第75話 フォモール・ルーク
下半身に猪の胴体を持つ、ベン・ブルベンは二本の螺旋状矢に圧されて教国外へと押し出され、コリブ湖の湖上へと放り出される。空中に投げ出されたルーク種は遥か遠き場所に存在する者へと叫んだ。
『我願、女神。臣ベン・ブルベン請願。除枷我身戒環境保全分子機械群中位戦闘体!』
コリブ湖の湖上湖面に生き物のように見える巨影が映る。湖底に未だ蟠り、ルーク種ですら起動出来ずに機能を停止していた環境保全分子機械群が起動して湖水を纏い、湖面を飛ばされるルーク種の周囲を取り巻いて宙に留め、穿ち続ける螺旋状矢を消滅させた。黒い霧がコリブ湖を覆い隠し、それが晴れた後に、腕のないベン・ブルベンの上半身を頭部の代わりに生やす、所々に猪を思わせる人型の、SFを遥かに上回る大きさの巨人を生み出した。
その身の表皮から分子機械が纏っていた湖水が霧のように噴霧され、巨人の全身を覆う。二千mの水深下に広がる湖面を踏みしめ、巨人はゆっくりと湖岸へ向かって歩き出す。
ベン・ブルベンは力を想像した。手を出せぬままに好いように追い詰められた先程の戦闘とも呼べぬ戦闘を思い出して……分子機械間ネットワークに接続、ビショップ種を急速に呼び寄せた。
†
北方門の北側、かつて難民キャンプと教国撤退前の元本陣が存在した場所に、トゥアハ・ディ・ダナーン主教国神殿騎士団に残存する中枢戦力が展開していた。
途中、東方門に敵襲ありと未確認の情報が入ったが、フォモールとの戦闘は開戦時より騎士団有利に進み、中盤に差し掛かった頃、とうとう、ルーク種を引きずり出すことに成功する。アーネストは自身専用に調整した神殿騎士隊長騎を仇敵へと疾走させた。
重要部以外の装甲を極限まで廃し軽量化を施したその機体は、円と十字を組み合わせたケルト十字を柄に意匠した高周波振動騎剣を両手に一振りずつ装備している。
アーネストは自身の駆る隊長騎の脚部機動装輪を稼動させ、斧槍を振り回すルーク種へと接近して行く。
「──この数日、お前の事ばかり考えていたぞ、フォモール! やっとの再戦だ。目にものを見せてくれる!」
コクピット内に叫び、新たな騎士団長は団長騎と同装備の肩部装甲に内蔵された可変式推進器を展開、背部推進器を同期させ、機体を急加速する。
アーネストのSFに気付き、身構えたルーク種は新たな騎士団長の駆る機体へと手にした斧槍を突き出した。回避困難なタイミングで放たれた斧槍を装甲表面に掠らせつつも、紙一重で回避した。アーネストは避け様に跳躍、ルーク種の手にする長柄に飛び乗り、機動装輪で狭い足場を駆け抜け、一息に敵に肉薄する。刹那、アーネスト機の両腕が閃き、銀閃が尾を引いてルーク種の身体に走った。駆ける勢いをそのままに長柄の上から軽く跳躍、脚部関節に衝撃を吸収させアーネストは機体を音もなく着地、ルーク種へ視線を固定しその脇を駆け抜ける。
ルーク種は下肢の巨猪を旋回させてアーネストに向き直り、振り上げようとした斧槍がそれを握り締めた腕ごと地面に落ちた。地に落ちた腕に驚愕し、猪を模した兜の奥に目を見張ったルーク種は、その重い頭まで呆気なく地面に転がり落とし、意識までをも暗闇の裡へと失っていった。
アーネストは呆気なさすぎる幕切れに、疑問を抱いて眉をしかめ、下半身の猪が幾つもの獣の死骸となって巨躯が溶け崩れいく中、彼はフォモール群の全体を見回す。ルーク種という頭を失ったフォモール群は統制を失い、即座に総崩れとなっていった。
「──あのルーク種はこんな弱くはなかった筈、……ならばこの個体は偽物か? まあいい……今は掃討を優先するべきか──神殿騎士団の諸君! 祖国に纏わりつく害獣どもを速やかに殲滅せよ!!」
