第七話(虹太編)なんか今、すっごくピアノが弾きたい気分!
虹太と奏太は、二人で夕暮れの道を歩いていた。
帰らなければならない時間になった奏太を、虹太が途中まで送ることにしたのだ。
二人の間に、会話はない。
虹太の後を、俯いた奏太が二歩ほど遅れて歩いている。
「……奏太くん、今日は楽しくなかったかな?」
沈黙を破ったのは、虹太だった。
虹太の言葉に、奏太は慌てて顔を上げて答える。
「そ、そんなわけありません! ものすごく楽しかったです! 僕、ピアノをやっててこんなに楽しいって思ったの、初めてでした……!!」
「そう? それならよかった~」
「椎名さんと一緒に弾くピアノはとっても楽しかったけど、家に帰ったらまた一人で、お母さんに注意されながらのレッスンが待ってるんだと思うと、嫌で……」
そこまで答えると、奏太は再び俯いてしまった。
奏太の様子を見て、虹太は優しく彼の頭を撫でた。
「……奏太くんは、優し過ぎるんだよ」
「え……?」
「お母さんのこと、大好きなんだよね。だから、お母さんの願いを叶えてあげたい。そのために、自分の気持ちを押し殺そうとしてる。……でもそれって、本当にお母さんの望むことなのかな?」
「……………………」
「子どもなんだから、わがまま言ったっていいじゃん! 遊ぶのが仕事なんだから、みんなと一緒に遊びたいって思うの、当たり前のことだよ。お母さんだって、自分の子どもが幸せだったら、絶対自分も幸せな気持ちになるよ! ……だからお母さんと、話をしてみようよ」
「でも、聞いてもらえないかもしれないし……」
「そしたら、俺のところにまたおいで! どうやったら話を聞いてもらえるか、一緒に考えよう!」
そう言った虹太の笑顔は、奏太にとってとても眩しいものだった。
(どうしてこの人は、こんなにあったかいんだろう……)
涙をこらえながら頷く奏太を見て、虹太は再び彼の頭を優しく撫でるのだった。
その後は二人とも無言のまま歩き、初めて逢った公園の前で別れた。
(……奏太くんの気持ちが通じて、みんなと一緒に遊べるようになるといいなぁ。あっ! そしたら遊びの方が楽しくなっちゃって、ピアノ辞めちゃうかも……。それはやだなー)
ここまで考え、虹太はあることを思いつく。
(そうだ! これは完璧に願掛けだけど……)
そして、走って家路に着くのだった。
頼りになる同僚に、とあるお願い事をするために――――――――――。
虹太と奏太が出逢ってから一カ月が経ったが、奏太が虹太の前に姿を現すことはなかった。
虹太はいつもの楽器店での演奏会を終え、二人が出逢った公園の前を通る。
そこでは少年たちがサッカーをしており、いつもと変わらない風景が広がっていた。
虹太はその少年たちの中に、見知った姿を発見する。
(あれ……? もしかして……!)
近寄って確認するが、やはり間違いではなかった。
(奏太くんだ! みんなと一緒に遊べるようになったんだ。いや~、よかったよかった)
嬉しい反面、少し悲しい気持ちにもなる。
(もしかして、ピアノは辞めちゃったかなー……ん?)
しかし、虹太の心配事は杞憂で終わった。
見慣れたマスコットがついている鞄から、ピアノの楽譜が顔を覗かせていたからだ。
抑えきれず、笑みが零れる。
それから奏太の鞄の上に紙袋を置くと、声はかけずに公園を出た。
(奏太くん、使ってくれるといいなー。……あー、なんか今、すっごくピアノが弾きたい気分!)
虹太はスキップしそうになるのを抑えながら、家路を急ぐ。
奏太がオレンジの香りのする贈り物に気付くまで、あともう少し――――――――――。