プロローグ
魔王と人類の争いが終わりを迎えてから三年。
私は未だに現実を認められなかった。
今から六年前、勇者ケイル・ダイフが大陸南方の大魔族を討った事で台頭し、その名声を広めた。
勇者のみが扱う光の魔法を持ち、各地で魔王軍を撃退し、時には大魔族でさえも心服させた彼の名は、瞬く間大陸中に広がっていった。
時には人間とも対立しながらも、数多の強者の協力で彼は魔王を討ち倒した。
その光景は今でも覚えている。魔王と勇者の斬撃がぶつかり合った。光と闇の奔流が互いを飲み込み、私達が確認できた時には互いに消えていた。
その後魔王も勇者も現れる事は無く、魔王は討伐されたのだった。
誰もが喜びそして勇者の死を嘆いた。高潔な勇者の死は人々の心に深く刻まれると同時に、英雄譚として語られている。
魔王が死に三年、未だに私は勇者の死を認められなかった。
世界各地を当てもなく放浪し、旅をしていた。
「いつまでケイルの死を受け入れていないの、アベナル」
「ケイルは死んでない、アビス」
山の中腹辺りで野営をしていた私の元に来た青みがかった黒髪に紫と虹色の瞳をした美しい少女が訪ねてきた。
アビス・ゴール。6000年以上前から存在する組織〝シャドウナイツ〟の創設者の一人にして私の元上司だ。
彼女が私の元に訪ねてきたのは他でもない、私を連れ戻す為だろう。
「私は貴女が憎いの、ケイルより強い癖をして魔王討伐で役立たずだった貴女とお前の夫が。何のために彼は貴方達を助けたのよ」
私の物言いに、彼女は拳を握りしめている。堪えているのはケイルの功績と私の心情を考えての事だろう。
ケイルの功績と言うのは魔王に並ぶ世界最悪の魔族の一人、アードラスの話だ。彼女の夫であり、二人はケイルによって幸せな夫婦生活を送ることができている。
旅の一つ出来事として、人類最強であるアビスと、魔族No.2のアードラスで起こった夜の都での事件は今でも覚えている。
結果として、その事件ではケイルはアードラスを見逃した。二人も感謝していたのだろう、魔王戦の時には彼らも魔王と戦う強者の一人として加わってくれた。
だが結果として勇者は死んだ。理不尽な怒りであるのは承知している。アビスやアードラスがいなければ魔王を討伐できなっかたかも知れない。それくらい二人は死力を尽くしてその力を貸してくれた。
「幼馴染で、恋人が死んだあんたが、私達が幸せなのが許せないのは分かるわ。けれど、流石に物言いを考えなさい。ここのところ悪い噂しか聞かないわよ!?」
「うるさいなぁ!ほっといてよ!」
そうは言いながらも、私の事をほっとくのは彼女の心情的にも、私の実力的にも不可能だと知っていた。
幼い頃街を魔物に襲われ、ケイルや家族と離れ離れになった時に救ってくれたのが彼女だった。そんな彼女は私を鍛え、育ててくれた。育ての母とも言える存在で、彼女にとっても私は娘のようだと言っていた。
だからこそ私を放っておけないのだろう。
そしてもう一つ。実力的な問題で、もし私が思い詰めて暴れた場合にこの大陸で私を止められるのは、アビスとアードラスしかいないからだ。魔王と勇者が健在な時から世界で五指に入る実力者だった私の暴走を危惧しているのだろう。
アビスは私の様子を見て、これ以上は刺激するだけと感じたのか、立ち去っていく。
「最後に、ケイルの遺体はまだ発見されていないわ。そしていい加減に妄執をやめなさい。私に言えるのはこれだけよ」
「…………」
そんな事は知っている。このまま当てもなく旅をしても無意味な事なんて。
けれど、私は勇者が生きていると縋りたいのだ。
心のモヤは晴れぬまま、今日も眠りにつく。
毎晩、夢を見る。
あの時の夢だ。ケイルと魔王の一騎討ち。
私達は既に死力を尽くしてケイルの繋いでおり、介入することはできなかった。
あの時私が無理やりにでも介入していたら、結果は違ったのではないか。そんな思考が私の心を侵食していた。
目を覚ますと、日が昇り初めて暗闇が徐々に晴れている。
荷物をまとめて野営所を片付けると、旅を進めていく。
まだ魔王軍との戦いから年月がそこまで経っていない事もあって、魔物が道中に幾度か現れたが、私の敵では無かった。
昼くらいまで歩いたところで、私は壮大な景色に思わず目を惹かれた。
生い茂る木々を抜けた先には、眼下に広がる透明な湖に、崖と木々から顔を出す滝。鳥の声と水の流れる音が私の耳を流れた。
思わず私の目からは涙が溢れていた。感動したというのもあるが、それよりも、この景色をケイルと見たかった。二人で平和になった世界を旅しながら、彼の想いを受け止めてあげたかった。
「何を間違ったのかな、私……」
後悔の声は誰にも届くこと無く、大自然に吸い込まれていく。
■ ■ ■
青みがかった黒髪の少女、アビスが、自身の屋敷へと戻っていた。
黒髪の、感情の見えない虚ろな目をした青年のいる部屋に入ると、吸い込まれる様に彼の腕の中に入った。
「アベナルを連れ戻せなかったよぉ」
「そうか、お前で連れ戻せないなら仕方ないな。暴走は大丈夫そうなのか?」
「そこはね。あいつもそこまで理性を失っているわけじゃないし」
アビスは青年に顔を向けると、頭を向けて首を振る。意図を察した青年は彼女の頭を優しく撫でた。
満足そうに鼻を鳴らしたアビスは、ゆっくりと腕の中から離れるが青年はそれを許さない。
頬を赤く染め、青年に抱きしめられた少女は部屋の影からの厳しい視線に体を震わせた。
「……別にいちゃつくのは構いませんが、今の僕の前でするのはやめてもらえますか?」
「はは、ごめん。でも君もこんな回りくどい事しないで、彼女に姿を現してあげればいいでしょう?」
「……そうしたいんですけどね。少し疲れてしまって。僕も彼女もお互いに愛し合っています。けれど、僕が弱いからこんな事を」
「お前の言い分も分かるけどな。少なくともあいつの愛情は度を越してる。まあお前の愛情も重いがな」
部屋の影にいた人物は、頷くとそのまま影に消えていった。
残された青年と少女は呆れたようにため息をつく。なんて面倒くさい二人なのだろうかと。