ある男の物語
台風で時間が余った為、2作目を創りました。
書いている本人は楽しいですが、読んで楽しい作品というのはおいそれとは出来ないのだなぁと痛感しました。
そんなお目汚しではありますが、折角産まれたものですので、コソッと置かせてください。
ニュ、ニュッ
ニュ、ニュッ
俺は、両手を広げて前面の壁を押している。
不意に嗅ぎなれた錆臭と伴に左肩に温かいものが当たる。
俺は振り向かずに語りかける。
よぉ、きょうだい、どうしたよ?
ここは初めてかい?
あぁ、何だって訊いてくれ。
大した学なんぞ持ち合わせちゃいねーが、知っていることなら分かち合うのが俺の流儀さ。
いつから始めたって?
さぁな、物心が付いた頃には既にこうしていたな。
単純作業か?
ははっ、知らねー奴からすればそう思えてもおかしくねーな。
だがな、こいつは奥深いんだよ。
この壁はな、柔らかく、あったけい、まるで生き物みたいに定期的に少し近付いたり遠ざかったりするんだ。世界の不思議って奴だな。
それにな、俺のゴーストが囁くんだがよ、こいつは俺の何万倍もこの世界に存在しつづけてたんじねーかとな。
なぁに、心配すんじゃねー、俺が分かったってこたぁ、きょうだい、お前さんだって壁に手を付けりゃあ、きっと分かるさ。
素人でも出来るのかって?
俺だって最初は素人だったさ。皆、失敗から学ぶんだ。成功しか知らん奴なんざいねーよ。
そうだなぁ、俺から言えることぁ、目の前の壁に敬意を払えってことかなぁ。なぁに、難しく考えるこたぁねー。自分の力を信じて壁を推してみな、きっと壁は応えてくれるさ。
ふっ、久しぶりに新たなきょうだいとの出会いに柄にもなく喋りすぎちまったぜ。
遠慮するこたぁーねー、隣を使いな。
俺は、栄養補給管を咥え直すと今までの遅れを取り戻すかの様に一心不乱に壁を押し続ける。
管は程良い固さがあり、食む度に温かな仄か甘さが口に広がり喉を通り過ぎる。
俺としちゃ、もう少し細い方が好みなんだが、まぁ、仕方ねーな。
スー、スー
空気が漏れる様な音が定期的に両隣から聞こえ始める。
腕も顎も少しダルくなってくる。
しかし、止めようという気にもならない。
(中毒症状?)
いやな言葉が浮かぶ。
だが、俺のゴーストは「本能」だと囁く。
俺は今までの経験からゴーストに従う。
ニュ、ニュッ
ニュ、ニュッ
俺は、両手を広げて前面の壁を押し続ける。
いつの間にか俺は気を失っていたらしい。
後方からの衣擦れの音を感じ取り、意識が覚醒する。
本能の命じるがまま、再び俺は壁を押すべく管を咥え直そうとする。
その矢先、後方の空気が微かに動く。見落としそうな程の極々僅かな振動を俺の体が鋭敏に感じとる。
湿り気を帯びた熱が後方からドンドン近づいて…
「ぐっ」
突然、俺の横っ腹を柔らかな質量が熱を伴って襲いかかる。
僅かに遅れて同じモノが背中を、次に頭を襲う。
くそっ、油断しちまった。
両側をきょうだいに挟まれていることに安心を覚え、この世界の冷酷なルールを一時とはいえ忘れるなんてな。
(力こそ正義)
(弱肉強食)
次々とくそったれな言葉が浮かぶ。
巫山戯んじゃねー!
突然の理不尽への沸々と湧き上がる怒りの声を上げようと口を開きかけ…。
ズゥゥン
これは何だ?
生まれて初めての高温を伴う質量が俺の全身を覆い尽くす。
五体投地状態となり身動きが出来ない。
「ぐうぅっ」
立ち上がろうと両手足に渾身の力を入れる。
後方の拘束が僅かに軽く感じる。
ここだな!
