第四話(虹太編)楽しくないと、そんなのはただの音の羅列だ。
「いやー、椎名くん! 今日もいい演奏だったよ! また来月も頼むね!」
「こちらこそ、弾かせてくれてありがとうございます! 来月も、楽しみにしてますね~☆」
一色隊に所属する青年、椎名虹太はこの日、とある一軒の楽器屋から出てきた。
ピアノを得意とする彼は、月に一度、この楽器屋でミニコンサートを開かせてもらっているのだ。
店としては客寄せになり、虹太としても自分の好きな音楽を、様々な人に聴いてもらえる。
お互いの利害が一致し、今までこのコンサートは続いてきた。
虹太は楽器屋だけではなく、他にも色々な場所で演奏をしていた。
時には老人ホームで演歌や民謡を、時には保育園でアニメソングや童謡を奏でていた。
しかし、彼は絶対に自分の演奏にお金を貰わない。
腕は確かだが、全てボランティアで行っていることなのだ。
人々はそれを不思議に思うが、彼はその理由を深く語らなかった。
楽器屋からの帰り道、公園の前を通りかかると、楽しくサッカーをしている少年たちを羨ましそうに見つめる、一人の少年の姿があった。
彼は寂しそうに、一人でベンチに座っている。
(あの子……)
その少年に見覚えがあった虹太は、彼の方へ近付いていった。
「こんにちは! さっきは俺の演奏、聴きに来てくれてありがとね~☆」
急に声をかけられた少年は、驚いて肩を震わせた。
「あっ、驚かせちゃったかな? ごめんごめん! さっき、近くの楽器屋さんで俺のピアノ聴いてくれてた子だよね? 違った?」
「ちが、わないです……」
「やっぱりそうだよね! 人違いじゃなくてよかった~」
虹太は笑顔を見せると、少年と同じベンチに座った。
虹太が彼のことを覚えていたのには、理由があった。
一番後ろで、苦しそうな表情で自分の演奏を聴いていたのが、この少年だったからだ。
「俺の名前は椎名虹太! 君の名前はなんていうの?」
「あ、中条奏太です……」
「ソウタくんか! 俺はコウタだから、ちょっと似てるね~」
「はい……」
奏太はそう答えると、再びサッカーをしている少年たちへと視線を向けた。
「……奏太くんも、一緒にサッカーやりたいの?」
「え……?」
「いや、熱心に見てるから、一緒にやりたいのかなーって」
虹太の質問に、奏太は俯いてしまう。
「……でも僕、サッカーやったことないし。お母さんに、やっちゃダメだって言われてるから。僕は将来、立派なピアニストになるから、指を怪我するような遊びはしちゃいけないって……」
「そっかぁ。俺も、君くらいの年齢の時から、ピアニストになりたいって思ってたよ」
「お母さんがそう言ってるだけで、僕は別にピアニストになりたいわけじゃ……」
奏太はそう言うと、悲しげな表情を浮かべた。
「……ピアノを弾くのは、楽しくない?」
「……最近はあんまり、楽しくないです。ここはもっとこうしなさい、あそこはああしなさいって言われてばかりだし。ピアノがあるから、みんなと一緒に遊べないし……」
「そっかぁ……」
(でも、ピアノ自体が嫌いなら、わざわざ楽器店に演奏なんて聴きに来ないよなー)
虹太は、思い浮かべる。
先程、自分の演奏を、苦しそうに、しかし最後まで聴いていた彼の姿を。
「すみませーん! ボール取ってくれませんかー?」
そんな二人の足元に、サッカーボールが転がってきた。
近くでサッカーをしている少年たちが使っている物のようだ。
「奏太くん、せっかくだから蹴ってみたら?」
「いや、僕は……」
「奏太くんが蹴らないなら、俺が蹴っちゃうよ……っと!」
そう言うと、虹太はボールを蹴る。
しかしそのボールは、少年たちのいる方向とは全く違う方向へ飛んでいってしまった。
「あっ、ごめんねー!」
「いえ、ありがとうございましたー!」
少年たちは嫌な顔一つせず、飛んでいったボールを追いかける。
「……えへへ、俺、サッカーとか苦手なんだよね。小さい頃からピアノしかやってこなかったからさ。今更だけど、もっと体を動かす遊びをしておけばよかったって思うよ」
虹太は苦笑した。
「ピアノを弾くのが、楽しくて仕方なくってさ。両親には、『子どもなんだからもっと外で遊べ!』って言われてたんだけど、そんなの聞かないで毎日ピアノばっかり弾いてたんだ」
「椎名さんは、ピアノを弾くの、楽しいんですね……」
奏太は、再び悲しい表情で俯いてしまう。
「……ねぇ、奏太くん。来週もこの時間に、この公園に来れる?」
「えっ……」
「君と一緒に、行きたい場所があるんだ!」
虹太の誘いに、奏太は戸惑っているようだ。
無理もない。
彼らは、今日が初対面なのだ。
「これ、俺の名刺、渡しておくね! 一応、怪しい者じゃないっていう証拠!」
虹太は、自分の名刺を奏太の手に握らせる。
「気が向いたらでいいから、来てくれると嬉しいな! じゃあ、またね~」
虹太は笑顔で手を振りながら、公園を出て行く。
その場には、虹太の名刺を握りしめた奏太一人が残されたのだった。
虹太は、帰り道に思う。
(奏太くんに、ピアノはこんなに楽しいんだよ~って教えてあげたい。俺のピアノで、彼の笑顔が見れたらなぁ。楽しくないと、そんなのはただの音の羅列だ。“音楽”じゃない……)
そう考える虹太の表情は、先程までとは違い、どこか曇っていた。
しかし、夕日に照らされ陰になった彼の表情に気付く者は、誰もいなかった――――――――――。