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その日、煌牙は予定を前倒しで片付けると、車月猫庵へ回した。ホテルからは徒歩でも5分の距離だがそれでも心配で早く帰りたかった。
まだ夕暮れ前、店内は帰り支度をする常連客たちで賑わっていた。
暖簾をくぐった瞬間、カウンターの奥にいる花楓の姿が目に入る。
彼女はいつものように笑顔で客を見送っていたが、煌牙に気づいた途端、わずかに目を丸くした。
「……旦那さん、今日早いねぇ」
「お迎えかしら?」
常連の女性たちが口々に冷やかすように声をかけてくる。
煌牙は軽く会釈するだけで答えなかった。
すると、一人が笑みを浮かべながら言った。
「愛されてるねぇ、旦那」
「花楓ちゃんが、あなたのこと愛してるってさ」
その瞬間。
奥で片付けをしていた花楓の手が止まった。
「っ……!」
頬に一気に血が上り、真っ赤に染まる。
慌ててカップを棚に戻そうとしたが、指先が震えてガラスがカランと小さく鳴った。
「な、なに言ってるんですか……っ!」
狼狽し、目を泳がせながら奥へ引っ込もうとする花楓。その様子に常連客たちは愉快そうに笑い、やがて暖簾をくぐって帰っていった。
残された店内は、急に静かになる。
カウンター越しに、真っ赤な顔で背を向ける花楓。
そして、そんな彼女を無言で見つめる煌牙。
(……言ったのか?本当に…)
胸の奥に、抑えきれない熱が灯っていくのを煌牙は感じていた。
帰りの車内は、沈黙だけが満ちていた。
花楓は窓の外に視線を固定し、頬を赤くしたまま一言も発さない。
煌牙もまた、何度も言葉を探しては飲み込んだ。
互いに胸の奥で渦巻く鼓動の音だけが、妙に大きく響いていた。
――マンションに着く。
玄関の扉が閉まる音と同時に、煌牙は花楓の手首を掴み、壁際へ追い込んだ。
「……っ!」
花楓の背が壁に押し付けられる。
至近距離に迫る煌牙の熱と視線に、息が詰まる。
低く掠れた声が落ちた。
「…………どういうことだ」
花楓の瞳が揺れる。
「……な、何が……?」
煌牙の眼差しは逃さない。
契約という言葉で覆い隠そうとしても、さっきの反応は誤魔化せない。
「本当なのか……あれ」
わずかに震える声。
それは怒りではなく――必死の確認だった。
常連客の「愛してる」の言葉に、花楓が見せたあの狼狽。
彼女の瞳を覗き込み、煌牙は息を詰めた。
「……君が……俺を愛してるっていうのは……本当なのか?」




