第179話 紅と瑠璃
無数の巨木が生い茂る昼なお暗い森の狭間を、一機のSFが駆け抜けていく。
黒の装甲に紅の縁取りをされた特殊仕様のAVENGER、アガサ・ヴィータ=マジェンタ専用騎は巨木の影から影に飛び込むように不規則な機動を行い、背後から迫る敵機がない事を確認しながら南へと進路を取り、本国フィル・ボルグ帝政国への帰投の途に就いていた。
「機体は見られたんだ。どうせあたしが何処の国のどういう立場かなんてバレてんだろうさね。……と、ここいらかい?」
一際大きな樹の影で紅黒の騎士騎は脚部機動装輪を停止する。足を止めた騎体の操縦席で、アガサは本国の方向に向けて通信を開始した。
「手筈通りなら、つかまる筈だがね……。“円卓”紅、アガサ・ヴィータ=マジェンタだ。居るんだろ、あたしだよ」
『はいはい、はいな、あー、姐さん? “円卓”瑠璃、ラピス・バーバラ=エンデだよー。ラピスは部下の連中で遊んでるとこだけど、何の用?』
繋がった回線の向こうから暢気な少女の声が響く。通信回線のむこうに居るのはアガサと同じ“円卓”の一角、最年少の特務騎士であるラピス・バーバラ=エンデという名の少女だ。暢気な少女の声とは裏腹に、言葉にもなっていない悲痛な声が背景音として通信越しに響いている。
「ボケたこと言ってんじゃないよ! ラピス、あんた、今回はあたしのバックアップだろ? また、いつもみたいに部下を殺して遊んでないで、生き残ってる奴らを連れてさっさとあたしを迎えに来な!! それとも合流地点の座標でも決めて置くかい?」
『姐さん、ラピスが姐さんと別れてから何日経ってると思うのさ。部下の連中なんて、今遊んでるのが最期の一人だったよ。流石にみんなもう動かなくなっちゃった。ラピスだけで迎えに行くね。んー、座標はこんなとこで良い?』
ラピスが提示したのは今のアガサ騎の存在する座標からはかなり外れた位置の座標だ。アガサはしばし、口を閉じ、脳裏に計算を巡らせる。
「……良いさ。じゃあそこで」
呟くと同時に通信を終え、樹の影から飛び出した紅黒の騎士騎は、不意に顔を出したヘラジカ型のフォモール・ポーン種に攻性防盾に連結する自在可動腕を射出、高速で撃ち出された攻性防盾外縁の高周波振動刃は大した抵抗も無く鋼色の獣を両断し、直後に自在可動腕は収縮、攻性防盾を左肩の定位置に戻した。
「幸先悪いねぇ、あぁやだやだ。フィル・ボルグに戻った所で、任務失敗の大目玉だろうし、迎えに来る同僚も最悪だわ。もののついでの憂さ晴らしだ、通りすがりに刻んでやるさね」
ヘラジカ型ポーン種には本物のヘラジカの様に数頭の群れで行動する習性がある。アガサが断ち割ったポーン種の背後から、頭部に備えた大角を構えた後続のヘラジカ型が巨木の幹を砕き削りながらアガサ騎へと突進して来た。
アガサ騎は右肩の自在可動腕を展開し射出、その先端に備えた鉤爪で横合いの巨木の幹を掴ませると高速で収縮させ、地面を蹴り飛び上がる。
通常の右腕で腰部から取り外した高周波振動短刃槍の刃を、騎体の下を行きすぎるヘラジカ型の進路にタイミングよく突き出し、突進してきたヘラジカ型は自らの勢いで左右二枚に下ろされていた。
追加でポーン種を下したアガサ騎は、右肩の自在可動腕の先端に備えた鉤爪を開いて自由落下に身を任せ、地面に足を着けると脚部機動装輪を駆動、左腕にも高周波振動短刃槍を抜き打ち、溶け崩れゆく同胞を無視しアガサ騎に挑みかかったヘラジカ型の残る数頭へ自分から走り込んでいく。
四脚の獣と槍を手にした人型の影が刹那に交差し、走り過ぎたその後で人型の影が立ち止まると、四脚の獣は微塵に刻まれ地に打ち撒けられた。
「噂に聞いた特殊変態ポーン種とやらでもない限り、高々ポーン種如きが、あたしを殺せるわけがないさ。……こっちの機体が手負いであろうとね」
汚泥へと変じていくフォモールの骸をその場に残し、紅黒の騎士騎はその場から西の方角へと進路を取る。何時しかその機影は、木々の生み出す陰に飲まれ見えなくなっていた。
†
瑠璃色の瞳を輝かせ、少女は血塗れの両手を勢いよく振り下ろした。華奢なその細腕の先には無骨な金属の塊に、無造作に棒を括り付けたような武器と呼ぶのもおこがましい鈍器を掴んでいる。勢いよく振り下ろされた鈍器は地面に深い窪みを穿った。続けて数度、破砕音が轟く。
窪みの直ぐ脇には、フィル・ボルグ帝政国の騎士階級と思しきパイロットスーツの人物が蹲り、身も世も無い様子で、自身に降りかかっている恐怖に激しく身を震わせていた。
「よいっしょ! よいしょ! よいしょー! ほら、さけないとおわっちゃうよー。キミには姐さんとお話してる時だけは休憩あげたのに、だらしないなー」
少女、ラピス・バーバラ=エンデは愛騎のコクピットから眼下で身を震わせる部下の様子を睥睨した。
「ラピスが勝ったら少しずつ壊すけど。キミが勝ったら一思いに壊してあげるんだよ? キミはどっちがいいのかな?」
瑠璃色で縁取りのされた黒の装甲を纏ったAVENGERは紅黒の騎士騎と同様に、可能な限り装甲を排除した軽装甲に調整されている。しかし、瑠璃黒の騎士騎は紅黒の騎士騎とは違い、両肩に可動腕式攻性防盾を装備していた。
機体背部には増設されたリア・ファル反応炉とそれに直結される大型推進器が装着されている。その最低限の装甲に覆われた両腕が保持するのは巨大な塊としか見えない金属殻とそれに守られる薬室と撃発装置、爆圧をそのまま衝撃力へと変換し、強大な攻撃力を発揮する兵器だ。本来は射撃兵装であるその無骨な塊を鈍器として用いるのは、偏に異端の“円卓”、特務騎士の少女、ラピスの嗜好だといえる。
「ざんねんだね、ラピスは姐さんと合流しないとだから、キミはここでげーむおーばーなのでした。とくべつだよ。うん、逃げていいよ」
パイロットスーツの帝国騎士は、少女の声を受けて這う這うの体で駆け出し、木々の陰に隠れ走り去って行った。駆け出したパイロットスーツの背中に向けて、ラピスは囁くように呟く。
「とくべつに、……撃ち殺してあげるから」
瑠璃黒の騎士騎は長い棒状の柄から片手を離し、膨らんだ塊に左手を這わせた。塊の下部からグリップが展開される。ラピス騎の左手が展開されたグリップを握り鈍器としか見えなかった兵器を地面と水平に構えた。
「主および予備、反応炉出力上昇、機関部への粒子供給開始、反動制御、両肩部攻性防盾推進器展開。分子機械粒子放出砲解放」
瑠璃黒の騎士騎の構えた砲身から、収束されていない分子機械粒子の奔流が光熱を伴って吐き出され始める。放出の勢いに後ろへ倒れ掛かるラピス騎の両肩で、攻性防盾はその先端を後方へと向け、盾裏から露出された推進器が背部の大型推進器と連動して作動、機体の前後に光炎を迸らせて機体を無理矢理に安定させた。
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