第135話 伸ばされる手
左腕を形作っていた金属帯が展開され、下方から吹き上がる旋風に煽られ機体後方に向かって棚引いている。
ポーン種の背を獲ったSFは己の左腕に機体の全体重を乗せるように、力を込めてまっすぐに突き下ろした。
銀腕の先に連なったクリスタル状の球体から伸びた粒子光を束ねた光熱の刃が、足蹴にされ地に押し付けられた鋼獣の背に浮かび上がった女性像の胸の中央に高熱に溶融する円形の穴を穿ち、ゆっくりと沈み込んでいく。
「このまま……終われ! うわ、何っ!?」
そのまま光の刃が鋼色の獣身を貫通するかと思われたその時、巨大な顎が大きく開け放たれ、銀腕のSFはその膂力にポーン種の背中から跳ね飛ばされていた。
ポーン種の背に穿たれた大きな傷はそのままに上顎も、下顎と同じく中央から二つに割れ、四つに分かれた上顎と下顎が巻き込むように捲れ返る。
最早、雌ライオンだったその外見は僅かにその四肢に名残があるのみ、後に残るその形状はなんとも形容しがたい物へと変化していた。いつの間にか鋼獣の残る四肢も割れ、其処から湧き出した鋼色の粘液によって重なって形成された薄い刃が装甲のように巻き付いている。
跳ね飛ばされたSFはまず右手の中の騎剣を腰背部に格納すると、空中で手足を振り姿勢を整えようとしたが、その時すでに裏返った鋼獣はその四肢で人型の機影を追って地を蹴っていた。
「簡易神王機構、今すぐ“神王晃剣”を解除、そのまま“銀腕光輝”を再展開!」
『承りました、ご主人様』
宙に打ち上げられた“銀腕の救世者”は左腕を通常形態へと戻し、機体腹部に格納されている量子誘因反応炉を限界稼働させ、発生させた量子機械粒子を機体各部から放出、新たな粒子防御膜を発生させた上で、その機体を操る少年は眼下に高速で迫るポーン種に注意を払っている。だが、地を駆ける鋼獣はその姿を変えていようとも文字通りの獣の俊敏さでSFの落下予想地点に先回りし、裏返った鋼色の肉に無数に並んだ獣牙を弾丸のように撃ち出した。
自由落下に任せて地に落ちるはずの機体はしかし、その牙に貫かれることなく物理法則を無視した軌道で、落ちるように獣牙の弾丸を回避し滑っていく。
ポーン種の牙が放たれる寸前、“銀腕の救世者”のコクピットでは、鋼獣の放つであろう攻撃に備えてのパイロットたる少年と機体制御システムとのやり取りが行われていた。
「量子誘因開始、偏向ヒッグス場急速展開、機体落下方向を僕の思考に直結! それから“雷光”の銃身に粒子防御膜を纏わせろ!!」
『ご主人様、それは可能です。しかし攻撃力は“神王晃剣”と比べれば程遠いものとなります』
「いい、どうせ牽制だしね。威力にまで期待しないよ」
空中に放物線を描いて飛ぶ“救世者”は腰背部の接続端子から長距離狙撃銃“雷光”を取り外し、流れるような動作で折り畳まれていた銃身を延伸、右手で銃把を握り締め、手指の戻った左手を機関部に沿える。銀色の左腕を持ったSFが空中で長銃を構えたその時、ポーン種の牙が鋼色の肉から解き放たれた。
少年の思考は機体にかかる重力方向を水平に偏向、機体制御システムは機体脚部足底付近に放出した量子機械粒子防御膜を瞬間崩壊する塊として固着、それを足場としてSFという機械の脚部の全力で蹴り抜き、獣牙の射線から機体を高速で脱出させる。
少年が視線を巡らせ、自機に向かって放たれた射線を辿って見れば“神王晃剣”の刃を受けたポーン種も流石に無傷とはいかなかったのか、身体の中心に穿たれた大穴から黒煙を上げていた。
「よっ、とと! ふう、どうにか避けられたね」
『はいご主人様、直近の危機は脱することが出来た模様です。しかし、反応炉の粒子放出量臨界、機体各部にオーバーロードにより警報が発生しています。可能な限り早急に戦闘状況の終了を推奨します』
「そうは言うけどさ、簡易神王機構。そもそもあのフォモールが“神王晃剣”の粒子刃で身体に大穴を空けられたのに汚泥に変わってないって事がおかしいんだよ」
ジョンは機体落下方向を小刻みに変え、手にした銃を放つのに最適な距離を取ろうとしている。だが、SFを追って特異型ポーン種の放っていた弾丸は最早なく、その事実は少年のSFが与えたダメージがそのフォモールの個体にとって決して小さなものではない事を暗示させていた。
「でも、それも無駄じゃなかったならいいさ。――さ、無駄話は終わり。“簡易神王機構”射撃管制を、うんそのまま、銃口に量子機械粒子を収束、行くよ!」
ジョンの思考制御により機体にかかる重力方向を変更されたSFは、前方に向かって落下しながら、弾倉に残っていた弾丸を空にさせ、量子機械粒子を纏った弾丸が先導する空中をまっすぐに突き抜けた。その最中に弾倉を交換し終えており、ポーン種の特異個体と“銀腕の救世者”の機体が互いの距離を詰めていく。
機体の先を飛ぶ量子機械粒子をまとった狙撃弾は特異個体の四肢を覆う鋼色の粘膜刃を撃ち抜いて獣の四肢を砕き、ポーン種をその場に釘付けにした。
「今度こそ!!」
“銀腕の救世者”は構えた長銃の量子機械粒子を纏った銃身をポーン種の捲れた肉の中心に突き刺すと路上に着地、低い姿勢を保ったまま脚部機動装輪で加速し特異個体を掬い上げるようにして持ち上げながらジョンは銃爪を引き絞る。
「最後だ、“神王晃剣”!!!」
そのまま銃身を半円を描くように動かしてポーン種を投げ捨て、自動で銃身の折り畳まれた“雷光”を腰背部に戻すと“銀色の左腕”を展開、投げ捨てた特異個体を追い駆け、撫で斬りに左腕を振り抜いて走り抜けた。
『敵個体反応、急速に減少。ご主人様、貴方の勝利です』
脚部機動装輪で走り抜けた“救世者”は旋回し、“神王晃剣”の光刃により斬り捨てたポーン種に機体を向き直させる。
その色を黒に染め変えた鋼獣の身体が汚泥へと変わる瞬間、獣の体内から女性を思わせる右腕が空へと向かって伸ばされ、何かを掴むように指が握り込まれると直後、灰と化して砕け散った。
同時に鋼獣の骸は汚泥へと姿を変じ、直前に出現した謎の腕と同じように灰へと変わると後には鋼獣の存在した痕跡すら残ることは無かった。
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