ランフォ衝撃小劇場VOL.3 ともだち
アンドロイド製造会社の役員は無類のトクサツ、アニメ好き。
そんな彼は小学生時代の同級生と再会するが。
2034年度 岡山市立第一統合小学校 卒業文集
86ページ
四年生のときの思い出
6年2組 こうだい しゅん
ぼくの小学校生活のいちばんの思い出は四年生の夏休みのことです。
臨海学校で泳げない生徒でグループを作ったので、ぼくはクラスの違う子といっしょに浜辺で水着の岡田先生をからかったり、ビーチバレーをして遊びました。
そのときなかよくなったのがくりがみ太郎くんです。太郎くんはクラスのちがうぼくにもやさしくて、すぐに好きになりました。トクサツやアニメにゲームのことも詳しくて、ぼくにいろんなことを教えてくれました。
それに太郎くんにはオデコに傷がありました。ぼくも幼稚園のとき、階段から落ちて右目の上にキズができて、それをからかわれたりしたのですが、太郎くんは自分のオデコの傷と同じで、ぼくの目の上の傷はオトコのクンショウだといってほめてくれたので、とっても好きになりました。
臨海学校の次の日、ぼくたちはいっしょに遊ぶ約束をしました。ショッピングモールのゲームセンターで遊んだあと、帰るときにいっしょに缶ジュースを飲みました。そのとき、三中のふりょう生徒にカツアゲされそうになって、太郎くんがぼくの腕をつかんで走りだしました。ぼくは怖かったけど、太郎くんについていき、ひじょう階段を使っていちばん下の駐車場まで逃げました。
追ってこないことがわかると太郎くんが笑いだしました。
ぼくも笑い、ふたりで大笑いしました。
その日から毎日ゲームをしたり、ぼくのうちで仮面ファイターアルスの映画ばんをみたりして過ごしました。毎日毎日たのしくて宿題がおくれてしまうほどでした。
二学期に学校でも遊ぶつもりだったけど、太郎くんはきゅうに引っこしてしまい、そのまま会えなくなりました。
でもぼくにとって、太郎くんはいまでもたいせつな、たいせつな、ともだちです。
「常務、このあと13時からは通産省との折衝です。14時15分からはアジャール共和国の通商代表団の表敬訪問、15時からは社内報の動画撮影です。台本は準備済み。そのあとメディアインタビューが2件と、広告代理店との打合せ。新コマーシャルメッセージのプレゼンとウェブ求人策の新提案があるそうです。そのあとの民自党カワゴエ幹事長のパーティーは19時以降の到着でかまわないそうです」
秘書型アンドロイドのアヤNE3がすらすらと話すのを聞いて、香台旬は腕時計を見た。
「15分ほど余裕があるな」
「はい」
こういう時、ロボットは従順だ。非合理的な反論をしてこないから、都合がいい。彼は執務室のドアを閉めると水蒸気モニターを空中に投影した。
ソーシャルネットワークに自分の渇きを癒す何かを求めて空中に指を走らせる。
同じ趣味の仲間が集うSNSサービスである「インタレット」を起動する。ほんのわずかだが、息抜きの時間を楽しもうというのだ。
とそこへ映像電話の着信を知らせるマークが踊った。妻の恵子だ。
「あなた、今日、父にお会いになるでしょう。その時、父に注文してほしいの」
夫婦とはいえ、何の挨拶もなく用件を突き付けられるのはいつものことだった。
「な、なんの?」
「この前のイタリア旅行で友人のサエさんが購入したアンジェラ・オベッティーの香水、父に頼んで同じもの用意してもらうよう手配したのに、まだ来ないのよ。あれ、限定品だから入手困難だって聞いてるけど、なんとかしてやるって父が言ったのよ」
恵子の世間知らずな態度はいまに始まったことではない。辟易しながらも旬は表情から悟られまいと偽りのほほえみを浮かべた。
「わかったよ。社長、あ、いや、お父様にはぼくからしっかり言っておくから」
「頼んだわよ」
カフェにいるらしい恵子が露と消え、あとには通話切断の信号だけが耳に残った。
「ったく……」
ふたたび、執務用の椅子に深く腰掛ける。ようやく自分の時間が持てる。あと10分だが。
「新番組『仮面ファイターライザー』の主演に16歳のジェニファー・綾香・オカモトが決定! 女性仮面ファイターの主演は一昨年の仮面ファイター荒勢以来!」
「2032年に10歳だった君へ。いま、新たなる冒険が始まる。『劇場版ウィンガーロボ・ストライカーフォース』がロボアクターによる完全新作でいまよみがえる!」
