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きっかけ




結界が・・・緊張した。



リン、という鈴の音のような警告音が、男の耳奥に鳴り響く。

男は気を張ったまま常人では聞き取れないほど小さな呪文を発し、耳に神経を集中すると、どたどたと複数人の足音が遠く聞こえた。

それは確実にこちらへと向かってきている。



────── 勘付かれたか。



男は舌打ちをすると、警戒のため広範囲に広げていた結界を収縮させた。

より厳重に、容易く破られないよう、この部屋への唯一の侵入経路である扉へと結界を集中して狭めたのだ。


これで、作業が終わるまでの時間は稼げるはずだ。


ローブの長い袂から赤い液体を取り出し、それを床に描いた陣の各所に垂らしていく。垂らされた赤い液体はすぐさま凝固し、宝石を思わせる輝きを発した。

次いで、中央に碧い石を配置する。



ドン!!



外部から扉を蹴破ろうとするような音に、男は眉根を寄せ、しかし次の瞬間ニイと笑った。

収縮強化した結界は、目的を達成するまで持つだろう。

煩わしい騒音に無視を決め込み、男は陣の外に出て、また袂に手を潜らせると、美しい短剣を取り出した。

その短剣の柄は装飾豊かで、一目で高値であろう事が伺える。

だけども、男はそんなことは関係ないとでも言うように、あまりにもあっさりと実用化した。その刃を、柄を、自らの血で濡らしたのだ。

手首を深く切り、止まることのないその鮮血を陣へと浴びせた。不規則に浴びせたそれはしかし、陣が薄く光ると同時に、その光へと規則正しく辿って行った。

薄い光は男の血液を吸い、鈍く赤く光る。

成功したはずのそれに、しかし男は眉根を寄せた。


男にとって、その陣の輝きは期待を下回るものだったからだ。



何だ。

何が足りない?

足りないものがわからない。



「・・・ふむ・・・これではさすがに・・・小者がせいぜいか・・・」


・・・時間がなさすぎた。


望みとしては凶悪なものを呼び出してみたかったのだが、この光ではそうもいくまい。

しかし後戻りはできない。

すでに血と魂の契約はなされ、道は繋がっている。

男は息を吐き出し、少しだけ自嘲的に嗤った。



────── まぁ、いいだろう。



リン、とまた鈴の音が耳の奥に響いた。

結界が破れる直前の警告音。

男は扉へと視線を向けチッ、と舌打ちする。

「・・・破魔の法を練ったか・・・っ」

予想よりも早い。もう結界を気にする余力もない。

男は早口に呪詞を唱えた。

それは古い言語。

その言葉は人という限界を超え、ただの音として周りに響いた。しかしそれを邪魔するように扉は弓なりにしならせ、打ち破ろうという音が響いているが、男は血を流したまま、陣だけをただ見つめた。

