第196話 マクドネル兄妹の一日
アクセルはウサギのぬいぐるみを抱く妹、ファナの手を引いて、大人たちの並ぶ配給の列に並んでいた。通常なら朗らかな印象のあった見知った大人たちの表情には余裕も無く、年端もいかないアクセルやファナの姿を視界に入れるとあからさまに顔を顰める者や、苛立たし気に聞こえよがしに舌打ちをする者の姿もある。アクセルはそうした周囲の雑音を無視するようにファナの手を握る自身の右手に力を籠めた。
「にーちゃ、て、いたいの」
ファナはアクセルの顔を見上げて、赤く指の跡が残るほどに握り締められた左手を挙げる。
「ごめんね、ファナ。でも、もう少しだけがまんして」
「……ん」
ファナは兄の顔を見上げて頷くと、アクセルが自分の手を強く握り締めたように、片手で抱いていたウサギのぬいぐるみ、マクガフィンをぎゅっと抱き寄せた。
アクセルとファナが現在いる場所は、壊滅状態となった“樹林都市”の地上ではなく、その地下に広がる樹と人工物とが組み合わされた都市の中央にある都市の中で唯一の人工的な建造物の前だ。医師として、忙しく働いている母シャロンに頼まれ、代わりに兄妹で食料品の配給を受けるために大人達に混じって列に並んでいる。
「あ……」
少しずつ進んでいく人の列の流れの中に、街がこうなる以前はアクセル達と一緒によく遊んでいた少年の姿を見つけた。アクセルは少年へと声を掛けようとするが、両親と共に並び、父親に手を惹かれている少年の姿に、何故か後ろめたさを感じて、手を伸ばし掛けたまま、声を掛けそびれてしまう。
「にーちゃ、まえのひとうごいたよ。いこ?」
「あ、ありがと、ごめんねファナ。うん、いこう」
僅かでも隙間が空くとマナーのなっていない大人が割り込んでくることがあった。そうした体験をこの数か月の間に何度か経験していたファナは、何かすごく遠いものを見ている様子の兄の手を引くと、アクセルに進むことを促す。妹に手を引かれ、今の状況を思い出したような表情をしたアクセルは気を取り直したように前に並ぶ大人の背中を追いかけてちょこまかと足を動かし始めた。しかし、そこへ割り込んで来ようとした中年男の足に引っ掛けられ妹と共に転ばされてしまう。体重の軽い子供であることが幸いしてか、アクセルもファナも大きなケガをする事も無く地面に手をついて起き上がった。
「ファナ、だいじょうぶ?」
「ん、だいじょーぶよ。にーちゃ」
先に起き上がったアクセルはファナに手を貸し起き上がらせると、妹の服についた埃を手で払い除け、小さな手を引いて二人が配給の列に戻ろうとすると割り込もうとした男が大きな声でわめき出した。
「このガキ共っ、何しやがる‼」
大きな声に驚いて、ファナはアクセルの陰に隠れ、こわごわと男を見上げる。アクセルはファナを背中に庇い、曇りのない瞳でわめき続ける男の顔をまっすぐに睨み返した。
「おじさん、なに言ってるの? おれたちはちゃんと列にならんでただけじゃないか。わりこもうとしたのはおじさんの方でしょ? そりゃ、ころんじゃったけど、おれたちがなにかしたわけじゃないよ?」
「ふざけるな! この……、親の顔が見てみたいもんだな‼」
そう吐き捨てると、苛立たし気に拳を振りかざし、身勝手にもアクセルへと殴りかかろうとする。流石に見かねた誰かがアクセルの前に割り込むと中年男の拳を往なして、肘の関節を極め、地面に抑え込んだ。
「――そこまでだ。いい大人が幼子相手に何をしている」
極められた関節から全身に走る激痛に、抑え込まれた中年男は声にならない叫びを上げる。目の前で繰り広げられた突然の事態に目を白黒させながら、アクセルは悪漢を地面に抑え込んだ燕尾服の人物の澄まし顔に見覚えがあり、思わずといった様子でその人物の名を口走っていた。
