第79話 救世者4
「……っ! ……っ!」
どうしようもない息苦しさに少女の意識が覚醒する。不規則に揺れる粘着く液体に満たされた狭い金魚鉢のような水槽の中、少女は上に見える気溜まりに空気を求め浮き上がり、朧気に視界に映る大きな人型へ、透明な壁越しに助けを求め手を伸ばす。
あれは人型機動兵器、少女の父が仕事に使っている物と同系統の存在だと。
しかし、その影は少女の助けを求める姿に気が付いていないのか、手にした騎剣を少女の封入された金魚鉢が納まる何物かへと向け、振り回している。そのSFのそちらだけ銀色の左腕の輝きがとても眩しく瞳に映った。
何物かと銀色の左腕を持つSFの戦闘は加速していく、息苦しさに少女は集中してその様子を見続ける事は出来なかったが、そのSFの操り手の巧さと、少女のいる何物かの恐ろしさは理解出来た。不意に外界が薄暗くなる。少女は知る由もなかったが、それは樹木のような腕が籠状に編まれ、SFと何物かの二体を閉じ込めた為だった。
何物かとSFとの戦闘が続く中、少女を包む金魚鉢のような器へと切っ先を向けSFが突っ込んで来る。少女は声にならない声を上げて泣き喚き、自身が無惨に引き裂かれる姿を夢想し、最期の瞬間に目を閉じた。しかし、何時まで経っても彼女は衝撃に襲われる事無く、息が続かずにね気溜まり目指して吹き上がり、息を継ぐと同時に視線を外へ投げかけた。
少女が死を覚悟した時から一転、いつの間にか明瞭になった視界の外では、攻め手だった銀色の左腕のSFが守勢に回っている。彼女の眼には、あのSFは自身の存在を気にして、攻め倦ねている様に思えた。
覚悟を決めて少女はSFへ視線を送る。しかし、通じる事無く半球状の奥から伸びた極細のカテーテル状触手が少女のうなじに伸び、鋭い先端を首筋から延髄へと刺し込んだ。
自身が何かおかしな存在へと変えられていく事を、首筋から全身に走る痛みと共に悟り、SFへと声にならない声で話し掛けた。
「…………こ……ろ…………し……て……」
少女の言葉が届いたのか、銀色の左腕をしたSFが一瞬その動きを止める。そして、少女に見えるよう、機体の首を左右に振ってみせた。少女はそのSFを操る存在の優しさに悲しみを抱き、首を横に振る。そして、少女はもう一度、同じように唇を動かした。
†
ジョンはルーク種の胸部に埋まる半球へと視線を向けたまま、“救世者”を駆動させ、フォモールの攻撃をやり過ごす。半球内の少女の唇の動きを読んだ神王機構がジョンへと少女の言葉を伝えた。
『──殺してと、そう彼女は繰り返している。……叶えてやるべきだと、私は思うよ』
「……嫌だ! 僕は助ける! 助けるんだ!」
金属質の銀髪を振り、少年は神王機構へと意志を訴える。限界を超えた空間転移の連続にジョンの量子機械侵食率に歯止めが掛からず、既に頭髪の殆どが銀色のそれへと変わっていた。
ベン・ブルベンは片腕に生やした刃を飛ばすのみで、その場を動かず、壁や床から伸びた無数の腕が帯電した白煙を纏い、拳や抜き手の形に指を揃え、“救世者”へと襲い掛かる。ジョンは“銀色の左腕”を展開し低出力の神王晃剣を発生させ、右腕の剣身を半ばで断たれた折り畳み式高周波振動騎剣とで、壁面や床から襲い来る拳や掌を、ベン・ブルベンから飛んで来る刃を斬り払い消滅させた。“神王晃剣”に斬られた環境保全分子機械群は量子レベルに分解され、分子機械戦闘体の再生能力を失っていく。代償に全身の色彩を金属光沢の銀色へと変えていく少年へ、彼の全てが尽きる前にと神王機構は選択を迫る。
