第134話 底知れぬ鋼獣
その鋼獣は、自らの変化に気付いていなかった。
もしその獣が自らの身に起きた変化として感じていた事があるとすれば、いつもより己の爪が牙が、今までより長く鋭くなり、容易く人形の鋼の皮に突き刺さるようになったという点だけだ。
同じような姿の人形と連なって走る動く箱の列を庇うためにこの場にただ一体のみ残った左腕のみ銀色をした巨大な人形を、ただ、眼前に立ち塞がるこの敵を、その鋼獣は内心に生まれた苛立ち怒りとや怒りと似た感情からそのまま捨て置くことが出来ず、踵に付いた車輪で接近して来るその敵へと自らの駆け寄り己の爪牙を振るわんとする。
そして、その獣は自らがこの場に残る事によって逃走させた己以外のポーン種の群へと森の中から動く箱の列を追跡するように意思を飛ばした。
敵意をその銀腕へと向けた瞬間、鋼獣の通った軌跡から無形のはずの敵意が形を成したように、牙の姿をした小さな顎をもつ飛礫が幾つも生まれ、その後部で空気が銀腕の人形へと襲い掛かっていく。
己の周囲に発生した無数の飛礫は銀腕の人形の周囲に展開された膜状に輝く粒子に阻まれ、または人形の右手が持つ掌盾の前方に形成された粒子光の円錐に絡め獲られ、その周囲の空間に縫い止められていた。
鋼獣は厚い弾幕によって刹那、遮られた人形の死角に飛び込むと一瞬で四肢の筋肉をたわませ、その位置から再度人形へと飛び掛かると右前肢の爪を振り抜く。同時に鋼獣の意識しない部分でポーン種の獣身に新たな変化が起こった。
銀腕の人形へと振り抜いた右前肢が前方に突き出された四本爪の付け根から肘部まで裂ける様に深い溝が走り、鋼色の肉に覆われた手根骨、前腕骨までが溝に沿って分割、獣の体内から溢れ出た鋼色の粘液が四本爪を取り込み、四枚が並列する剃刀のように薄く長大で不気味な形状の刃を形成、銀腕の人形へと振り下ろされる。
しかし、銀腕の人形はこちらを見る様子も無くその踵で回転する車輪の向きを僅かに変更させる事で獣の斬線から退避、のみならず右腕の円錐型の粒子光で獣の刃を打ち払おうとした。
鋼色の粘液から生まれた刃と、人形の粒子光で形成された円錐が触れあった瞬間、獣と人形の間でエネルギ-が反発し空間が爆発、獣と人形は互いに跳ね飛ばされ距離を開く結果となる。
地面を転がった獣が起き上がり、人形との間に開いた距離を詰めようと走り出すと右前肢に形成された粘液の刃が溶けるように形状を変え、獣が走るのに支障の無いように前肢を覆うように変化した。
その間も獣の視界の先では爆発の衝撃で崩した体勢を整えた銀腕の人形が円錐状に展開していた粒子を全身に纏いなおし、手にした掌盾を騎剣へと変え、獣目掛けて舗装された路面の上を踵の車輪を高速で回転させ駆け出し、鋼獣への接近を始めている。
鋼獣もまた力強い四肢で路面を蹴り、再度疾走を始めた。
鋼獣の足元で四肢に備えた爪が路面に突き刺さり、鋼獣が四肢を蹴りだすごとに路面で小さな爆発が連続して起こる。獣が地を蹴りだした瞬間から、鋼獣の前方で空間が歪み、顎を備えた無数の弾丸が形成され、鋼獣に先行した弾丸が弾幕となって走った。
銀腕の人形は踵の車輪で地面を滑るように走りながら脚を前後に開き、右手の騎剣を肩口から水平に刃を寝かせるように構え、飛来する弾丸を迂回して避けようとする。しかし、避けようとした弾丸は空中に弧を描いて銀腕の人形を追いかけるように飛翔する方向を変換し、人形の纏う粒子光の膜を剥ぎ取らんとした。