「えと、あ、セドリックさん?」
「地面から失礼します、アクセル君。ファナさん。はい、セドリックです。――誰か、ええ、誰でもいい、いや、そこのあなた、巡廻の都市警を呼んできなさい。そろそろこの辺りを通りがかる時間です。此方の愚か者にはしばらく頭を冷やす時間が必要でしょう」
セドリックは地面に男を押さえつけたまま、矢継ぎ早に列に並ぶ大人達へと指示を飛ばし、段取りを付けていった。
「アクセル君、ファナさん、とりあえず、列に戻った方が良いでしょう。こちらはこちらで片を付けておきます」
「それじゃ、あの、ありがとうございました、セドリックさん」
「……ありがとーなの、せろりっくしゃ」
頭を下げるアクセルの背中から顔を出したファナからも感謝を告げられて、それでも澄まし顔のまま、セドリックは頷いて口を開く。
「お気になさらずに、あなた達は私の弟分の大切な友人です。手が届く場所でのトラブルでしたので手助けしたまでの事、こうして手が伸ばせる場所でならばよいのですが、こういった場合ばかりではないですからね、トラブルには気を付けください」
少年と少女は口々に「はい」「はいなの」とセドリックへと素直な返事を返し、配給を待つ人の列へと戻っていった。流石に、目の前で暴力沙汰に巻き込まれ掛けた顔見知りの子供達へと追い打ちをかけるような気にはならなかったらしく、同じ列に並んでいた顔見知り大人達からアクセルとファナへ労りの言葉が雨の様に降り注いだ。
少し怯え気味の様子すらあった幼いマクドネル兄妹の顔から険が薄れ、アクセルとファナの表情に明るい笑顔が戻り始めていた。
†
発着港に到着した金黒の騎士騎の操縦席で、円卓筆頭、黄金はそこに羽を休める一羽の大型飛行種に対して命令を発した。金黒の騎士騎が前に突き出した左腕の装甲に幾筋もの分割線が走り、装甲内部から滲み出た赤黒い光の粒子が大型飛行種の体内に浸透していく。よくよく見れば、この大型飛行種は既存の鳥類のいずれともいえぬ姿形をしており、大きく突き出した嘴の隙間から幾本か鋭い牙が覗いている。
「地上に戻る。いつものように、鋼獣共に気取られぬように降下しろ」
金黒の騎士騎は何とも言えない大型飛行種の背に飛び上がると、長い鋼の羽毛の生え揃う鳥獣の背に機体を横たえた。操縦席で播種航宙艦とのリンクを確認、発着港内を隔壁で閉ざし、真空へと減圧、外部隔壁扉を開口する。真空の中、のそりと身を起こしたビショップ種は力強く床を蹴り、静止衛星軌道、宇宙空間へとその巨体を躍りだした。
惑星への突入角度次第では、いかに鋼獣といえども大気との摩擦熱に燃え尽きる。しかし、全身を赤黒い粒子光に包まれたビショップ種は特に気負った様子も無く、散歩に出るような気安さで深すぎる突入角度のまま、大気圏上層、外気圏から熱圏へと進入し自由落下していく。中間圏、成層圏と次第に強度を増していく大気圧が巨体の全周から襲い掛かり始める。そして、とうとう対流圏へと突入したビショップ種は、全身を包む粒子光を失いながら、窄めていた翼を大きく広げ、風を巻いて飛翔を始めた。
「時間的にはまだ、“救世者《セイヴァ―》”はあの場から動けていないはずだが、さて、メンタルに関しては兎も角、ほぼ同じシチュエーション、同じ攻撃を、今度はどう往なして見せるのか、見せてみろ、08《ゼロエイト》」
鋼獣の背に金黒の騎士騎は立ち上がる。背に佩いた両手剣を抜き放つと、大気の中へと跳び出した。
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