13
午後二時を過ぎた頃、二人は北山のレストランに入った。
少し遅めのランチは、パスタとハンバーグをそれぞれ注文する。
テーブルに並んだ皿から、熱気と香りが立ちのぼる。
「美味しそう……」
花楓が目を輝かせる。
フォークを手に取った煌牙は、ハンバーグを一口切り分けると、ふと彼女に向けて差し出した。
「これうまいぞ。ほら」
「えっ……」
花楓は戸惑い、頬を染める。
「そ、そんな……子供みたいで……」
「いいから」
低く命じるように囁き、口元へ運ぶ。
赤くなった顔を隠すように、花楓は目をぎゅっとつむり、恥ずかしそうに口を開いた。
フォークの先を受け取る仕草が、あまりにも初々しい。
(……ゾクゾクするな)
煌牙は思わず喉の奥で笑いを噛み殺した。
契約結婚のはずなのに――彼女のそんな顔を見せられたら、ますます手放す気になどなれない。
「……美味しい」
花楓が照れくさそうに微笑む。
その笑顔に、煌牙は心の奥で呟く。
(やっぱり美味そうに食べる…可愛い)
だが――その光景を、不意に誰かが見ていた。
「……社長?」
その疑念混じりの声に、花楓の表情が固まる。
振り返ると、数名の鷹峰グループ役員が立っていた。
ランチミーティングを終えた帰りらしく、驚いたように目を見開いている。
「……!」
花楓は慌てて姿勢を正し、言葉を失った。
対して煌牙は、わずかに口元を緩めただけ。
「……お疲れさまです」
低い声で淡々と挨拶を返す。
役員たちの視線が花楓に注がれる。
ざわつく空気。
誰も言葉にはしないが――「社長が女性と二人で食事をしている」という事実は、もう十分に重い。
花楓の手が膝の上で震えそうになる。
その瞬間、煌牙は迷いなく彼女の手を取った。
「……妻です。今日婚姻届を出した所です」
静かな一言が、すべてを打ち砕いた。
役員たちの目が一斉に見開かれる。
その場に漂う空気は一瞬で変わり、誰も軽々しく口を挟めなくなった。
煌牙はただ彼女の横顔を見つめ、揺るがぬ眼差しを浮かべていた。
その日のうちにランチの一件は瞬く間にフロアに広がった。
「……鷹峰社長、女性と一緒にいたぞ」
「妻だと……? 結婚の話など一度も聞いていない」
「正式な発表もなければ、本人から話もなかったはずだ」
ざわめきは瞬く間に広がり、やがて小さな渦となった。
誰もが「どうなっているのか」と口々に囁き合う。
「……もしや、会長も知らないのでは?」
不安げな声が上がる。
その瞬間――重々しい扉が開いた。
現れたのは、鷹峰グループ会長・朝紀だった。
背筋を伸ばし、柔らかな笑みを浮かべながらも、その存在感は場を圧する。
「知らないはずないだろう。息子の結婚だよ?」
場が一瞬静まり返る。
「証人の欄には、私が名前を書いたんだから」
さらりと告げられたその言葉に、空気が一変する。
「……っ!」
役員たちの顔が次々に強張り、室内に驚きの息が漏れる。
「会長自ら……?」
「承認済み……」
混乱とざわめきが広がったその瞬間、綾子が静かに夫の隣に立った。
柔らかな笑みを浮かべながら、しかしはっきりと告げる。
「ええ。私も立ち会いました。
花楓さんは、もう私たちの大切な娘です」
その一言は、役員たちの最後の抵抗を完全に打ち砕いた。
重苦しい空気の中、朝紀はわずかに目を細める。
「――以上だ。息子の結婚を妨げる理由がある者は、今ここで言え」
誰一人声を上げられず、会議室はしんと静まり返った。
(……契約であろうと、本物になろうと。
お前の選んだ道なら、私は背を押す。頑張れ)
朝紀の胸中には、静かな決意が宿っていた。