ミシリ、と鈍い音を立てた瞬間、弓なりになっていた扉はそのまま打ち破られ、木の扉は破片とホコリをまき散らす。


ガラガラと音を立てて崩れ落ちる扉の残骸のを踏みつけて入ってきたのは複数の男達。


「ヘルムート!!」


男達の先頭に立ち叫んだ男は、陣に血を流し続けている男の名を悲痛に叫び、剣先をローブの男・・・ヘルムートへと向ける。

だけども後方にいる男たちは、この部屋の異様な光景に思わず息を呑んだ。

ヘルムートはそれを横目で見やり、笑う。口の端を歪めた、いびつな笑みを。

呪詞は尚も続く。

声を声として伝えない低音なる音に、男達の一人から甲高い悲鳴が上がる。

「だ、めだ!それは駄目だ!!呪詞だ!!早く、早く止めなければ!!!」

男達を押しのけ、悲痛に叫んだのは、青年とも少年ともつかないあいまいな年頃の男だった。

その声に弾かれたように、先頭に立っていた男は、突き出していた剣でヘルムートの脇腹を薙いだ。

赤い血が飛び散るがしかし、それは手首の血と同様に陣へと吸い込まれていく。

陣の男は苦しそうに顔を歪めた後、堪え切れない様にゴボリ、と口から大量の血を吐いた後、膝から倒れこんだ。

呪詞は途切れ、しかしその血もまた陣へと吸収されていく。

床に敷かれた陣は一際輝くとともに、力を出し切ったかとでも言うように、光を収縮させた。




・・・瞬間、大気が震えた。




息が詰まるプレッシャーは、しかし物の数秒にも満たない、刹那の出来事。

けれど、この場にいる誰もが大気の震えを感じた。

息を呑んで皆が固まったように見守る中、陣には何も起きない。何の変化もない。

「失敗、か・・・?」

誰かが安堵とも歓喜ともつかぬ声を漏らした。

しかし、ヘルムートは笑う。

方々に置かれた石がそれぞれ真っ二つに割れていたからだ。

その石は宝石のようだった輝きを失い、ただの石屑になっている。

代償が払われた証。

力なく、だが確かに、先ほどの歪な笑みを持って、血を流しながら嗤う。

「・・・呪詞が、途切れたせいで・・・此処への召喚は叶わなかったがなぁ・・・何処かにいるだろうよ・・・」


この世界のどこかに。

大気の震えとともに。


言うヘルムートに、皆が息を呑んだ。

「・・・ヘルムート・・・お前は『何を』した?」

ヘルムートを斬った男が、血に濡れた剣先を突き付け、低く責める。だけども責める中にも苦痛を感じるかのように顰められた眉。

しかし、ヘルムートに突き付けた剣先はいささかも震えてはいない。



────── 嗚呼、この男はどこまでも・・・



ヘルムートは嗤う。

ゴボリ、と血を吐き出して。

斬られて、大量の血を吐きだし、失い、もう意識が途切れてもいいだろう状況なのに、しかしヘルムートは言葉を紡ぐ。

「言ったろう・・・?召喚・・・禁呪さぁ・・・っ」

しっかりと、はっきりと。己が犯した罪を吐く。

先ほど悲鳴を上げていた男がヒ、と甲高い声をあげ、顔を青くする。

「禁呪・・・」

呟いた声に触発され、男達がざわめいた。

「ああそうさ。大呪は・・・成された・・・」

「馬鹿な・・・貴方ほどの方が、その代償を知らないはずがないでしょう!?」

何故!

そう叫ぶ少年のような男の声に一瞬目をやる。

「ハインツか・・・」


お前が破魔を練ったか。


そう呟くがしかし、ヘルムートは静かに剣先を向けている男へと視線を戻した。

「・・・意地だ」

「意地・・・?」

「・・・アルノルト・・・お前には・・・お前たちには解らんだろうなぁ・・・」

くつり、と笑うその姿は、だけども泣いているように見えて。

剣先を突き付けた男、アルノルトは悔やむように深く眉間にしわを寄せた。

「・・・『何を』召喚した?」

アルノルトの問いに、ヘルムートは自嘲的に嗤った。

「小者さ・・・。どのような形、存在なのかも解らん・・・。陣に現れなかったのだから・・・」

小者、とハインツが呟く。

「そのようなものに、貴方は対価を払ったか・・・っ」

どれだけ犠牲にしたんだ、とハインツの顔は蒼白に彩られながら呟いた。

「嗚呼、嗚呼、解らんだろうなぁ・・・」


小者だろうがなんだろうが、ヘルムートは成したのだ、先人すら成し得なかった大呪を!


ごぼり、とまた血の塊を吐きだす。

それは陣に吸収されず、ただヘルムートを汚すのみだった。

床に敷かれた陣は、光が途切れたと同時に、ヘルムートの血にはもう用がないとでも言うように、冷たく暗い沈黙を守っている。




「馬鹿だと嗤え、愚かだと罵ればいい・・・」


だが。


「お、れは・・・!!!俺は、俺は意思を通した!!」


志を押し通し・・・先人に負けぬ大呪を成した!




今にも消えそうな命の、最後の狂気めいた叫び。幾人かが恐怖に身体を震わせた。

ヘルムートの喉の奥からひゅう、と息が漏れ、絞り出すように血も流れる。

誰の目から見ても、彼の命は風前の灯で。

ヘルムートもそれを自覚しているのだろう、最後の力を振り絞るように、眼前のアルノルトへ、微かに縋るように目を細めた。

「・・・『あれ』は何も知らん無力な存在・・・放っておけ・・・」

それはその存在への、身勝手な手段への憐れみを含めていて。

だけどもアルノルトはそれに眉根を寄せた。

「それは陛下が判断を下すだろう」

「・・・ふん・・・あの糞野郎が・・・」

歪むように顔を顰めるが、ヘルムートはしかし、次の瞬間・・・笑った。

身体を起こし、しかし完全には立ち上がれないのか、よろよろと膝で身体を支え、両手をかざした。


「お前の手など借りずとも、俺は世界を揺らしたことへの贖罪を持って神の御許へ断罪されに行こう!!」


それは最後の魂の叫び。


刹那、ヘルムートの身体を青い焔が包み込む。

アルノルトは眼を見開いた。

「あ、ぁ・・・聖火・・・?ち、違う・・・違う、これは、違う・・・これは断罪の・・・焔・・・っ」

神々の焔!

叫ぶハインツに、しかしアルノルトは炎に包まれたヘルムートを見やる。

青い焔は温度を感じさせないように聖性とした印象を与えているのに、それは確かにヘルムートを蝕み、肉を焦がす。

焔の中、ヘルムートは穏やかに笑った。

「・・・では、な」

緩やかに耳をくすぐるその声は、その場の皆の耳に届いた。

「何故・・・貴方ほどの人が・・・」

呟くハインツに、しかし応える声はない。だけども声はないが、開く口。

しかし、誰もその唇の動きを理解する者はいなかった。


青い焔は皮膚を完全に焦がし、ヘルムートは完全に崩れ落ちる。更なる焔がヘルムートを呑みこんだ。


幻想的な焔に身を、骨を焼かれ、呻き声すら上げなかったヘルムートの、それが最後だった。

焔が痕跡なくヘルムートを消滅させた後、アルノルトが剣を鞘へと戻す。

そのカシャン、という金属音に、その場で呆けていた者たちの意識を覚醒させた。

異様な空間での、異様な出来事。まるで悪夢の一端に陥っているような感覚。

アルノルトはそんな緊張感を持った男達に向き直ると、行くぞ、と声をかけた。

「報告に向かう」

その声は、空虚な空間に冷たく響いた。




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