六
本多平八郎から解放されてオレは服部半蔵との謁見に臨む。一つ気がかりはオレはこの書状の内容を一切知らない。服部半蔵に問われたら下忍のオレでは答えられない恐れがある。
「待たせたの。丹波殿の使い。頭を上げろ。本多様がなにかと詮索しただろうが気を悪くするな。織田家と盟約がある当家だからな。いろいろあるのだ」
オレは頭を上げて服部半蔵と対峙する。どうやら鬼導丸は見えていないらしい。
「書状の件だが……。色よい返事はできんと丹波殿に伝えてくれ。いいか。正確に伝えろよ。色よい返事だからな」
オレが首を傾げると服部半蔵は笑った。
「そう伝えれば丹波殿なら伝わるはずだ。そなたもいずれは伊賀衆を束ねる身、このくらいは無難にこなせよ」
オレは黙って頷き、その場を退出した。
浜松城下の宿屋に戻ると部屋で大の字になってイビキをかいたくノ一が寝ていた。満腹になって眠たくなったのだろう。口元には食べかすがついている。オレが近くに座ると雪乃は起きる。
「どうだった?」
「ああ、豚が部屋で寝てた」
「豚ちゃうわ」
オレたちは帰国の途につき東海道を上っていく。尾張を過ぎた辺りで尾行されているのに気付く。尾行を巻くために少し山あいの道にそれる。
「カヤト、何やってんのよ。あっちのほうが近いよ」
どうやら雪乃は尾行に気づかないようだ。尾行は三人。間違いない。それ以上は少なくてもここにはいない。だとしたら、試してみるか。
「雪乃、少しそこに座ってろ」
「はあ? じゃ、お土産お願いね」
こいつは観光に来ている?
オレは尾行者三人に声を掛ける。
「三人でいいかな。オレに何のようだ?」
「ここは織田家の領内だ。伊賀者が何のようだ?」
「いやね。伊勢亀山周辺が物騒なことになっていてね……」
オレの言葉を最後まで聞かずにぞろぞろと出てくる。十人って、こりゃ手練だらけだぞ。
「それでもう一度訊くが尾張に何のようだ?」
オレは雪乃を一瞥する。大福に夢中でこちらの異変に気付いていないようだ。気付いていないのなら好都合。オレは鬼導丸の柄に右手をやり抜刀する。やはり、予想通りだ。鬼がいない状態でも鬼導丸を抜刀すると周りが静止し墨絵の中の世界が広がる。別にここで逃げてもいいが、もう一つ試したい。手前にいる尾行者に向かってオレは斬りかかる。当然、音もしなければ手応えもない。鬼を斬った時と同様に墨が流れていくように地に溜まっていく。そう、鬼導丸は現実世界では斬れないものも墨絵の中のようなこの世界では斬りつけることができるのだ。問題はこの後だ。現実世界に戻った後にこれがどうなっているかだ。
オレが鬼導丸を鞘に戻すと世界は色を取り戻していく。色を……。
オレは血の池のような地面に一人立っている。そう、墨のような血だまりが黒から赤に変わっただけ。確かに人間を斬ったはずだ。だとすれば、人間の身体だった肉片がそこに散乱していてもおかしくない。そこには血だまりだけが残っている。オレがジッとそれを観察していると残りの尾行者たちはオレと距離をとる。
「こいつ、妖術使いだぞ。気をつけろ」
気をつけたところで、どうなるものではないが……。
妖術使い?
なら他にも手はある。
オレは両手に力を目一杯込める。
ギュルギュルギュルと音を立ててオレの両手を包む空気が唸りを上げ始める。
「こいつ雷撃使いだ。退避、退避」
尾行者の一人が仲間に声を掛ける。
「雷撃」
オレの両手から放たれた雷撃は蒼き閃光と轟音を残して尾行者たちを襲っていく。蒼き閃光によって切り裂かれた空間は発火し黒焦げにしていく。それは人間も一緒だ。どうやら三人取り逃したようだが、まあもう追ってこまい。
「何、何? カヤト、血だらけじゃない」
オレの雷撃で巻き上げた血飛沫を見て、雪乃が驚いてやって来た。
というか、尾行者には何も触れないとはなかなか図太いくノ一だ。