第206話 隠れる者
ゆっくりと高空から降下した隻腕のSF、“救世の光神”は地に足を着けると、頭部ユニットを前傾し、背部装甲を形成する幾条もの銀色の金属帯が外側に向かって広がるように解け、操縦席隔壁を露出させた。暗い操縦席から顔を覗かせた少年は朝日に照らされる地面に降り立つと空を見上げて大きく息を吸い込む。深呼吸した少年と隻腕のSFの前に、遠間から近寄ってきていたSF搬送車の後部懸架整備台から飛び出した左右非対称の女性型SFが機体を停止させ、その操縦席からいそいそと降り立った人物がジョンの方へと駆け寄って来た。蜂蜜色の金髪を揺らし自身に抱きついてきた少女の背に手を回しながら、帰ってきた、とジョンはそんな感慨を抱く。
「お帰りなさい、ジョンさん!」
「うん、ただいま、エリス」
満面の笑顔を浮かべるエリステラへ、ジョンは微笑みを返した。エリステラ機の後方に停車したSF搬送車から小間使いのお仕着せを纏ったままのレナが降り、黒の編み上げブーツが泥に汚れるのも構わずゆっくりとした歩みで抱き合った少年と少女の下にへとやって来る。
「はいはい、そこまで、そこまでよ! うちのエリスは嫁入り前なんだから、それ以上のことはお爺様から許可取ってから! だいいち、ジョン、あんた、エリスの告白にまともな返事を返してないでしょーが」
ジョンとエリステラの間に流れる空気に遠慮した様子も無く、レナはジョンに抱き着いたエリステラを引き剥がすと少年の目の前に人差し指を突き付けまくし立てた。
「……あー、ん、そうだ。まあ、そうだね、ごめんねエリス」
「いいえ、わたしはジョンさんが抱き留めて下さっただけで、とても嬉しかったですから」
「ああ、もう、はいはい、ごちそうさま。エリスはあたしに砂糖でも吐かせる気なのかしら? はらほら、二人とも、とりあえずSFを搬送車に載せて、急いでこの場を離れるわよ」
レナは、ジョンとエリステラ二人の様子からわざとらしく目を背けると、二人をそう急かす。ガードナー私設狩猟団のSF搬送車の下に戻りかけたレナは、何かに気が付いたとばかりに少年の方へと振り返ると、ジョンに向かって問い掛けを放った。
「って、そういえばジョン、ジェーン姉は? あの人の機体が見えないけど」
「あ、わ、忘れてた。ジェーンさんの機体は損傷を受けていて、ここから少し離れた場所に降ろしてあるんだ。ちょっと迎えに行って来るよ。合流地点なんかはいつもの回線に回しておいて」
「あ、ジョンさん……」
ジョンはレナの問い掛けにハッとした顔をすると何かを言いかけたエリステラの声を背に、急いで“救世の光神”の操縦席へと舞い戻る。少年は機体の機動シークエンスを急いで完了させ、機体制御システムを叩き起こした。
『御用ですか、ご主人様?』
「“簡易神王機構”、緊急だ。ジェーンさんを迎えに行くよ。さあ!」
隻腕のSFが起き上がり、機体各部に配された五基の掌盾状装甲が分離、自律機動攻撃兵器が機体の周囲に円を描くように展開、“救世の光神”が地面を蹴り跳び上がると、腹部の量子誘因反応炉が、量子誘因を開始しヒッグス場を偏向、機体にかかる重力の方向を捻じ曲げ、周囲に展開した自律機動攻撃兵器は筐体から針状結晶を生やしてその効果を増幅し、隻腕のSFは高速で飛翔していった。
†
大樹林の木々根元、僅かに拓けた空間に停車した一台のSF搬送車、後部懸架整備台は全体を可動隔壁に覆われ、そこに搭載された機体の姿を窺い知る事は出来ない。その搬送車は操縦系統を機体の操縦席の操縦システムに統合し、SF操縦者一人で動かせるように改造が施されていた。
無人化された運転席のルーフが展開され、全周天可動が可能な半球状の撮影レンズが伸びる。それは今まさに空へと昇っていく隻腕のSFを追いかけ、視認不可能となるまでを備に捉えていた。
「これ以上の追跡は、……無理か。仕方ない、次の段階に移行する」
隔壁に覆われた後部懸架整備台に搭載された機体の操縦席に身を預けた人影は、聞く者もいない空間にそう呟くと、可動隔壁を解放させ、搬送車の操縦系統を解除する。上部隔壁を折り畳み、巻き込んで解放されて行く側面隔壁と後方隔壁の中、SFを搭載した懸架整備台が起き上がり、一機のSFが姿を現した。
その機体は、機体駆動の邪魔にならないよう計算され、頭部を含めた機体各部が暗灰色の防塵布によって覆われ隠されている。僅かに露出する部位すら原形が何かすら分からない程に改造の施されているだろうことだけは辛うじて見て取れた。
動き出した謎のSFは、自身の搭載されていた懸架整備台の武装懸架から折り畳み機構を備えた長距離狙撃銃を取り出すと機体の背に懸架する。そのSFが手にした狙撃銃はガードナー私設狩猟団の技師長が制作したSF用長距離狙撃銃“雷霆”に匹敵する大きさをしていた。
懸架整備台から歩き出したその機体は、驚くほどに静かに駆動している。本来、SFの機体の駆動時はどうしても大きな動作音が響いてしまうものだが、そのSFに限っては地を踏みしめる際に僅かな音が立つ以外、微かにしか動作音が漏れることは無いようだった。
「さて、静音機構は正常作動、この程度の動作音ならば、これだけの距離だ気付かれはすまい。しかし、あの空飛ぶ銀色、こいつで追い付けるものかね」
長距離狙撃銃を背負ったSFは脚部機動装輪を展開し、森の木々に紛れ高速で走り出した。
障害の無い空を行く銀色のSFを追い、地を行くそのSFの前には大地の起伏を始め幾つもの障害が聳えている。しかし、それらの障害など在って無きが如く、全てを知覚しているかのように走行速度を緩めることなく駆け抜けていた。
「……っと、ポーン種か。邪魔だな」
進路上に鋼獣ポーン種の存在を発見した謎のSFは、速度を緩めることなく背部から抜き取った長距離狙撃銃を展開、折り畳まれていた銃身を延伸させ大樹林の巨木とポーン種とが重なった瞬間に銃爪を引く。長距離狙撃銃に一発目の弾丸として装填されていた強装弾は大木の幹を貫通して直進、ポーン種が脅威に近くする前にその頭部に吸い込まれ、鋼色の脳みそを盛大にぶちまけた。
「やべ、今の発砲音でこっちに気付かれてないだろうな。……しゃあねぇ、ま、なるようになるか」
発砲を終えた長距離狙撃銃を機体背部に戻し、汚泥に崩れゆく鋼獣の死骸を踏み越え、機動装輪をさらに加速させた。
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