第210話 鳥籠より高き空へ
ネミディア連邦首都ネミド、トゥアハ・ディ・ダナーン主教国の程近くに都市計画に基づき建設されたこの大都市は教国の存在する都市の北側を避け、南へと拡大を続けていた。東側には教国と同じくコリブ湖に面した港があり、そちら側へ拡大することが物理的にできないが故である。都市の、そして連邦の行政を司る様々な庁舎群は中央やや南寄りに配置され、それを取り巻くように自然発生的にビジネス街が形成されている。都市の東側を除いた三方にはネミディア連邦軍の基地がそれぞれ置かれていた。西方街門に程近い連邦軍基地の傍は商業区となっており、連邦首都という都市の北側には閑静な住宅街が広がり、その中央南側には大統領公邸が置かれている。
その大統領公邸に戻った連邦初の女性大統領ジュリア・ヘイズ=アドミラルの大統領執務室へ、“境界都市”の行政長官からの通信が届いた。
「一体、なんだというの。済みませんが私はあなたと違って暇ではありません。ご要件は手短に」
執務机に据えられた通信設備を前に、秘書官を傍に立たせたまま革張りのリクライニングシートに身を預けたジュリアは酷く冷めた目つきで映像の向こう側の同派閥の大男を睨み付ける。
『貴重な時間を使わせてしまって済まないな、大統領。では、単刀直入に本題に入らせてもらうが、コリブ湖の教国沖に現れた巨大人型鋼獣種を斃したとみられるSFと、その操縦者が、我が“境界都市”に姿を現した。“境界都市”への入市時の登録情報では操縦者の名はジョン=ドゥ、登録所属はガードナー私設狩猟団客分隊員および雑務傭兵、機体の登録名称は“救世者《セイヴァ―》”となっている』
“境界都市”行政長官の言葉に出た名と記憶に新しい人型兵器の話題、ジュリアは思わず激昂した声を上げていた。
「なっ、ガードナーですって!? あの老いぼれ、なんという玉を隠し持っていたのです!!」
『話を続けるが、良いか? まあ、不幸な行き違いなのだが、そのジョン何某は我が方の国境警備隊と小競り合いとなってしまってな。“境界都市”の南方国境線突破から、フィル・ボルグ方面への侵犯を許してしまった。ただ一騎のSFと操縦者を相手にこれは失態以外の何物でもないがね。その際はまだ飛行能力を見せてはいなかったようであるしな。それから僅かに遅れてだが“境界都市”にガードナー私設狩猟団の者達がやって来た……」
執務室机の脇に立っていた秘書官は、大統領に“境界都市”行政長官との通信に時間が掛かり過ぎていることを耳打ちする。
「……大統領、恐れ入りますが次のスケジュールも詰まっています。後日改めて境界都市”からの報告書を上げますので今回は通信を切り上げていただけますか」
「わかった、わかったわ。――と、いう事です。流石に私の立場で体調を崩したでもなく、スケジュールをボイコットするわけにはいきませんの。それで、あなたの報告はまだ続くのかしら?」
『ふむ、いや、何より重要なのはこれから話す事だけだが、件の隻腕のSF、“救世者《セイヴァ―》”というあの機体は、どうやら古代兵器の一体であるようだ。まあ、話に聞く限りの性能からそれは推して知るべしといった所だが。取り合えずフィル・ボルグによる古代兵器の劣化量産機という線も無いようでな。飛行型SFによるフィル・ボルグの首都進攻は今のところ考えずとも好いだろう。そこの秘書官の言う通り詳細は報告書として上げておく。時間が許す時にでも確認してくれ。では私はこれで失礼する』
言うが早いか境界都市”行政長官は通信を終え、映し出されていた映像が虚空に消えた。大統領は秘書官を遠ざけると“救世者《セイヴァ―》”という機体銘を目の前の端末で検索する。ジュリアの個人用のストレージ、幾つかの生体認証を越えて表示されたのは計画自体が没になった新造兵器企画書、その内のとあるSFの設計図には、新型アーリータイプ開発計画という文字と愛称としての“救世者《セイヴァ―》”という名称が書き込まれている。
