第181話 少年は森を往く
“樹林都市”が十数機のSFによる襲撃を受けた夜から、既に一ヵ月の時が過ぎていた。樹林都市に暮らしていた住民達は、地下の避難シェルターを後にして地上に舞い戻り、壊れた都市の廃墟に仮設の住居を設営し暮らしている。
寄る辺のないままに住民達が廃墟と化した都市で生活出来るわけも無く、都市の郊外に存在し、ほぼ全ての窓ガラスを破損した以外には目立った損傷の少ないガードナー私設狩猟団の団本拠の建物を中心として仮設キャンプは設営されていた。破壊しつくされたような都市の中で、唯一残った大きな建築物に怪訝な視線を向ける者も住民の中には存在している。だが、ガードナー私設狩猟団の団長アーヴィング・エルド=ガードナーが団本拠の地下に備蓄していた食糧をはじめとする支援物資を放出し続けている事で、狩猟団への疑惑の目を逸らせていた。
幾つものテントが建ち並ぶ狩猟団の敷地の片隅、団本拠の陰に位置しており、被害を免れたSF格納庫の前には、狩猟団の所有する二台のSF搬送車が停車しており、その後部懸架整備台に身を横たえる4機のSFが搭載されている。それは、この都市に残る最大戦力がその場に集結していることを意味していた。
SF搬送車の懸架整備台に見えるのはのは、エリステラの“妖精姫”、レナの“白猟犬”、それからレビンの“妖精騎士”と見慣れぬ機体が1機、しかし、どちらのSF搬送車にも隻腕の機体、救世の光神の姿は無く、それを操る少年の姿もその場には存在していなかった。
並んで停車しているSF搬送車の前に、ガードナー私設狩猟団の職員達が列をなして並んでいる。整列した職員たちの前に立つのは柔らかなウェーブを描く長い金髪を、シュシュを使って首の後ろで一つに束ね、柔らかな曲線を見せつける肢体にフィットする操縦服パイロットスーツに身を包んだ少女、エリステラ・ミランダ=ガードナー、ガードナー私設狩猟団SF部隊隊長であり、ガードナー私設狩猟団の創設者、アーヴィング・エルド=ガードナーの孫娘である少女だ。柔らかな金髪を揺らして周囲の職員達へ視線を巡らせ声を響かせる。
「この場にお集りの職員の皆さん、先日の“樹林都市”に見舞われた難事の最中でも常と変わらない、いえそれ以上の仕事ぶり、団長であるアーヴィングに代わり、わたしから心よりの感謝を申し上げます」
エリステラは職員達へ向かって深く頭を下げた。そして、すっと頭を上げると真直ぐに前を向いて深く息を胸の奥に送り込むと、複式発声で一際大きな声を出す。
「狩猟団からの備蓄物資の放出で、職員の皆さんやその家族の方々、崩壊後の都市に残った住民の生活をこの一ヵ月は辛うじて保つことが出来ました。ですが今、この街には何もかもが足りません、当たり前の事ですが消費すれば物資は無くなります。日用品や食糧などは特に、です。ここの地下にある物資は、切り詰めて行けばこれから半年ほどの間は都市に残った住民の生活を賄えるでしょう。そう出来るだけの量は確保されていると祖父からは伺っています。ですが、そうであっても、新たに物資の補給を行う必要性は無くなることはありません」
エリステラはそこで言葉を止めると、ゆっくりと職員達の顔を見まわした。職員の列の最前、黒髪に小間使いのお仕着せを纏った小柄な少女がエリステラへ笑顔を向けている。その隣では、技師長と副技師長が親子そろって機械油に汚れた手袋で鼻の下を擦り、そうして、居並ぶ皆が一様に少女の問い掛けに頷きを返してきた。