『──ジョン、選択の時だ。彼女を救って他の全てを滅ぼすか、それとも、彼女を犠牲に他の全てを生かすのか。どちらかを選べ! どちらも救う事など出来はしない。……君が選べるのは、どちらか一方のみだ。さあ……!』
少年は何も言わずにベン・ブルベンを睨み付け、“神王晃剣”の出力を上げて周囲を一掃、“救世者”を前進させた。
「……助けるんだ。あの子に何の落ち度がある? ……何故、あそこに居るのか僕は知らない。でも、彼女が自分の意志であそこに居るとはとてもじゃないけど思えない! ……だから、助ける! 絶対に!」
冷徹な声で神王機構は少年へと告げる。
『……そうか、ならば、他の全てを切り捨てるのだね? 主体は君に在る。好きなようにするといい……』
少年は頭を振り、神王機構へ反論する。
「それもないよ。ダナさんを助けて、コイツを滅ぼす! 僕の事はその後で良い」
『私は言ったぞ? 選べるのは、どちらか一方だと。君の変化は本来、不可逆だ。それ以上進行すれば君は……。一つだけ、それをどうにか出来る術は在るが。それをなせば、その後は本当にどうにもならなくなる。……最期の時の為に、それを温存していたかった、のだが……なあ。全く……ならば、私も覚悟を決めよう。我が儘な操り手だよ、君は…………じゃあ、さよならだ』
呆れたような声を上げ、神王機構は吹っ切れたように少年へと返答した。瞬間、制御システムが全て一瞬、ダウンする。
「神王機構、何を……!?」
『──秘匿コード受諾、神王機構の自壊死を確認、システム“光神変異”発動します』
神王機構とは全く違う機械的な音声がコウクピット内に響く。
『──これより、機体名“銀の腕の救世者”及び搭乗者ジョン=ドゥの完全合一化を開始します』
無機質な機械音声の一方的な宣言により、完全合一化が開始された。“救世者”の周囲に量子防御力場が高密度に形成され、“銀色の左腕”を構成する金属帯が肩口から解けて伸長し、“救世者”の全身に絡み付く。神王機構を初めて見た時のように銀色の繭に包まれた。しかし、その時と違い、外装の変化は一瞬で終わり、銀色の金属帯で編み込まれた騎士甲冑に全身を包んだ“救世者”が出現する。頭部のみは人間性である少年ジョンと人型機動兵器たる“救世者”の顔面部を重ね合わせた物となっていた。左腕には目立った変化はなく、右肩や右前腕、左右両腰部と腰背部には掌盾状の左右辺の長い五角形の金属板が装着されていた。放熱索を兼ねた銀色の長髪を背後に流し、新たな姿となった“救世者”がベン・ブルベンへと疾走する。
左腕のみは以前と同じままのそれを縦横に閃らせ、右前腕以外の掌盾状金属板を全て放出、空中に投げ出された金属板は量子力場の刃翼を十字に展開、ベン・ブルベンへと突撃を開始した。
変異した“救世者”改め、登録名称“救世の光神”は右腕に残った掌盾の底辺から量子機械群を放出し刃を伸長させた。ルーク種への最後の一歩を空間転移、フォモールの懐へ飛び込むと左右の腕を視認不可能なスピードで閃らせる。
そして、ルーク種は丸裸にされ、その胸部の中心に鈎状に五指を曲げた“銀色の左腕”が突き入れられた。胸部に埋まった球体を、“銀色の左腕”から伸びた金属帯が覆い尽くし、球体内部の明らかな攻性分子機械を量子機械群が分解、後には肌も露わな少女が一人残される。
“救世の光神”は少女を量子防御力場に包み込み、右手に大切そうに抱えると、未だに生きていたルーク種へ“銀色の左腕”を向け、掌盾状自律機動兵器が左腕の周囲を取り巻いて飛び、“銀色の左腕”が肩まで解け、金属帯が左腕部に槍状の形を形成、“救世の光神”が唇を動かす。
『ブリューナク』
囁くような声と共に放たれた何かがルーク種を完全に滅ぼした。
次回、9/18更新予定




