第182話 闇の裡にて
“大樹林”を南北に貫き、ネミディア連邦とフィル・ボルグ帝政国を公式に繋ぐ唯一の街道、大陸樹梢街道と呼ばれる舗装路を“樹林都市”を発し、隻腕のSFに護衛された車両群が走っていく。ネミディア連邦の東西を結びつける大陸樹幹街道と比べるとその街道の通行量は少なく、街道沿いに在る衛星都市の数も二つと、大陸樹街道沿いは栄えているとはとても言い難く、大樹林の南端、街道の行き着く果てには境界都市とも呼ばれるネミディア連邦最南端の都市“ゴールウェイ”が存在していた。
“境界都市”にはネミディア連邦において最大規模の軍事基地が置かれ、国境を境にして直ぐ南に存在するフィル・ボルグ帝政国へと睨みを利かせている。
街道を行く“樹林都市”から逃れてきた避難民の乗る車両の群れは、状態の良いものでさえボディが凸凹に拉げ、大抵のものにはフロントガラスをはじめとした窓ガラスさえ嵌まっていない、それは都市襲撃の際に打ち壊された車両の残骸の内、まだ原形を保っていた物を、同型の残骸から取り外した部品を用いて修復した、ニコイチ、サンコイチの車両であるためだ。
街の車両整備工のみならず、狩猟団の整備班を総動員した上でこうした車両群を揃えるだけでも、半月程の時間が掛かっている。車種は兎も角、これだけの台数を揃える為には、都市内に残された残骸からではどうしても調達できる部品の数が限られてしまい、備蓄された資材から新たに造り出す必要があった。それでも、割れたガラス類の調達までは手が回らず、乗り込む者に重ね着をして貰っているのが現状だった。
避難民が南に進み出して数日、“境界都市”への途上、一つ目の衛星都市に向かう間、既に数回のフォモールと遭遇している。ガードナー私設狩猟団のシンボルマークを右肩の掌盾に付けた隻腕のSFによりその全ての危地を脱していた為か、それともSFを操るパイロットが十代の少年であった為か、避難民の内、特に年少の子供たちからの絶大な人気を集めていた。今も、車両の素通しの窓から身を乗り出して一人の男の子が並走する隻腕のSF、“救世の光神”へと両手を振り、その子と同乗する女性のものらしき腕が、身を乗り出した男の子を車内に引き戻そうとしている。
ジョンは自身の操る機体の右手を振って男の子に返し、車列の最後尾へと“救世の光神”の視線を向けた。
『御主人様、車列の後方でトラブルが発生したようです』
「分かった、行ってみよう。周辺警戒は任せたよ、簡易神王機構」
『承りました、御主人様、広域索敵を開始、何らかの異常を発見次第お知らせします』
こちらへとを振っていた男の子が車両の中に引き込まれるのを確認すると、ジョンは隻腕の機体を翻して車列の後方へと機体を走らせる。車列の後方に到達したSFは、数台の車両が道路に立ち往生しているのを発見、操縦席の中で少年は機体制御システムに短く命令を飛ばした。
「外部スピーカー作動、作動停止のタイミングは簡易神王機構、君に任せる」
視界の隅に、外部スピーカーの作動を知らせるアイコンが表示されるのを見て取ると、ジョンは徐に口を開いた。
『――皆さん、どうしました⁉』
†
ごぽりと口から大きな気泡を履いた瞬間に、少女は閉じられていた双眸を開いた。
「……ここ、……は?」
少女は首を回そうとして、自身を取り巻く空間の全てから声が響く。人の耳には言葉として捉えることのできないその声が、彼女にはこれまで常に用いていた言葉を掛けられたように理解できた。
『……、…………。………………』
「そう、あなたの、おかあさんの中……ね。あ、れ、でもあたし、身体、動かな」
儘ならない身体を動かそうとして少女はもがく。辛うじて動かすことのできた首を回して彼女に見えたのは、一筋の光さえない薄暗闇だ。その場所に光が差していないことが分かる彼女は自身も理解せぬままにその闇の中を見通すことが出来ていた。彼女を包むように、再度、声ならぬ声が響く。
『……………………。…………………。……、……………………。……』
「おかあさん、じゃあ、あたし、もう少し休むわ。その時が来たら起してね」
少女は声に応えて瞼を落とした。その間際、ゆっくり持ち上げた右手の先が視界に映る。少女の瞳に映ったその手は黒の装甲に覆われ、指先は鉤の様に鋭く尖っていた。
(あたしの……手? ……こんなだったっけ?)
