第203話 それは喪われた訳でなく
金属の甲殻に覆われた金黒の飛竜が、夕暮れの空に鋭い鉤爪を備えた二対の腕翼を拡げる。腕翼の翼膜後端や尾部の付け根に形成された推進器から後方に向かって赤黒い量子機械粒子を噴出し、空中に浮揚した状態から最加速した巨体は胴体下部に伸びる五指の鉤爪を備えた竜脚で飛翔する人型の機体、“聖母の盾舟”を引き裂こうとした。
ジェーンは分子機械粒子から形成した短砲身粒子砲での一撃が防がれたのを見て取ると、胸部スリットに粒子砲を接続したまま飛行形態へと変形し急上昇することで、“簒奪者”から変貌を遂げた飛竜の突進攻撃を遣り過ごす。
「分子機械粒子分解再形成、光子対消滅砲セット」
縦に回転しながら飛竜の背を取るべく上昇した“聖母の盾舟”は粒子光を散らしながら機体に接続されたままの短砲身粒子砲を分解し、光子対消滅砲として再構成した。
機首の脇から突き出されていた砲身が更に短いSF用拳銃程の大きさに変わる。
コリブ湖の湖上での戦闘において用いられたこの武装は、“聖母の盾舟”の素体となった古代の人型兵器や“樹林都市”等の航宙艦が現役であった時代においては人型兵器の宇宙塵破砕用標準装備といえる武装といえ、“聖母の盾舟”のストレージにも、もちろんその武装データが保存されていた。
威力については折り紙付きといえる装備だが、だからこそ、地上に向けての射撃逸れ流れ弾となった場合の被害が大き過ぎる光子対消滅砲を発射することはジェーンにとっても憚らざるをえない、だが、攻撃しあぐねるジェーンの機体をそのまま見逃す精神を、飛竜と化した“簒奪者”の操り手は持ってはいなかった。
金黒の飛竜が“聖母の盾舟”の上を取るべく上昇、その全身には幾筋もの分割線が走り、先程まで存在していなかった金黒の騎士騎によって投げ放たれた大剣とよく似た無数の刃が林立し、それらの二つに分かたれ砲と化した剣身が“聖母の盾舟”に向かって照準されていた。赤黒い粒子光が無数の剣先に収束し始める。
ジェーンは態と機体を失速、飛竜の下へ回り込むと機首を上空へ向け、上を取った飛竜から放たれた無数の光線の間を縫うように回避して飛ぶ。機体を掠める光線に揺られながら、ジェーンは光子対消滅砲の砲身を展開し発射形態に移行、飛竜の腹部へとガイドレーザーを投射した。次いで、光弾が先に投射されたレーザーに沿って飛び、その腹部へと吸い込まれていく。
対消滅により発生したエネルギーは強大で、量子機械粒子による防御膜を展開しようとおよそ防御しきれるものではない、筈だった。
光弾が吸い込まれた腹部は沈黙したまま、対消滅反応による火球が発生せず、飛竜は何事も無かったように砲撃を繰り返している。
“聖母の盾舟”は光子対消滅砲に装弾された全弾を撃ち出し、飛竜の陰から逃れ出た。しかし、やはり火球は発生せず、飛竜は悠々と空を飛翔しジェーン機を追い駆けて来る。
砲門の数が少なくある意味では安全地帯といえた飛竜の腹から抜け出した“聖母の盾舟”は人型形態へと変形、鎌刃薙刀を再度その手に形成させた。粒子防御膜を機体前方に展開し、尚も放たれ続けている光線の直撃を避けて飛び、飛竜の頭部へとその刃を叩き付けんとする。
その時、並みのSFとほぼ同じ程の大きさをした飛竜の頭部が展開、背中に飛竜の身体を背負う金黒の騎士騎の姿、つまりは“簒奪者”へとその姿を変えた。
頭部がSFの姿を取ると同時、胴の後方が尾部ごと二つに分割され、一対の竜脚が分かれた尾の半身を上部から垂らし、前方に向けられる。
頭部であった金黒の騎士騎は、竜体から生やされた大剣と同じものを両腕に形成しその手に掴み取ると、右の剣で“聖母の盾舟”の斬撃を払い除け、左の剣を真直ぐに突き出した。その刃は“聖母の盾舟”が咄嗟に掲げた左腕の装甲を割り砕き、突きからさらに斬撃へと変じた一撃は、ジェーンの機体を強引に地上へと弾き飛ばす。
“聖母の盾舟”は為すすべなく、斬撃の勢いのままに地上へと重力に引かれて墜ちて行った。
†
大樹林の木々の狭間で、その指先を巨木の幹に突き立てた隻腕のSFは空を見上げ、ジョン=ドゥはジェーンの機体が堕ちて来る様をその目にしていた。
我知らず少年の掌は拳と握られ、分厚いパイロットスーツの生地を破りそうなほどに強く、手のひらに
爪がめり込む。飛竜から放たれた光線は“救世の光神”の周囲に聳える巨木にも着弾し、幾本もの大樹林の木々が抉り取られ、焼き割られていた。
「僕は……僕は、また。……目の前で喪うのか? ――それは嫌だ。もう喪わせない。誰一人だって……。――“救世者”、僕も……お前も、まだ終りじゃない、そうだろう。“救世の光神”っ!!」
操縦席に吠える、その身に備わる色彩を金属質の銀へと変じさせた少年の意思を汲んだかのように、隻腕の機体は度重なった戦闘により低下していた機体ステータスを完全に復調させ、握り込んだ拳が巨木の樹皮を抉り砕き、その右腕が解放される。機体各部に装着された掌盾から剣身が伸び、瞬時に、高密度に展開された量子防御膜“銀腕光輝”がSFに樹皮を抉り砕かれた巨木を立ったままに圧し潰した。
“救世の光神”は大地を蹴り、重力から解き放たれたかのように流星とまごう速度で暗み始めた空へと舞い上がっていく。隻腕のはずの“救世の光神”、空へと舞い上がっていくSFのその姿には喪われていた左腕が、疑似銀腕の朧げなそれでは無く、確かな質感を備えた“銀色の左腕”がいつの間にか取り戻されていた。
「……そうか、そうだったのか……。“銀色の左腕”、君はそこにあったのか、離れても喪われたわけではなく、ただ、そこに……。“簡易神王機構”! 量子誘因反応炉全開、“神王晃剣”展開準備! 自律機動攻撃兵器量子刃形成騎剣全基放出、征け!!」
墜ちてくる“聖母の盾舟”を追い越して五基の自律機動攻撃兵器量子刃形成騎剣が量子機械粒子の結界を形成させる。その主機である銀色のSFはジェーンの機体を優しく受け止めると空に浮かぶ敵機を睨み付けた。
「ここからは、僕の時間だ」
闇の帳が落ちゆく空に少年の声が静かに響いた。
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