僕のゴーストが脱出劇の幕開けを囁く。
俺を襲った理不尽を「襲撃者」と仮称しよう。
この襲撃者は俺よりも狡猾であった。
密かに俺の後方から襲いかかり何らかの手段で俺の身動きを奪い取りやがった。更に、襲撃者は、この俺の能力を予め調査していた節が見られる。
その証拠に、俺の筋力を僅かに上回る質量を全身に今もくまなく掛け続けている。
しかし、俺は襲撃者に抗い続ける。襲撃者に悟られないようにジリジリと交互に手足を動かし続ける。
ん?!
僕のゴーストが再び囁く。
やはり、この脱出方法が正解なのだと。
右足の負荷が減る。続いて左足の負荷も減る。
やべー、襲撃者の奴が気付きやがった。
両足が自由を取り戻すタイミングで、逃さぬとばかりに僕の上半身にこれまで以上の質量を掛けやがる。
負けるものか。
両足に渾身の力を入れて後方に下がろうとする。
負けるものか。
両腕を体に引き寄せる。
負けるものか。
震える両腕にあらん限りの力を込めて体を後方へと押し出す。
もう少し。
腰より後の加重が消える。
あと、もう少し。
背中から加重が消える。
肩から先を解放出来れば、俺は見事に脱出を果たせる。
くそったれの襲撃者め、今の俺と同じ様に地ベタに這いつくばらせて、同じ屈辱を味合わせてやる。
しかし、世界は俺に優しくなかった。
両手を引き抜こうした刹那。
今まで感じたことの無い大振動。今まで感じたことの無い大音量。
複雑な匂いが、僕に押し寄せてくる。
ドン、ドン、ドン、ドン…
恐怖の塊が近付いてくる。
俺の心臓が早鐘を打つ。
ゴンッ
重量を伴った硬質な音が世界に加わる。
バリバリバリッ
これが世界が割れる音なのか。
カラッ
カラ、カラ、カラ、カラ…
世界の割れ目から死者がこの世に顕現するかのような音が世界を埋め尽くす。
ザーッ
唐突に神の涙が溢れたような音が続く。
ドン、ドン、ドン、ドン
恐怖の塊が再び身近に迫る。
俺はひたすら身を固くする。
ゴンッ、コン
随分と近くに何が着地する。
ドン、ドン、ドン、ドン…
その何かを忌避するかのように恐怖の塊が遠ざかってゆく。
長いのか短いのか見当も付かない時間が過ぎる。
俺といえば、未だ肩から先を襲撃者に押さえられ、傍から見れば土下座にしか見えない姿勢で固まっている。
僅かな布ずれの音がする。
俺に世界のあり方を教えてくれた壁が更に立ち上がったかのように空気が動く。
不意に、俺は全ての自由を取り戻す。
ついに俺は脱出を果たしたのだ!
しかし、俺は自由と引き換えに世界を壊してしまったのかもしれない。
俺の周囲の温度が一気に下がる。
ドサッ
俺の前方に重い袋が落ちる様ないやな音が振動を伴って生じる。
そこから1度聴くと耳から離れない様な哀れな声が聞こえだす。
その声は俺を取り囲む様に四方八方から、気が付けば、俺からも知らずと発せられている。
あまりの恐怖が、俺を、そして俺のきょうだい達までをも狂わせたのかもしれない。
少し離れた所から、何かを噛み砕く音が聞こえる。
カリカリ、カリカリ…
あぁ、世界の改変が始まったのだろう。一体、俺の選択の何が間違っていたのだろう。こんなことなら、襲撃者の為すがままにされておけば良かったのか。
俺の取り返しの付かない後悔が、心からの慟哭が、世界に木霊する。
「ミィーィー」
世界の果てから厳かな声が流れる。
「もぅ、るりちゃん、しーちゃんは赤ちゃんを産んだばかりなんだから、静かにご飯をあげなさいって言ったでしょ。赤ちゃん達、皆、起きちゃったじゃない。」
「だって、しーちゃんお腹すいたって…」