「……まさか、この機体は計画すらも白紙となっていたはず、フィル・ボルグの隠れ蓑である“憂国志士団”、奴らがこれに噛んでいた、ということなのでしょうね。生まれ得ざる機体。例え残ったのが名称のみだとしても、それがあれ程のものとなった。私はまだまだ見る目がありませんね」
表示された計画書をストレージ上からすらも抹消したジュリアは身体を預けていたリクライニングシートから起き上がり、秘書官が待つ執務室の入口へと向かって行った。
†
トゥアハ・ディ・ダナーン主教国神殿騎士団の元従騎士、現副団長のハリス=ハリスンは教国中央の大神殿へと教母アドラステアからの呼び出しを受けていた。数ヶ月前から愛娘であるダナは行方不明となっており、今回、呼び出されたのはそのことについて、何らかの情報が得られたらしいという事だった。
大神殿の大回廊を中背の中年男性が歩いていく。警備についている神殿騎士団の騎士達はハリスが傍を通ると居住まいを正し、胸に拳を当て敬礼していた。ハリスの神殿騎士団での勤続は二十年を越えるが、長い間を出世とは無縁で過ごしてきたために酷く場違いな居所の無さを感じずにはいられなかった。
金属製の廊下を、堅い靴で音を立てながら進んだハリスは教母の私室に通じる大扉の前に立ち止まる。扉の脇の壁面に埋め込まれたコンソールに手指を当てた。生体認証の走査線が天井から照射され、ハリスの身体を通り抜けた。
「神殿騎士団副団長、ハリス=ハリスン御下命により罷り越しました」
『既に確認は完了しました。室内へどうぞ』
機械染みた女声が扉の奥から響く。ハリスは深呼吸を一度行い、その扉へと手を伸ばした。
「失礼いたします」
「ええ、ようこそいらしゃいました。騎士ハリス。では、こちらへお掛けになって」
室内で待っていたアドラステアは、部屋の中央に用意されたソファーへとハリスの着席を促す。ハリスは
アドラステアへ敬礼し促されるままにソファーへと腰掛けた。
「騎士ハリス、私は貴方の働きにとても感謝しています。特に、この数ヶ月間は消息不明となった御息女の心配もありながら、周囲にそれを感じさせぬ献身。それには並々ならぬものがあったでしょう」
「もったいないお言葉、無骨物の私には過ぎたものであります」
アドラステアは常に無い柔らかな笑顔を浮かべ、ハリスへと視線を送る。
「そうですね。では、私は貴方のお待ちかねの話題を始める事と致しましょう。端的に言って貴方の娘、ダナ=ハリスンはフォモールに連れ攫われました。これは彼女の居なくなった日の都市内に僅かに残された映像記録と音声記録を解析すること分かりました。あの時、何故か一時的にこの都市の全機能が大幅に低下しており、分かった事と言えるのはこれだけです」
「フォモールが!? 何故ダナを、うちの娘を!?」
思わず腰を浮かせ、ハリスはアドラステアに顔を寄せる。
「考えられることとしては、以前、この教国の東、コリブ湖に出現したルーク種に囚われた際に何かをされていたのかもしれません。この都市で確認できる全ての検査ではダナ=ハリスンは全くの健康体としか判別することは出来ませんでしたが」
「では、私はどうすれば良いというのです。教母よ」
「そうですね。都市を出てみてはどうでしょうか。世界を回り、その過程で何かが見つかるかもしれません。貴方の御息女を救う方法も、取り戻す方法も」
それから数分後、ハリスは教母の私室を辞し、現在の立場さえも捨て、教国という生まれ育った都市を後にした。教母から下賜されたSF神殿騎士騎を旅の足として。
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