第129話 胎動の瑕
ダナ=ハリスンは自分が今、何故こんなことを行っているのか、自身の行動ながら理解できていなかった。
彼女の前には胸元に開いた創からあふれ出る真紅に染めた人々が、さらには地面にまでその色を広げ、数えきれないほど横たわっている。彼らの胸元を濡らし、垂れ流すのは夥しい量の血だ、それは彼らの身体から糸のような線を引き、縒り集まると川のようになりながら少女の足元、小さな両手の影の落ちる辺りにまで繋がっていた。
その光景を見ていられず、ダナは両手で顔を覆おうとする。そして、その両手がどうしようもなく足元を濡らすのと同じ真紅に塗れていることに気が付いて、大きな悲鳴が彼女のその喉をついて出た。
「いや……、…………イヤァァァァァァァァッ!?」
自身の上げた悲鳴で跳ね起きたダナは、夜明けの薄明りの中、自室の寝台の上で掛布を跳ね飛ばしながら勢いよく上半身を起こす。
「やだ、やだやだっ……、……よかった、夢だ。……着替えて朝ごはん、作ろ」
恐慌に陥った様子で、少女は自身の手のひらを寝起きのはっきりしない目で見つめ、慌てた様子で恐る恐る見たその手が紅に染まっていないことを知り、ダナは深く長い安堵の息を吐いた。覚束ない足取りで寝台から這い出した少女は、一つ深く息を吸い込む。肺にためた息をゆっくりと吐き出しながら、自室の据え付けのクローゼットを開いて適当に着替えを選ぶと、身に着けていた冷たい汗に濡れた寝間着を下着ごと脱ぎ、用意した物に着替えていく。
「良かった、今日は父さん、お仕事で家に居なくて……」
ダナは脱いだ寝間着と下着を入れた洗濯かごを抱え、自室を後にした。主の居なくなった部屋の隅、ベッドの影に隠されるよう置かれた、少女の部屋に似つかわしくない赤く黒いものが固まってこびりつく刃の汚れた刃物に気付かないまま。
南方で戦争の始まった頃から、尚もフォモール侵攻からの復興の続くトゥアハ・ディ・ダナーンの下町では急所を刺され死亡した被害者の見つかる連続殺人事件が起こっていた。今朝もキッチンに立つダナの背後で、何気なく表示させたローカルニュースサイトのトップには昨夜発生した事件についての記事が踊っている。
†
フィル・ボルグ帝政国とクェーサル連合王国、人類領域大陸南方の二大国間の戦争が開始されてしばらく経ち、まるでその戦争に呼応するかのようにフォモールの群による大陸各都市への襲撃報告が著しく増加していた。ジョンは“樹林都市”から近隣の衛星都市群を巡る隊商の護衛としてレビンとともに武装輸送車の護衛任務に就いている。
現在はフォモールの出現がかつてないほどに増加した影響で、各都市間の流通が途絶え気味となっており、近隣都市の盟主と言える立場の“樹林都市”から、ほぼ持ち出し同然の形で“樹林都市”屈指の複数の企業が協同出資した隊商に物資を運ばせていた。
そのため“樹林都市企業連携隊商”は現状、大樹林周辺都市の流通を一手に引き受ける生命線ともいえるものとなっており、これを安定して各都市へと送り届けることこそが多くの人々の望む所となっている。
この事業に協同出資している企業の多くはガードナー私設狩猟団のスポンサーでもあり、そちらの面からもガードナー私設狩猟団がSFと人員を配するのは当然と言えた。大きな襲撃の無いままに全行程の四分の一の旅程を消化したその日の午後、隊商の前方に向かっていた狩猟団の僚機のSFパイロット、レビンから最後尾に回っている“救世者”のジョンへと通信回線が開かれた。
『ジョン=ドゥ、樹幹街道脇から出て来ようとしている動体反応を多数確認した。種別予測はポーン種、総数は現時点では不明だ。これは他狩猟団所属の隊商護衛のSF各機にも伝達しているが、貴様はそれを念頭に置いてこちらへの後方支援を頼む』
「了解、それじゃあ僕は、みんなの撃ち漏らしを狩ってればいいのかな」
『そうだ、曲がりなりにも自分の前歴は連邦軍のSFパイロットだ。氏素性の知れない貴様よりは経歴に箔がついている。……シミュレーターで貴様相手に連戦連敗中の自分が何を言っているのかと思うかもしれんが。履歴書で人を見る連中相手では自分が前に出た方がいいからな。万一の時は救援を頼む』
ジョンは手をひらひら振ると、穏やかな表情を映像のレビンへと向けた。
「まだあれ気にしてるんだ、でもあの時は偶々僕に勝ち星が付いただけだと思うよ。少しでも手が狂っていたら僕の方がやられていたと思う、お世辞じゃ無くね。援護の件に関しては再度言うけど了解、せっかく親方からこれを借りてきたわけだし、たまには射撃戦もしておかないと腕も鈍っちゃうからさ。僕は構わないよ」
ジョンの操る“銀腕の救世者”は手にした狙撃銃をレビン機の存在する方向へと掲げて示した。
少年のSFが装備したその武装はエリステラが愛用していた長距離狙撃銃“雷霆”を縮小したような、よく似たその銃はダスティン・オコナ―の手により生み出された“雷霆”の試作品で、銘を“雷光”とつけられている。
“雷光”は“雷霆”と違い、サイズは小さいもののダスティンが趣味に走った挙句に“雷霆”から外されたオートマチック機構となっており、装弾数も十発と“雷霆”のそれを大きく上回る仕様となっていた。サイズ関係もあり“雷霆”と同口径の弾丸は使用不可能だが、射程距離の面では遜色はなく。装弾数の多さは単純な打撃力の小ささよりを補って余りあるものであった。
“救世者のコクピットにアラートが鳴り、“簡易神王機構”が機械音声を発する。
『ご主人様、僚機レビン機が攻性敵性体と接触、先頭が開始されました。当機体周辺にも環境保全分子機械群下位戦闘体の発生予兆を確認』
「うん、僕らは彼の援護に回る。いいね、“簡易神王機構?」
言いながらも少年は自身の機体を操作、軽く地面を蹴るように動作させ、背後に蟠り始めた幾つかの靄状の分子機械、そのうちの一つ目掛けて機体を跳躍させた。
『貴方の意のままに、ご主人様。――ですがまずは、手近なポーン種の殲滅を』
“簡易神王機構”のその言葉が終わるよりも早く、“銀色の左腕”の指先を手刀として構えた“銀腕の救世者”は形が定まりきる前のポーン種を突き砕く、分子機械群は泥濘と化して地面を汚すより早く空中に霧散した。同様の工程を周囲の靄の数だけ繰り返し、ジョンは顔を上げ、外部映像の奥へと視線を投げる。
「さあ、この調子でどんどん行くよ。まあ、今日はこれから先は裏方仕事だけどね」
『当機とご主人様のみでも、この規模の敵性体ならば完全殲滅は可能と判断します。実行される際にはご命令を、速やかに実行できるよう待機します』
ジョンは機体制御システムの言葉に苦笑を漏らし、ゆっくりと首を左右に振って否定を示した。
「駄目だよ、戦闘は仲間にも任せないと。それにレビンもあの子たちも、“簡易神王機構”、君が考えているほど弱いわけじゃないんだ」
少年の視界の先で、僚機たる一機の“TESTAMENT”が他所の狩猟団のSF達と共に大樹の奥から現れだしたポーン種との戦闘を開始していた。
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