第136話 影の主
暗い広間の中央、調度品代わりにしつらえられた豪奢なソファーに男は腰を下ろした。男の対面側には明かりが差さず、わだかまった闇の中に一つの影が見える。
男はジャケットから煙草を取り出すとおもむろに口に咥えた。
「良かったのか? 出て行っちまったぞ、アンタ等の女神とやら?」
クッションの効いたソファーに身を預けた男は煙草を咥えたまま、ぞんざいな口調で言う。
『あれはああいうものだ。構わんよ。そしてあの程度の末端では、筋書きへの影響はない』
男と対面する何かは、流暢な人の言葉で男に応じた。男は咥えた煙草の先を揺らし両腕を頭の後ろに組んで背もたれに体重をかけて返す。
「というか、だな、俺はこれからどうなる? まだジョン=ドゥと本気で遣り合ったわけじゃあないが、アンタからの依頼は不達成になっちまったわけだが」
『どうもしない、次の出番までは待機して貰う事にはなろうがね。アンディ=オウル』
男、アンディは咥えていた煙草に革ジャケットのポケットから取り出したオイルライターで火を灯し、肺に煙を深く吸い込んだ。胸に溜めた煙と一緒に言葉を吐き出す。
「あんたからの伝言役があんなのじゃなけりゃな。その言葉も額面通りに受け取れるんだがね」
アンディは指に挟んだ煙草を唇から離し火の着いた端で、対面の影の後ろ、広間の隅に控えている人影を示した。煙草の火に示された人影は、馴れ馴れしい態度でアンディへと手を振っている。その姿はアンディの神経を逆撫でするのか、雑務傭兵の男は酷く嫌そうに顔をしかめた。
「アイツ、アンタの方でどうにかしてくれ。アンタからの伝言のついでに俺にトラップや爆発物やら、面倒なもんを仕掛けてきやがる。おちおち休んでもいられねえうえに、うざったくて仕方ねえ」
目前の影はアンディの言葉を噛み締めるように頷いてみせ、男へと言葉を返す。
『ふむ、だが、君はアレの仕掛けの尽くに対処し退けてきたのだろう? ならば、問題はあるまいよ。それに、こちらにしても使いでのある者かを選別する必要はある。――特に人間は、アレ等と似ていても違うのでな、気になってしまうのだろう』
その応えに、雑務傭兵は咥え煙草のまま大仰に肩を竦めた。ソファーに吸いかけの煙草の火を押し付けてにじり消すと話にならんとその場に立ち上がると広間の出口に向かって足早に歩き出す。
「気に障ったか雑務傭兵? 君の機体、BLAZERについての報告もある。もうしばらくはこの場に残るとよいと提案しよう。アンディ=オウル、いや……旧き王統の末裔よ」
広間の隅に立っていた人影はその場から去っていこうとする雑務傭兵に近寄りながらそう声を掛けた。その声を背に受けたアンディはその場に歩を止めると弾かれたように背後に振り返り、声の主へと鋭い視線を送る。
「……なんで、テメェが知ってやがる。答えに寄っちゃあ、テメェが何であろうとこの場で殺すぞ」
アンディが睨み付ける先に居たのは、いつかネミディア連邦首都の路地裏でアンディへ水晶型の記録媒体を手渡していた人物だ。その人物は雑務傭兵へと歩いて近づきながらその姿を身長から頭髪の長さ、容貌までも全てを粘土細工のようにぐにゃぐにゃと変えていく。アンディの眼前に辿り着いた時、その姿は雑務傭兵にも見覚えの有る違う誰かのものへと変わっていた。
「なんでも何も君じゃないか。このアタシに教えたのは」
アンディは自身より高い位置にある顔へと視線を上げ、長い金髪を掻き上げる青年の顔に目を見張る。
「な、そいつぁ……」
絶句する雑務傭兵に顔を近づけ、張り付いたような笑顔を見せた。アンディは自身でも思わず超硬化処理陶製ダガーで目前の首を斬りつける。
「君のお陰だよ、アンディ=オウル。衝撃でぐちゃぐちゃになっていたから、なかなか読み取るのに時間は掛かったけれどね、これで僕にも君らの使う人形の上手な繰り方が習得できた。それから、造り方の方もね」
ぱっくりと開いた首の創を意に介さず、笑顔を張り付けたままの顔面がどろりと崩れ日に焼けた厳つい中年の顔に変わり、長身の身体は短駆に、長い金髪も短いドレッドヘアに変わっていった。雑務傭兵は構えたダガーを何度となく振り回し、その存在を自身に近寄らせまいとする。
「言っていなかったがね、アンディ=オウル。僕はいつでも君の傍に僕自身の一部を潜ませているんだ。――ああ、今更、周囲を気にしたって意味はないさ。僕の一部はそれで見えるような大きさでもないしね」
幾度も身体を斬りつけられながらも意に介す事も無く、形無き者は自身の周囲に目を凝らすアンディに向かって言葉を重ねた。流石にそれに斬りつけることが無意味な行為でない事に気づき、雑務傭兵はダガーをジャケット裏の鞘に収め、片手で掴むように顔面を覆う。形無き者はそれからも何人もの姿を取りアンディに見せつける。
「くそっ、殺した相手の顔ばっか見せつけやがって。……悪夢かよ。こいつは……」
「こちらの糧になるので、君に初めて依頼した時から、対象の情報はこうして貰っていたのさ。だが、厄介なことに生きている者からは情報が抜き出せなくてね。一度、死んでもらわないとならないのが難点なんだ。そうすると、脳内の情報も劣化してしまうものでね。うまく抜けるようになるのには僕でも苦労したよ」
雑務傭兵は形無き者の顔の前で手を振り、尚も言葉を続けようとするのを制した。
「もういい、さっさと俺の機体の話に入れ」
「ああ、そうだった。そうだったよ。君に遂に告げられると思うと嬉しくてね。思わず話が脱線してしまったよ」
形無き者は嬉し気に今も変わり続ける顔に変わらない張り付いた笑みを浮かべる。雑務傭兵は嫌なものを見たと顔をしかめ、思わず訊かなくてもよい事を問い掛けていた。
「よう、……まさか、お前が俺を罠に掛けようとしていたのは……」
「うん、君の知識も貰えるかなと思って。でも、主からは君を殺すのは止められていたからね、仕掛けをした時にはちゃあんと教えていただろう?」
知らなくてよい事を聞いたアンディは脱力感に襲われながら、へらへらと笑う形無き者の顔面に超硬化処理陶製ダガーを苛立ち紛れに突き立てた。
「いい加減、黙れよ。それで俺のBLAZERがどうした、さっさと言えよ」
形無き者は顔面に突き立てられたダガーを雑務傭兵の手ごと両手で押し退け、手で顔を撫でつけると、深く突き立てられた刺し傷は瞬く間に塞がっている。
「まったく、乱暴だな君は。刺されるのは痛いんだよ、これでも。前に言ったよね」
尚も続けようとする形無き者にアンディは手にしたダガーをチラつかせて黙らせる。
「――じゃあ本題、君のSFだけど、銀腕の量子機械が反応炉内に残留しているみたいでね、現在は全力稼働ができなくなってるってさ。まあ、後数日もあれば反応炉内の量子機械も全て崩壊するけれど、それまでは乗らない方がいいらしいよ」
「チ、そうかよ、だったら……おい、一部屋、借りるぜ。なんかありゃ呼べ」
雑務傭兵は舌打ちを一つ、影からの答えを待たずに広間の出口へと向かって歩き出した。
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