「『貴神戦隊ボウオウジャー』など特撮番組を多く手掛けた山科肇監督が死去。46歳」
旬は限られた時間の中、あふれかえる情報の中をさまよった。子供のころから夢中になっていた特撮ヒーロー番組やアニメ。ついでにプラモデルやフィギュアなどの情報に接することのできる場所。ここが旬の心のよりどころなのだ。
それらの情報は束の間の憩いを旬に与えてくれる。
そしてその情報は自分の欲するものへ最適化が図られている。
「2032年劇場公開の仮面ファイターアルス~怒りの神と太陽の化身~を見て感動した人 岡山県編」
インタレットには「この指とまれ」ボタンが実装されている。
「これ観た。そうだ、太郎くんと!」
旬は小学4年生の夏を思い出した。岡山の自宅のテレビで同級生の太郎くんとこの映画をオンデマンドで観たおぼえがあった。
おもわずボタンを押す。
するとすぐにメールが飛んできた。
「2032年公開の仮面ファイターアルス~怒りの神と太陽の化身~に超常者グラウラー役でご出演された杉山加寿人さんがこのたび、劇場公開40周年を記念して岡山にお越しになります。トークライブと歌唱披露、サイン会を予定しています。場所:ライブステージ・マニアの館(JR岡山駅前桃太郎ビル地下2階。開催日:2072年4月16日15時開場、16時スタート。MC:フューラー小柴、参加費:おひとり5万新円(消費税26%別、ワンドリンク・チャージ付き)」
メールを見た旬は苦笑いした。
フューラー小柴は小柴武雄くんの芸名だ。彼は小学校以来の友人で、子供のころはもちろん、成人してからも特撮番組や映画の情報を共有しあう仲間だった。
自分はその趣味が高じてか、こうしてアンドロイドを製造する大企業の一員となったが、彼もある意味同じで、今も地元で趣味をそのまま仕事にしている。
スケジューラを立ち上げてすぐに4月16日の予定を見たが、日曜日にもかかわらず付き合いのゴルフやオンラインパーティーで埋まっていた。
「仮面ファイターアルスか……」
記憶がよみがえった。あの夏、この映画を観たのは、まちがいなく、あの太郎くんとだった。
太郎くん。栗上太郎くんだ。四年生の夏休み。ひと夏だけをいっしょに過ごした無二の親友の太郎くん。
あの夏のことは今でも旬にとっては宝物だった。
引っ込み思案でおとなしかった旬を冒険の世界へと誘ってくれたのが太郎くんだった。
特撮番組やアニメにゲームが趣味で、知識が豊富なうえに、話し上手でどこか強くてたくましい雰囲気。一人っ子の自分にとってはまるで兄のような存在の太郎に強く惹かれ、同じ時間を共有できたことがこの上ない喜びだった、あの夏。
「電話帳。小柴くん」
時間がない。旬はすぐに電話機能を呼び出すため発声する。
小柴に電話をかける。もう何年も連絡していなかったが、即効性はやはりこの機能だ。
しかし小柴の電話は呼び出し音がするものの、出てはくれなかった。
溜息をひとつ。
そろそろ時間だ。旬は重い腰をあげて午後の職務に戻ろうとした。
「ハロー!」
内ポケットの中で陽気な声がした。スピーカーはそこにある。
「武雄ちゃん」
水蒸気モニターにすっかり禿げ上がった額の武雄ちゃんが笑っていた。いつもメディアで見るフューラー小柴が踊る不思議な踊りをここでも披露してくれている。
「よう、どうした? 大企業の重役さん」
「仮面ファイターアルスの告知見ちゃって」
「おー、それはそれは」
モニタの向こうの武雄ちゃんが嬉しそうにしている。
「スケジュールが空かないから行けないけど」
「そらそうだろ。今や我が国を代表する大企業の重役さんだもんな」
嫌味なのだろうか。旬の顔が曇ると、武雄ちゃんはすぐに返した。
「でもこうして、忘れてないんだよな、シュンちゃんは」
「あ、ああ」
うまく返せない旬に武雄ちゃんが畳みかける。
「そこがシュンちゃんのいいとこなんだよなあ」
苦笑しか浮かばないが時計の針はしっかり目で追う。
「武雄ちゃん、あのさ」
「なんだい? あ、特別に杉山さんのサインはもらっといてやるよ。我が国最大のアンドロイドメーカーであるゼノダインエンジニアリングの執行役員が欲してると言えば、超常者グラウラーも泣いて喜ぶぜ」
「あ、おれ、常務になったんだ」
「ひえええ! 常務とは恐れ入りました。あの天才技術者にしてカリスマ経営者の石淵和昭氏の長女を射止めただけのことはある!」
「おいおい。それじゃ、実力でなれたわけじゃないみたいだぞ」
