20
月猫庵からマンションに帰る…
煌牙が鍵を閉め、荷物を置いて振り返ると、花楓は疲れた笑顔を見せて浴室へ向かった。
「お風呂、先にいただきますね」
声はどこか沈んでいて、足取りも重かった。
煌牙はしばらく立ち尽くし、やがてジャケットを脱いでソファに腰を下ろした。
(……何かあったか? 嫌な客でもいたのか……)
気がかりな胸騒ぎが収まらず、ポケットからスマホを取り出す。
「……昴流」
数コールのあと、軽い声が返った。
『兄さん?どうしたの』
煌牙は低く尋ねる。
「今日の花楓、何かあったか?嫌な客でもいたのか」
昴流は一瞬沈黙し、やがて答えた。
「いや、ぼくが最後だったけど……
そんな様子、特になかったよ」
そこで、昴流の声がわずかに低くなった。
「……でも、何か言いかけてた。
“私は……”って。途中でやめちゃったけど」
煌牙の胸が跳ねる。
「……“私は”?」
スマホの向こう、昴流はしばし黙る。
いつもの軽口も出さず気配だけが伝わる。
「……昴流?」
煌牙が低く呼びかける。
「……別に」
短い答え。
「嫌な客がいたとかじゃない。ぼくが最後だったし」
そこで言葉が途切れる。
だが、何かを飲み込むように続けなかった。
「……おい。何か知ってるだろ」
兄の問いかけに、昴流はふっと鼻で笑う。
「さあね」
あえて突き放すような声音。
「自分で気づけよ、兄さん。……ほんとムカつく」
通話が切れた。
煌牙はスマホを見つめたまま沈黙する。
(……昴流のやつ。何を隠してる)
だが、その言葉の奥にある棘は――どこか嫉妬の色を帯びていた。
浴室のドアから、微かな水音が響く。
煌牙は握ったスマホをゆっくりとテーブルに置き、深く息を吐いた。
(……花楓
………くそっ、早く俺をすきになってくれ……)
切ない叫びを心の中で叫んだ。