「皆さんは、毎食同じものを何日も食べる事に抵抗はありませんか? どんなに好物でも、そればかりが連日続いては、やがて見る事すら嫌になると思います。それから服に関してもそうです。暑い頃には薄手の服を、寒い頃には厚手の服と、季節が廻ればその季節に合った装いが必要となります。今わたしの纏うパイロットスーツのようには、同じ服をいつまでもという訳にもいきません。この度の都市崩壊で、大陸樹幹街道の東西を結ぶ隊商は、もう、この西の果ての“樹林都市”まで来てくれるとは考えられません。都市の廃墟はフォモールの恰好の棲家となるといわれていますし、ただでさえ、特殊変態という変異種が現れるようになってフォモールの脅威度も大きくなっていますから」
エリステラはゆっくりと深く息を吸い込む。少女の脳裏にほんの数日前の少年とのやり取りが一瞬浮かんだ。
「皆さんもご存知の通り、わたし達ガードナー私設狩猟団SF部隊の一員、隊員であるジョンさん、ジョン=ドゥは、先日、この都市を離れるという住民の方々の護衛として旅立ちました。“樹林都市”の衛星都市の内、東方にある都市群には、衛星都市キャンプ襲撃後に避難民が押し寄せている為、“樹林都市”を旅立った彼らを受け入れる余地はないと思われましたから、そうした情報を伝え、大樹林の南方に存在する衛星都市を目指して貰っています。そして、これからわたし達はジョンさん達の後を追いかけようと思います」
少女は整列する職員達の奥、そこからさらに離れた場所に視線を投げる。そこにはテーブルセットを広げ、我関せずと優雅にアフタヌーンティーを嗜んでいるエリステラより年少の少女公王と、その彼女の傍に立ち、ファルアリスの為に洗練された動作で紅茶を淹れる執事が周囲とは隔絶された雰囲気を放っていた。
「ファルアリスさん、それからセドリックさん、わたし達がここに戻ってくるまでの間、あなた方にはこの都市の防衛をお願いしたいと思っています」
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“樹林都市”の避難民を乗せた車列の中央から、弾かれるように飛び出した隻腕のSFは、大跳躍で車列を飛び越えると、全身に装備した5本の騎剣の内、失われた左腕の代わりの様に左肩に繋がれた騎剣を抜き放ち、車列の先頭に襲い掛かろうとした大柄なカバ型ポーン種に斬りかかった。
銀光一閃、一刀のもとにカバ型ポーン種を汚泥へと変えたSFは柄を握っていた右手の機械指から力を抜いて、振り抜いた騎剣をその勢いを殺さぬままに宙空に手放し、機体腰背部に右腕を回す。隻腕のSFは、そこにマウントされた長距離狙撃銃の銃把を掴み取ると“救世の光神”は路面を蹴り、強制的に機体を反転させ、車列後方へと振り替えると長距離狙撃銃が自身の機構により、銃身下部がスライドして銃身が伸展し、銃把覆が右手を包み込むのとほぼ同時、車列の後方、空中から急降下を始めていたトンボ型ビショップ種の群れを、“救世の光神”の銃口から解き放たれた弾丸が真正面から撃ち抜いた。空中でトンボ型が体内に満載した液化爆薬に引火、周囲のトンボ型を巻き込んで上空に巨大な火の玉を造り出す。
上空から爆風が追い駆ける“救世の光神”の足元を、避難民を乗せた車列が猛スピードで走り抜けていく。避難民の乗る車列に大きな被害が無かった事を見て取ると、ジョンはコクピット内に人知れず安堵のため息を吐いた。
「今回の襲撃は、これで打ち止めかな? 皆が無事だったし、まあ、良かった……」
パイロットの少年はそう漏らすと、機体腰背部に長距離狙撃銃を戻し、自律飛行して“救世の光神”の元に帰ってきた騎剣を左肩に接続すると、フォモールの変化した汚泥をそのままに避難民達の車列を追いかけ、踵部に展開した光輪状の脚部機動装輪で舗装路面を疾走し始めた。