「おお、これは恐れ入りました。確かに。シュンちゃんは東大卒で、元通産省のトップエリートだもんね。才ある者として当然だったな。すまんすまん」
「ぜんぜん謝ってるように聞こえないぞ」
二人が笑いあっていると、ノックが聞こえた。秘書ロボットだ。
「あ、武雄ちゃん、覚えてるかなあ」
「へ。なにを? 仮面ファイターアルスのトリビアなら負けないぜ」
「そうじゃなくてさ」
「なんだい? おれは特撮界の生き字引と言われてるんだぞ」
「そうじゃなくてさ。この映画を一緒に見た四年の時1組だった、栗上太郎くんを知らないか」
空気中の仮想モニターに浮かぶ武雄ちゃんは変な踊りをやめた。
「栗上君かい」
「ああ。いまどうしてるかなと思って」
無謀な質問だった。栗上太郎くんは四年生の二学期に突然転校していってしまったのだ。自分と同じ一生徒で、太郎くんと同じクラスになったこともない武雄ちゃんが知っているはずがない。
「シュンちゃんは大学以来地元に戻ってないから知らないんだよな」
「え?」
意外な反応だった。
「ちょっとまって」
空気中のわずかな水分に投影される立体映像の武雄ちゃんが手元で何か操作している。ネット検索のようだ。
「あった。これこれ」
その情報が共有される。
「特殊詐欺グループを摘発。元締めの広域暴力団矢ヶ崎組系豪良会三代目五十嵐組組長を逮捕」
「2064年のネット記事だよ」
武雄ちゃんの言う意味がわからず、旬は秘書のドアノックを無視して閲覧した。
「岡山県警岡山第一署は31日朝、市内の広域暴力団矢ヶ崎組系豪良会の下部組織三代目五十嵐組組長の栗上太郎と関係者三名を逮捕した。警察によると……」
旬は絶句するしかなかった。
「急に引っ越していったろ。太郎くんちは家庭に問題があったみたいで転校を繰り返してたんだけど、まさかこんな人物になってるなんてなあ」
あの優しくて、なんでも知っている太郎くんがよりによって反社会的勢力、いや暴力団員になっていたなんて。しかも記事は十年前のものだ。いまはどこで何をしてるんだろう。
「これ以降、メディアで名前を見ることはないから、更生してくれてるとは思うんだけどな」
武雄ちゃんが言う言葉も耳に入らず、旬は丁寧に礼を言って映像電話を切ると、失意のまま部屋を出た。
仕事を進めるものの、心ここにあらずとなった旬だったが、なんとか午後のスケジュールをこなしているとまた電話が鳴った。
オンタイムでの電話は避けるように伝えていたはずの恵子からだった。
「あなた。父の件……」
「一緒になるのは夜だよ。民自党のパーティーで」
「そう。ごめんなさい」
めずらしくしおらしい恵子に驚いたが、いつもの彼女と違って、今回は電話をブチ切りしなかった。
「あなた」
「?」
「今日は少し元気がないみたいだけど疲れてらっしゃるのかしら」
恵子の態度の違いに戸惑いを覚えながらも、時計に目をやる。少しなら話す時間がある。
「あ、あぁ」
「どうしたの? 心配だわ。話してみて」
恵子がこんな殊勝なことを口にするとは思ってもみなかったが、いまの旬は誰かにこの想いを伝えたかった。
「小学校時代に仲の良かった子がヤクザになってたんだ」
コンプライアンス上の問題があるから付き合っちゃダメよ。そう返されるとわかっていながら、正直に伝えた。ショッキングな現実に直面して傷心をかかえた自分を慰めてほしかった。けっして慰めてくれる相手ではないと知りながら。
「そう。そうなの。それって、もしかして。えっと名前が思い出せない。タロウ。そう、太郎くんのことかしら」
妻には何度も話していたかもしれない。あの夏の印象はそれほどまでに旬にとってはかけがえのないものだったのだから。
「そう。そうなんだ。太郎くんなんだ。栗上太郎くん」
そこまで言うと妻が微笑んだように見えた。
「クリガミ? 変わったお苗字ね。どんな時を書くの?」
旬はメモパッドを空中に踊らせると走り書きした。
「栗上太郎さんね」
そう言うとコンプライアンス上の問題があるから付き合っちゃダメよと言って切られた。
「常務、時間がありません」
秘書ロボットに急かされた旬は、恵子の態度にほんの少し救われた思いで、次の仕事場へ向かった。
二か月後。
「ゼノダインエンジニアリングは我が国を再興する起爆剤となりました。斜陽を謳われていた我が国にとって、まさしく救世主。いや、それ以上の存在なのは言うまでもありません。ご紹介いたしましょう。ゼノダインエンジニアリングCEOにして『ラクスル』アンドロイドシリーズの産みの親、石淵和昭さんです!」