アーネストは頭を振り、麾下の神殿騎士団へ敵手、フォモール群の掃討を命じる。それまでも延々とフォモールを屠っていた神殿騎士団員達は己が団長が敵ルーク種を討った事実に勢いづき、フォモール群は瞬く間に殲滅されていった。
フォモールの掃討を終え、アーネスト率いる神殿騎士団が教国へ帰還を始めた頃、東方門の方角に爆音が轟く。アーネストは音の発生源を探し、教国の東方面コリブ湖に視線を移した所にそれを発見、巨大な人型の影がコリブ湖の底から浮かび上がり、その影が延ばした腕の先に教国内部から黒煙が上がっている。
アーネストが注視する方向へと騎士団員達の視線も徐々に集まり、息を呑む声や驚愕に打ち震えるおののきが聞こえてきた。
『一体何なんだ、あれは!?』
『待て待て、待てよ……あそこには……俺の家があるんだぞ!?』
『団長殿、一刻も早く教国内部へ!』
「……此方での状況は終了した。即刻帰還し、あの不明個体への対処を始める! 騎士団員諸君、総員直ちに行動せよ!」
アーネストの号令と共に慌ただしく教国への帰還作業が始まり、背後に佇む教国北方門へと急いだ様子で神殿騎士団のSFが戻って行く。後には打ち捨てられたフォモールの屍が音も立てずに溶け崩れていった。
†
同じ頃、南方門では勝利に喜ぶ狩猟団や傭兵団の喧騒に混ざる事も出来ず。ガードナーのSF部隊からも離れ、二機のSFの足下でジョンとジェスタは所在なく居場所を求めて身をすぼめていた。唐突に喜びに沸く喧騒を引き裂いて轟音が轟く。
ジョンはセイヴァーのコクピットへ急いで乗り込み、神王機構を目覚めさせた。
「……ヌァザ、最大レンジでレーダーを作動、東の方角に聞こえた原因不明の轟音の解析を!」
『起動早々に、何だね全く。……セイヴァー・アガートラム、レーダーを最大レンジで展開、情報探査は東を重点に精査開始する』
神王機構はジョンの要請に従い愚痴りながらレーダーを起動、最大効果を発揮できるよう位置取りしレーダーによる情報探査を始めた。
『──パターン解析完了、エネルギー総量の変異は見られるが、これはベン・ブルベンと名乗ったあのルーク種だ。どうやら、東方門前で倒したルーク種の個体は偽物だったようだね。それからジョン、東の方向を見るといい。此処からならば、視認可能だろう』
ヌァザに言われるままに、それを視認したジョンはその巨影に驚愕の声を漏らす。
「……あ、あれが……ベン・ブルベンっだって!? 何であんな大きさに……それに形状も違うじゃないか!?」
神王機構は驚愕に身を震わせるジョンを後目に冷静に告げる。
『ジョン、ガードナーの全機体へこの取得情報の共有化を開始するよ。構わないかな?』
「ああ、送って置いて、伝えておくべきだ」
ジョンは神王機構に外部スピーカーの起動を命じ、その場の幾つかの狩猟団と傭兵団へと思ったままに告げる。
「──この場に居る全ての狩猟団と傭兵団に告げるよ! 東方門を巨大な怪物が破壊した模様、バカ騒ぎは仕舞いだ!! まだ戦える者は東方門へ!! 僕は先に行く!! 手柄が欲しければ早い者勝ちだからね!!」
ジョンはセイヴァーの脚部機動装輪を展開し、南方門の内側へ走らせ始めた。ジョンのセイヴァーに続いて、ジェスタのテスタメントが走り出し、ガードナーのエリステラとレナのテスタメントが、余所の狩猟団が、傭兵団が彼の後を追い掛け、機体を疾走させ始める。
セイヴァーは背部推進器と臑部の推進器を起動し全速力で教国の環状道路を疾走、彼のセイヴァーを先頭に鏃のような形の一団が無人の教国を駆け抜けていった。
次回、9/10、更新予定