†
粒子光を纏った騎剣を縦横に振るい正面から襲い来る獣の弾丸を疾走の最中に薙ぎ払った銀色の左腕を着けたSFは、騎剣を掌盾に変形させ機体中央を庇うように構える。
「“簡易神王機構”、〝銀腕光輝”解除。“銀色の左腕”展開、全エネルギーを収束、“神王晃剣”発動」
少年の指示により“銀腕の救世者”を包む粒子防御膜が消失、幾条もの金属帯で編まれていた銀色の左腕、その前腕が指先まで解けだした。間接部に嵌まっていた紅いクリスタル状の球体が直列に並び、解けた金属帯がその周囲に螺旋を描いた。
直列に並んだ紅いクリスタル状の球体を核にして機体内に充填された量子機械粒子が解き放たれ、輝く粒子の刃を形成、弾幕を食い破る様に左腕の先に延伸した光の刃を振り上げる。コクピット内部に納まっているジョンは機体を操作しながら続けざまに次の指示を出した。
「“神王晃剣”を解除、最小出力でも構わないから斬撃した光刃を目くらましに“銀腕光輝”を最大出力で再展開、左腕を優先、最悪の場合は右腕の損傷は覚悟する」
左腕の先に伸びた光の刃は切り離されて、斬撃の弧の形のまま光弾となって飛んで行く。しかし、斬撃の外に飛来していた弾丸は光刃を迂回するようにして飛翔、“銀腕の救世者”へと殺到した。
『ご主人様、直撃弾予測多数、被害予測大です』
「今は機体損傷は無視するよ。あのおかしなポーン種の所まで全速力で駆け抜ける!」
“神王晃剣”を行使した直後の再展開の為か、発生された粒子防御膜の粒子密度は心許ない。それでも少年は脚部機動装輪を最大稼働させ掌盾を掲げ、光刃を追って走る。SFの掲げた掌盾の表面で弾丸が連続して弾け、疾走する人型の機体を大きく揺らし、掌盾を外れた軌道の弾丸が機体各部の装甲に突き刺さり弾けた。飛翔する光刃は獣の弾幕を引き裂き目標のフォモール・ポーン種に到達、量子機械粒子によって構成された高エネルギーの刃は簡単に切り裂かれるように見えた大きく顎を開いたポーン種に噛み砕かれて掻き消える。
砕け散る光刃の向こうに見えたポーン種の頭部は大きく開いた顎が口腔のみならず頸部を越え、胸腔までを引き裂くように開き、下顎は同じように胸腔までだが更に中心から縦にも裂け、数え切れない牙の並ぶ三つの大顎を開け、無尽に再生する牙を突き立てると力任せに噛み砕いていたのだ。
光刃を砕いた鋼獣は銀腕のSFの姿を見て取り光刃を噛み砕いた大顎を開けて待つ。その光景を見てもジョンは機体を前進させることを止めず、機体前方に突き出していた掌盾を、再度騎剣へと変形させ鋼獣の開いた大顎の中心へと突き入れた。
しかし、ポーン種はそれを意に介した様子も無く、三つに分かれた大顎を高速で閉じようとする。
“銀腕の救世者”は騎剣をポーン種の口腔内に残したまま跳び退ると、地に足が着くと同時にポーン種へと飛び掛かり、閉じた顎の上から地面に押し付けるように踏み付けた。
「“神王晃剣”よ!!」
地面に押さえつけられたポーン種の上で、“銀腕の救世者”の幾条もの金属帯で編まれていた銀色の左腕、その前腕が肘から指先まで解け、間接部に嵌まっていた紅いクリスタル状の球体が直列に並び、解けた金属帯がその周囲に螺旋を描いていく。地面に向かって伸びた光刃は鋼獣の背に浮かんだ女性像へと突き立った。
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