会場となったホテルの大広間。
割れんばかりの拍手の中、登壇した白髪の老人は遠慮がちに微笑んだ。今どきアンチエイジング処置も受けずに自分の老化を受け入れている彼を紹介した元アナウンサーの民自党女性幹部が手を引くと、壮健で知られた彼もその身のその衰えは隠せない。
スクリーンには彼本人ではなく映像処理されたアバターである「カズアー」が背筋を伸ばして皆に手を振っている。しかし小さく腰を折る石淵老人は誰の目にも精気を失くしつつある、か弱い老人だった。
「みなさん」
拍手が鳴りやみ、ホテルの大広間が静寂を纏った。
「わたしはこれまで、ロボット、いやアンドロイドの開発に全精力を注いでまいりました」
皆はうなづいた。
「この国の発展に少しは寄与できたこと。それが私の誇りであり、私の存在意義であると考え、今日まで努力を続けてきたのです」
会場は静まり返っていた。ステージの脇には副社長と開発部門の統括責任者である専務で長男の石淵和孝、そして常務の香台旬と、執行役員の面々がそろっている。
今日はゼノダインエンジニアリングの創業40周年記念パーティーだった。
「しかし、衰えました。もはや技術者としては何の役にも立たない老いぼれです」
失笑する者もあったが、多くは沈黙を貫いた。
咳払いをひとつ。
「わたしは人類の未来に貢献することのできるこの会社を次の世代の者に譲ろうと思います」
どよめきが起こった。このような発表があるとは、誰にも知らされていなかったのだ。
動揺は登壇中の取締役や執行役員のあいだにも拡がった。
「わたしはアンドロイド製造の基本は『心』にあると信じています。機械に心などないとおっしゃる方も多いのですが、それを作るのはやはり人間なんです。その人間が心を忘れては機械に心など宿るはずもない」
工学博士であり、世界最高峰の技術者でもある和昭にしては抽象的な言葉が続いた。
「ですから、この部分がわかっていて、それをしっかり製品に活かせる者を後継者としたいのです」
ざわつきが頂点に達したとき、石淵老人は軽く右手をあげた。
再び、静寂は会場を包んだ。
「ゼノダインエンジニアリング第二代CEOに香台旬くんを指名します」
メディアライターはその場でライブ配信を始めた。ホテル関係者の制止を振り切って駆け出す者は所属する部署への報告をしたい情報企業の者だろう。
そして一番動揺していたのは当の旬本人だった。
カメラマンがフラッシュを浴びせ、新CEOとなった旬に近寄ろうとする者がステージに殺到した。
「みなさん、落ち着いてください」
石淵老人が一喝すると皆がその場にとどまった。ライブ配信中の者の甲高い声だけが響く。
「香台くんは技術者ではありません。ましてやロボット工学など門外漢といってもいいほどです。しかし、その彼にあとを任そうと思ったことには理由があります。彼は」
石淵老人はそこで言葉を切った。
「そう。彼はロボットが何たるかを知っている。そう。彼はロボットが、わたしのつくったアンドロイドの『ラクスル』シリーズがなんたるかを、その存在意義を誰よりも理解しているのです」
肩にライブ配信用カメラを取り付けたメディア関係者が挙手した。発言権を与える前に発言する。
「本来ならCTOであり専務であり、ご長男でもある和孝さんに譲るのが筋じゃありませんか?」
この騒ぎの根本的な理由を率直に尋ねた質問に、皆の注目があつまる。それはライブ配信を見ている全世界の数十万人も同様だった。
石淵老人は首を横に振った。
「CTOは技術者であり、優秀やロボット工学の先駆者のひとりです。彼はその優秀な頭脳を持って、新CEOの右腕となることでしょう」
言葉に出ずともそれが長男和孝は香台旬より経営者として劣っていると伝えていた。
ざわめきが起こる。
SNSでのさまざまな意見や感想が奔流となって、世界を駆け抜けた。
その三か月後、石淵老人はこの世を去った。
「CEO、続いて国土交通省の井端局長との面談です」
「ああ、わかってるよ」
立場が上に行くとさらにスケジュールがきつくなる。多忙を極める旬は趣味の時間など、まったく持てないほどになっていた。
「そのあとですが、ホテルエプシロンでの株式会社ワッタドゥのアンダーソンCEOとの商談がキャンセルになりました」
