第145話 大いなるモノ/褐色の騎士と蒼の騎士
その日、人類領域大陸沿岸部各所でほぼ同時に不自然な海面の下降を観測した。
遥か遠き海底に裂ける尚も深き海溝の底に横臥していたその存在は、声にならない、音声ではない空間を軋ませた愛し子の悲鳴によって無理矢理に覚醒へと導かれる。
一度や二度であるならば、身を引き裂かれんとする愛し子達の声ならぬ声にも自らを押し止めることは出来た。しかし、こうも短期間の内に幾度も悲壮な悲鳴を聴かされては、その存在をしてそのまま捨て置くことは出来ず、その大いなる存在は全長数百kmにも及ぶ巨体を海溝の底でゆっくりと起こすと、傍からは緩慢に見えるけれどその巨体からは想像の出来ない速度で海面への浮上を始める。
途轍もなく巨いな大質量の水平移動に、その身の周囲の海水が幾筋もの渦を巻き、海面近くの海水と海底近くの海水が強制的に撹拌され、海上に続く巨大な渦潮の柱が何本も林立した。
身じろいだとしか表現の出来ないその存在にとっての何気ない動作でありながら、釣られ引き起こされた大波は大気までをも巻いて雷雲を呼ぶ大嵐を巻き起こし、天変地異としか呼びようのない光景を世界に現出させる。
同じ日、人類領域大陸各地の沿岸都市の多くは突如として連鎖的に襲い掛かってきた未曾有の大津波に抗する間もなく薙ぎ払われた。津波の後に残った都市機能を維持出来た数都市も、街を囲む防波壁兼用の街壁により辛うじてといった有様で、都市としての寿命は風前の灯火と表現せざるを得ず、その各都市に生き残り生活を営んできた住民達の行く末は先の見えない暗闇の中へと暗転していく。
その大いなるモノはその日、初めて現生人類の前にその姿を顕現した。
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人類領域大陸沿岸の各都市を襲った津波の発生と時を同じくして、戦場の最前を脚部機動装輪で走り抜けるクェーサル軍のD型装備“TRAILBLAZER”のパイロットは、傍らを並走していた僚機が敵陣奥の遠間から放たれた銃弾に撃たれる様をむざむざと見せ付けられた。
周囲には黒の装甲に包まれた敵軍のフィル・ボルグ製SFの数も多く、撃たれた僚機の無事を確かめに走ることも出来ずにいる。
だからこそ、しばらくしてその地面に倒れ伏した僚機が再び起き上がった事は天啓のように感じられたのだ。しかし、そうした感慨も、刹那の内に言い様の無い恐怖に塗り替えられる。再び起き上がった僚機の装甲の隙間から銀色の粘液が溢れ出して内側からSFの装甲を破裂させ、人型の何かが姿を現したのだ。僚機であった何かは味方であったSFに顔だったものを向けるとよろよろと近付き組み付いてくる。
パイロットが恐慌に見舞われるその時、コクピットの通信設備を通して敵軍であるフィル・ボルグの不自然な通信が耳に飛び込んで来た。
『クェーサルは機体にフォモールを飼っているぞ!』
周囲に対峙していたフィル・ボルグ製SFは一塊となって動き出し、僚機だったものに組み付かれ身動きの取れなくなったクェーサル製SFへと次々と手にした得物を突き立て、組み付いたフォモール毎、ハリネズミを思わせるオブジェに変える。
クェーサルのD型装備“TRAILBLAZER”のパイロットが最期に目にしたのは、自機に牙を突き立てんとする僚機だったフォモールの姿だった。おぞましい光景が視界に飛び込んだ瞬間、彼または彼女はコクピット隔壁を貫通した鋼鉄の刃に断たれその生命を散らす。
より悲惨なのは、その戦場の様を傍観せざるを得なかったクェーサル陣営の後方で支援攻撃に回っていた砲戦仕様のG型装備“TRAILBLAZER”に搭乗していた兵士達だ。
彼らは理由も分からぬままに味方と味方だった何かの同士討ちを、更には敵軍に味方機が集団で討たれるという光景を見せ付けられ、あまりにもタイミングよく流された敵軍からの不自然な通信に感化された軍の一部が暴走し積極的な同士討ちに走り出す味方ともいえぬ味方へと自衛のために反撃、自らの手を味方の血で濯ぐ様にしながら結果としてさらなる同士討ちを助長してしまう事となった。
クェーサル側は既に軍隊としての体裁を整えることさえ出来ず、見る間に統率を失って瞬く間に瓦解、大陸中央平原の戦いはフィル・ボルグへと完全に軍配が上がる。
†
今もなお両軍の激突する戦場の中央より、フィル・ボルグ陣から一騎の“AVENGER”が飛び出していく。
その進路上に混乱する両軍の軍勢の影は無く、駆け抜ける軌跡の果てに射撃戦仕様特殊装備の“円卓”専用の“AVENGER”が佇むのみ、それを操るダレン・ペイル=ユークリッドは自機を目掛け一直線に駆けて来る味方機へ、戯れに己がSFが手にする|複合弾式二連銃身狙撃銃の銃口を差し向けた。
銃口を向けられた黒騎士は意に介さぬとばかりに加速、左肩の可動腕式攻性防盾を機体前面に展開、機体右腕を構えた盾の裏に隠すように動かす。黒騎士の動作に隠しきれない殺気を悟り、ダレンは複合弾式二連銃身狙撃銃の銃身上下に斜めに突き出した空の弾倉を排出、自機の両肩の可動腕式防盾一体型裏に、折り畳み銃身長距離狙撃銃の可動の邪魔にならない位置で懸架された現状手元にある最後の弾倉二本を取り出すと、一呼吸の間に複合弾式二連銃身狙撃銃の上下両側に装填、駆け寄ってくるただ一騎の黒騎士へ鉛色の殺意を解き放つ。
黒騎士は放たれた弾丸に超反応を示し、可動腕式攻性防盾の高周波振動刃と左手で抜き放った折り畳み式騎剣の抜き打ちで、ほぼ同時に着弾する、微かに狙いの外れた二発の弾丸を切り捨て走る。黒騎士の動きはそこで止まらず、盾裏に隠していた右腕で伸長させた高周波振動薙刀を投げ放っていた。
「そうか貴様、……ヒューゴー!!」
特徴的な長柄武器の投擲術、更にはその機体の一般仕様騎の“AVENGER”とは思えぬ動作にダレンは、放たれた高周波振動薙刀を|複合弾式二連銃身狙撃銃の銃身下部の銃剣で打ち払いながらそれを操る者の名を口走る。
『……ユークリッド卿、卿はこの場で始末する。どのような状況であれこの場は戦場。死体が一つ増えた所でいかような言い訳も立つ』
「……死人に口なし、か。分かり易い爺だ。……貴様の科白、それはこちらの言葉だ」
蒼黒の騎士は弾丸の切れた両肩の折り畳み銃身長距離狙撃銃を除装、機体重量を軽量化し、右腕に構えた|複合弾式二連銃身狙撃銃に左腰部の突撃銃を左手に取り構えると脚部機動装輪を展開、蒼黒の騎士は黒騎士と銃撃と斬撃を重ね合わせ、甚だしく物騒な二人輪舞を舞い始めた。
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