第147話 女王降臨
鋼色のソレは進行方向に唐突に出現した銀の鎧を纏う“銀腕の救世者”に頓着せず、ゆっくりと滑るように目的地を目指し空を進んでいく。
ソレの大きさは推定で全高約10㎞とされる魔猪のルーク種さえ霞むほどに大きく、傍からみてひどくゆっくりに見えるその飛行速度は、既に音速を優に超えていた。
小さな大陸ほどもある大きさのそれは、六つの頂点を上下左右と前後に向けた立方体の形をしている。前部には、それのみでさえも巨体を誇ったルーク種に優る大きさをした両腕で自身の肩を抱く、冠を頭部に頂いた鋼色の女性像が埋め込まれていた。
遠景では艶やかな肌をしているように見えるその女性像は、それの埋め込まれた立方体までもが、近傍で見るとこの惑星上に存在するありとあらゆる動物を歪に組み合わせたものである事が窺える。
巨大な質量を内包したソレは、銀の鎧を纏う“銀腕の救世者”へと自身の移動により発生した衝撃波を叩き付け、そのまま通り過ぎようとした。
銀の鎧を纏う“銀腕の救世者”を発生源とした粒子光の奔流が渦となり、ソレの進行は強制的に停止され妨げられる。
“銀腕の救世者”は刹那の間に幾条もの金属帯を全身に巻きつけた“救世の光神”へとその姿を変じていた。しかし、魔猪のルーク種や“梟の騎士”との戦闘の際に変じた姿とは微妙に変わっており、特にその機械的な顔貌は搭乗者である少年ジョン・ドゥの容貌が反映されているものではない。
“救世の光神”の周囲に、右肩や右下腕、左右両腰部と腰背部に装着されていた掌盾状の左右辺の長い五角形の金属板が機体から分離、右下腕のものは掌部に移動し、五角形の底辺から伸びた量子機械群の形成した柄を握ると底辺以外の全周から放出された量子力場が固着、物質化し長大な刃を形成、“救世の光神”の右掌に騎剣が形成される。しかし、銀色の左腕は展開される事無く、強大な威力を発揮する“神王晃剣”が伸長する様子も無い。その代わりなのか、自立機動攻撃兵器の残る四機のうち一機が左腕にもう一振りの量子刃形成騎剣と変じて握られ、三機の自律機動攻撃兵器は装甲面を機体前方に向け、粒子光の渦に重なって風車のように回転を始める。
進行を妨げられたソレは埋め込まれた女性像の閉じられていた瞼を開き、自らを押し留めた人型機械をねめつけた。瞼の奥に納まっていた眼球は人のそれと同じような形状をしていたが、これもよく見れば昆虫を思わせる複眼がいくつも重なり合い人の眼球と同様の形状を形作っているに過ぎない。
立方体に埋め込まれていた女性像は上体を起こし、自身の肩を抱いていた両腕を開く。同時に立方体が女性像との接続部を起点に腰部から後方へと展開されスカート状の形態へ変化、立方体の内部から押し出されるようにまろび出た烏賊や蛸を思わせる無数の触腕が伸びて棚引き、スカート状に変化した立方体の側面から回遊魚の背鰭を思わせる鰭状の翼が斜め下方に向けて形成された。
異形の人魚と呼べる形状へと変化した環境保全分子機械群体上位戦闘体にして、全ての環境保全分子機械群体を産み出した製造プラント、クィーン種の名の如く分子機械群体制御中枢であり、環境保全分子機械群体の最小単位より女神とも呼ばれるソレは“ダムヌ”という個体名を発生時に刻印されている。
“ダムヌ”の後方へ立方体の展開時に内部に取り込まれていた多量の海水が飛沫となって飛び散り雲となった。巨大な質量体が姿を変じたその速度は、物理法則を無視したような高速であり、開かれた両腕が、展開された立方体が周囲の空間を叩いた余波は、再度、衝撃波となって、“救世の光神”に襲い掛かる。
“救世の光神”は機体前方で回転する三機の自律機動攻撃兵器に先導されるように飛翔し、左腕の量子刃形成騎剣で衝撃波を斬り裂いて、その向こう側へと斬り込んでいった。
†
少年はいつもよく見慣れた狭い空間に閉じ込められ、機体へと繋がれたまま、左腕を通して機体へと抜き取られていく何かに違和感を覚え、左腕を抑えながら機体制御システムへと問い掛ける。少年ジョン=ドゥが“救世の光神”の形態となったまま、コクピット内で意識を保っているのは今回が初であったが、周りを気に出来るような余裕は今の彼には無かった。
「これ、なにか……僕の身体から、抜き取っているのか? “簡易神王機構”、どうなっているんだ!?」
『ご主人様、量子機械は際限なく量子誘因反応炉を稼働させています。しかし、それでさえエネルギー供給や、それに伴う量子機械の生成が間に合わず、量子機械を身に宿すご主人様からも吸い上げているものと思われます』
簡易神王機構の機械音声は、そこで一度言葉を区切ると、少し間をあけて言葉を続けた。
『本来の“救世の光神”の能力であれば、あの超巨大質量フォモールであれ消滅させることは計算上可能、ですが、現状のまま、闇雲な戦闘が長引いてしまえばあちらへ大した痛手を与える前にこちらの機体が限界を迎えると予測されます』
少年の意思が介在せぬままに、機体を構成する量子機械は、ジョンから見て我武者羅としか言えないような無様な戦闘を繰り広げている。量子機械のみでは使用不能な機能が存在するのか、目の前の超巨大フォモールを一撃で消し飛ばせるだろう“銀色の左腕”は“神王晃剣”さえ使用できない有様だ。
「“簡易神王機構”、量子機械の説得はできないのっ!?。僕も戦闘に加わらせろってさ!!」
『接触は行っていますが、量子機械はほぼ自閉状態となっています。どこまで食い下がれるかわかりませんが、ご主人様の要望です。可能な限り、量子機械への説得を試みます』
量子機械粒子が“救世の光神”の機体全体から際限なく放出され続け、ジョンの意識まで流れ出て消えてしまいそうになる。
「……急いで、もう……意識を保つのも……」
少年は絞り出すようにそう言葉を溢し、落ちそうになる瞼を必死に開き続けようとした。簡易神王機構はパイロットであるジョンの状況を見守りつつ、量子機械への説得を続け、更に外部での戦闘状況の観測も行う。
『駄目です!! ご主人様!?』
不意に、少年の意識はとうとう闇に飲まれていった。
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