第174話 大樹林ケルヌンノス・ヘルシニア
ダスティンはまぶたの裏に、かつての閃光に目を焼かれた際の痛みを、記憶と共に幻痛として思い出す。知らずダスティンは片手で目を覆っていた。エレインは基底状態に移行し鎮静化していた筈のリア・ファル反応炉から急激に発生した粒子光の奔流に、彼女の前で壁となり倒れたダスティンの乗るDSFにより守られる。多少は遮られたものの膨大な粒子流の全てを一機のDSFのみでは留め防ぎきる事は出来ず、防護服越しではあったがその身に分子機械粒子を大量に被曝していた。
数年後、エレインは多発性の悪性腫瘍を発症し、若い内にその生涯を閉ざした。それはダスティンと、この事故直後に彼の妻となったエレインの間に生まれた一粒種、ベルティンがやっと物心がついた頃の事だった。
「あの時、エレインが機体の外に出て、残骸に近づいて行くまで、あの反応炉にはなんの反応もなかった。その事実は俺自身がこの目で計器や観測データから確認している。あの時の、他の要素を考えても、エレインの存在、生きて動く人間の存在を感知し、リア・ファルが反応したと考える以外に、あの反応炉を励起状態にできた条件は俺には考えつかん。一つ付け加えるなら、リア・ファルってのは死体に関しては人間とはみなしてはいないだろうってくらいか、死体がすぐ傍にあったってのに一度目の粒子放出以降はしばらく沈黙を保っていたわけだしな」
アーヴィングはダスティンに頷き、大樹に生る結晶体を指差した。
「リア・ファル、この分子機械結晶は人間という存在への敵愾心によって最大限に励起すると、僕は考えている。僕の場合は、ダスティンのような体験からのものではなく、樹林都市のデータベースに遺されていた情報から導いた仮説になるのだけれどね。まあ、現在の製品化したリア・ファル反応炉については君が事故にあった頃と比べても比較的安全だよ。機械的に分子機械を誤魔化し、人間の存在を知覚させてエネルギーを発生させているものだからね」
ダスティンの顔を見たアーヴィングは柔らかな笑顔を浮かべ、透明な壁の奥に見えるものについて解説を始める。
「奥に大樹が見えるだろう? 実をつける様にリア・ファルの結晶が生っているあの樹さ。ここの不完全なデータベースからはあの樹の正式名称やあれが作り出された経緯については抹消されていたんだけど、あの樹の習性については遺されていたんだ。どうやら、あの樹は地上まで伸びて、大樹林を形成しているらしいよ」
「まて、大将!? あの樹が大樹林を成す大樹の内の一本だとしても、大樹林を形成しているってのはどういうことだ!?」
技師長は団長の肩を両手で掴み、有り余る力で老紳士の身体を何度も前後に揺さぶった。
「いや、文字通り、大樹林とはあそこに見える大樹を指すという事さ。ダスティン、君も実際に目にしているだろう、大樹林の巨木を。不自然には思わなかったかい? あれだけの天を衝くような巨木群が、何故この地にのみ密集して群生しているのだろう、とかさ」
「ああ、そりゃあ、まあな。例え大陸樹幹街道を通ってだとしても、大樹林に初めて足を踏み入れる時、この世界の誰もが感じる疑問だと思うぜ。だが、大樹林を成しているって樹と、ここにあるリア・ファルの樹に何の関係があるっていうんだ、大将?」
飄々と返すアーヴィングの物言いに毒気を抜かれたダスティンは、団長の身体を揺さぶるのを止め、訝し気な視線を送る。
「まあまあ、それから尚且つ、あの樹がこの惑星の地上に顔を出してから、まだ数百年程度しか経過していないといって信じられるかい?」
「んなわけねえよ、科学雑誌に論文書いてる連邦大の植物学者連中だって、大樹林の比較的若い樹の一本すら数千年から数万年の樹齢があるってぇ研究結果があるんだぜ。いくら大将の話しだって、そんなの信じられるわけがねえ」
