナも連れて行くから」
ジョンはさっさと通信を終え、足にしがみついている兄妹に笑顔を向け、二人一緒に抱き上げた。
「というわけで、二人とも僕に捕まってね」
「なあ、ジョンにぃ? さっきでたのってレビン?」
「ふわあ、ジョンにぃちゃ、やっぱりたかいの!」
きゃっきゃと歓声を上げ喜ぶファナの隣りで、アクセルはジョンの顔を見上げ首を傾げた。ジョンは二人を抱えたまま走り出し、小さな友人の問いに答える。
「そうだよ、アクセル。ファナも急ぐから舌噛まないようにね?」
「……だいじょうぶだよ。ジョンにぃ」
年上の少年に言われて両手で口を塞いでこくこく頷くファナと憮然とした様子で返すアクセル。
「まあ、噛まなきゃいいよ。団本拠についたら、判っているだろうけど、二人とも大人しくね? ほら、団本拠がもう見えて来た」
団本拠の敷地に踏み入れたジョンは走ったまま、団本拠の建物前に辿り着くとエントランスに腕の中の二人の兄妹を降ろした。
「ジョンにぃ、がんば!」
「ジョンにぃちゃ、がんばって!」
「ああ、アクセル、ファナ、行って来るよ!」
ジョンは笑顔を返し、二人の声援を背に受けて今度はSF格納庫、その中に納められた“銀腕の救世者”へと向かって走った。
「遅ぇぞ、ジョン! さっさと機体に搭乗しろ!」
走り込んできた少年の姿を見留、ダスティンががなり立てた。
「ごめん、親方! “救世者”は?」
「いつもの四番整備台だ! さっさと行け!」
「ありがと、じゃ。行ってくる!」
技師長に礼を返し、ジョンは四番整備台に向かう。到着した整備台を駆け上り、少年は整備台に横たわる“銀腕の救世者”のコクピットに滑り込んだ。
「簡易神王機構、緊急発進だ。いくよ!」
『承知しましたご主人様、“銀腕の救世者”全機構即時完全起動完了しました』
ジョンは機体を整備台から起き上がらせながら、完全同期を開始。機械とは思えない滑らかな動作でガードナー私設狩猟団のSF格納庫を駆け出した。
次回、10/18更新予定
 