自身の手を訝しがりながら、少女は瞳を閉じる。彼女が母と呼ぶ者の声が子守唄の様に優しく響き、彼女はその意識を自身の心の深層へと手放して行った。
『……………………。……、……………………。………………………』
声を発していた存在は少女が深い眠りについたことを感じ取ると、少女の眠る球形の空間そのものを深く深く沈めていく。そして、鋼色の肌を持つ身長8mの鎧を纏う姿の、人間の少女、ダナ=ハリスンによく似た面差しの、そのフォモールの少女は微睡みの中、知らず口元に笑みを浮かべ、環境保全分子機械に満ちる羊水に沈み行く、人間の容を保ったまま、身体を構成する全ての環境保全分子機械への置換は完成されていた。しかし、その身を駆動させる意志と、身体に張り巡らされた神経系との接続は適っておらず、未だしばしの時を要するものと思われる。
『……、………………。……、……………………。………………………』
歌声を遠く響かせながら、人類領域大陸の東の端で大いなるモノは両腕を大きく開いた。全身を包む鋼色のヴェールが環境保全分子機械の粒子を散らして大きくはためく。
超巨大フォモールの女性の姿をした半身の腹部は臨月間際の様に大きく膨れており、内部に納まった物が今にも産まれ出ようとしているように見えた。
両腕を大きく広げた超巨大フォモールの足元に、何時の間にかルーク種と思われる数体のフォモールが駆け寄って侍り、超巨大フォモールに向かって臣下の礼を取っている。ダムヌは瞳を開かぬままに足元に侍ったルーク種達を睥睨、その内に紛れた一体、8mの体躯を持つ金に縁どられた黒の装甲を纏う人型兵器に右手を向けた。ダムヌの右の掌に無数の口が開き、環境保全分子機械粒子が迸り、蛇体を形成して襲い掛かる。
『ふむ、図体の割には、だが、存外鋭いものだな。鋼獣の女神よ』
ダムヌの放った無数の蛇は、そのSFに届くことなく、空中で縫い留められたように停止している。まるでそれは、自らの身体を駆動させる意思が二つあり、それぞれが二律背反しているかのように思われた。金黒のSFは背部に背負った機体の全高とほぼ同じ長さの大剣を抜き打ち、空中に縫い留められた蛇体を一閃で薙ぎ払う。
『しかし、矢張りというべきか、ルーク種とは違うようだな。流石に貴様までを操る事は叶わぬ、か。だが、それが分かっただけでも儲けもの。鋼獣の女神よ、行き掛けの駄賃だ。ルーク種は頂いて行こう』
超巨大フォモールは、金黒のSFに向けて右手を向ける。掌に開いた無数の口から噴き出した環境保全分子機械粒子の奔流が高温と雷光を迸らせ襲い掛かった。しかし、金黒のSFが襲い掛かる粒子の奔流に向かて左手を突き出すと、環境保全分子機械粒子は破壊力を喪失し、機体の周囲に粒子は散乱し空中に霧散した。
『無駄だ、我が剣に環境保全分子機械は届かぬよ。しかし、我にも貴様を討つことは出来ぬ、ゆえに、今は痛み分けとしようではないか』
大剣を背部に戻した金黒のSFは、己が機体に倍する体躯の翼を持つルーク種に歩み寄ると左手を突き出した。そして、そのままルーク種の背に乗るとフォモールはその翼を大きく広げ、背に金黒のSFを乗せたまま上空へと舞い上がって行った。
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