「まあ、君が信じようと信じまいとどちらでも良い事ではあるか。君以外の職員たちもポカンとした顔をしているしね。でも、ダスティンそれから職員の皆も、ちょっとこれを見てくれないか?」
アーヴィングはダスティンのそばから離れ、床から突き出したままの昇降機の操作盤に近付いた。ガードナー私設狩猟団の団長が操作盤に指を這わせるとそれまで、その奥の光景を透かしていた壁が透明さを失い白く色づく。壁面中央部が四角く切り取られた様に大きなスクリーンと化してある映像を映し始めた。
「おい、大将、コイツは!?」
「ここに遺されていた記録映像だよ。もう直ぐ上のごたごたも終わるだろうからね、最後までとはいかないが見ていくと良い、ちょっと常識が壊れるだろうけれど、まあ、それに固執する意味も無いさ、僕にも、もちろん、ガードナー私設狩猟団の全職員にもね。まあ、なにより暇つぶしにはなる」
そこに映し出されたのは、樹林都市からと思しき視点で撮影された永い永い昏き虚空の旅の記録だ。ダスティンは言葉を発することさえ忘れ、造り物とは到底思えぬその映像に引き込まれて行った。
「要点以外は早く流すよ。全てを撮られた時間のままに見るには、僕らの寿命だけでは到底足りないからね」
闇の中を征く航宙艦は樹林都市一隻ではなく、同型と思われる艦が何隻も、何十隻と連なり整然として先も見えぬ闇の中へと進んでいく。航宙艦同士の間にはどういったものか分からないもののやり取りがあり、無数の小さな光点が航宙艦同士の間を行き交っていた。
始めの数世紀、無数の航宙艦が連なり進むその旅は穏やかに過ぎている様だった。しかし、始めの内は活発だった航宙艦同士間での光点のやり取りは次第に緩やかに減少していき、光点の行き交う距離までが次第に拡がっていく。やがては整然としていた航宙艦同士の距離までが不規則に離れた。それから更に数世紀が過ぎた頃、既にやり取りを行う事すら無くなり、千々に乱れた航宙艦の航跡の幾つかが重なり合う事で祖を同じくする者同士の間に小規模な戦闘が起き始める。
樹林都市もまた、同型の航宙艦との戦闘に巻き込まれる事が幾度かあった。だが、樹林都市の舵を操る者は積極的な戦闘に移る事を良しとしなかったのか、樹林都市は戦闘を避けるように他の艦から離れた進路を取る。
更に数世紀が過ぎ、樹林都市は同型の航宙艦艦隊から完全にはぐれ、単艦での独立した旅を送っていた。
虚空の中、樹林都市はその惑星を見つける。樹林都市の旅立った母星と等しい重力と、母星とほぼ変わらぬ公転周期を持つ、しかし、母星の数倍の大きさを持つ惑星に、この艦は辿り着いた。
その惑星は、しかし、樹林都市の住民がそのまま移り住むには環境が過酷だった。惑星の大きさゆえに、惑星上に存在するいくつかの大陸は、その内陸部はほぼ全てが巨大な砂漠と化しており、水は存在するものの、大気に含まれた水分は沿岸で全てが雨になってしまう。
樹林都市に住まう住民達は思考を巡らせた、樹林都市を降り、惑星上で生活する為には何をすべきであるかを、そして、樹林都市に住まう住民達は分子機械群を用いて惑星環境を改善し、自らは衛星軌道上で眠りにつくことを選択した。
その惑星の衛星であるかのように艦に擬装を施し、艦内環境を清浄化する環境保全分子機械群に母星環境化のためのデータを与え惑星の大気圏に放出する。
そして、樹林都市に住まう住民達は地上での生活を夢にして数万年の眠りについた。そして、ガードナーとは時間停止睡眠についた人間達に代わり艦の正常運用の為に、ただそのために生み出された人間擬きの名だ。その名を受け継いだ血族の裔が自嘲気味に笑う。
「おかしいだろう、樹林都市の住民達の数万年の眠り、その間に環境の整ったこの惑星には樹林都市の同型艦が幾つも降りてきてね。数万年を掛けてようやく整った惑星の環境を、無造作に破壊したんだ」
環境保全分子機械群体が人間を排除対象とするのも当然の事だった。声に出さずアーヴィングはそう呟いた。