「なんだって」
「体調がすぐれないとのことで、検査を受けられたところ、WDDの陽性反応がでたとのことで辞退の連絡がありました」
WDDは巷を席巻する伝染病だが、まさかこのタイミングで先方が罹患するとは。
旬にとっては朗報に感じられた。
「ホテルに控室用の部屋を取ってあるよね」
「はい。商談用の部屋とともにキャンセルいたします」
「待ってくれ。近頃ゆっくりする時間を持てないんだ。控室用の部屋はそのままにしておいてくれ。少し仮眠したい」
「承知いたしました」
旬はホテルに直行すると秘書型アンドロイドのアヤNE3をセキュリティ要員のボディガード型アンドロイドたちとともにロビーで待機させると、部屋にひとりで籠った。
交流系SNSで久々に人気のヴァーチャル体験型特撮プログラムの情報に接してみる。今ではトクサツはジャンルを表現する言葉であり、特殊撮影という手法を指す言葉ではなくなっている。
しかし旬の中に眠る憧れとときめきを、胸の内にあふれ出させるには充分だった。
「新番組『宝王伝奇ゼンジャイガーPLUS』独占配信決定!」
「インドネシアで大人気のコミック『上昇王アガジ』が現地資本で完全立体映画化!」
「PHLメディアミックス大賞に『大電龍ズガンドガン』!!」
立体動画付きの見出しを見ながら、ベッドに寝転がって楽しんでいるうち、新作特撮番組を紹介している動画解説を見ながら眠りに落ちてしまった。
よほど疲れていたのか、いまだに続くビジネスマンの悪しき習慣であるネクタイを緩めただけでこうなってしまう。
しばし微睡んでいたところへ携帯電話が鳴る。着信拒絶を設定していなかったことを後悔しながらモニターを見ると、小柴武雄くんからだった。
そういえば、昨日くらいから何度か着信があったが出れずにいた。いずれも古めかしい音声着信だった。
「武雄ちゃん」
「すまない、CEO。忙しいんだろ」
「その呼び方は堪忍してくれよ」
「ああ、ごめん、シュンちゃんでよかったかな」
「何度か電話もらってたんだけど」
「実はどうしても伝えたいことがあって」
その声色に真剣なものを感じて、旬はベッドの脇に身を起こした。
「何ヶ月か前、栗上太郎くんのことを聞いてたよな」
「そうだ、たしか反社会的勢力の一員になってるって……。それがなにか?」
「こっちにウラ社会に詳しいヤツがいて、ソイツが言うには栗上くんの組が敵対する東南アジアのマフィアと抗争してて、最近壊滅したらしいんだ」
「ま、まだヤクザやってたのか」
「そうなんだよ。それで」
「それで?」
「東京へ逃れてったって話なんだ」
「こっちへ来てるっていうのかい」
「そう。それでね」
突然水蒸気モニターが立ち上がった。
「これ見て」
ニュース配信の動画だった。そのニュースが伝えているのは香台CEOになって初めての新型『ラクスル13』型アンドロイドの発表会の様子だった。先週のことだ。
しかし武雄ちゃんは会場になった国立競技場に到着した際、自動運転リムジンから降り立つ自分の姿のところで映像を止めた。
「これ見てよ」
画像は旬ではなく、会場に集まった関係者や野次馬を映している。そして、その中にいる背の高い、黒ずくめの男をアップにした。
限界までズームすると、その男の額には特徴的な傷痕があった。
「た、太郎くん」
旬は思わず絶句した。
「おれ、この前シュンちゃんと話したあと、卒業写真集で4年生の夏休みまでいた栗上くんの顔を確かめたんだ。一枚だけ、臨海学校の写真に彼が写っていてこの額の傷を見たんだけど、間違いないよ。整形手術や傷の除去手術なんて簡単にできる時代なのにこの傷を残してるのは、やっぱそれをアイデンティティにしてる人物なんだ」
武雄ちゃんの主張に否定的意味合いは薄かった。ただ必死で何かを伝えたいという想いだけは感じられた。
「ありがとう」
武雄ちゃんはそれ以上を語らずに通話を切った。
旬は高層ホテルの窓から外を見渡した。もちろん黒服の男など見つけられるはずもないが、それでも視線は地上の人影を追った。
「CEO、時間です。次は午後5時から機械式人造人間製造者組合東京支部の定期理事会懇親会です。滞在時間はおよそ十五分の予定です」
秘書型アンドロイドに急かされて部屋を出る。廊下でもこの後のスケジュールを確認してくる秘書とボディガード型アンドロイドとともにエレベーターに乗った。
「それから」
秘書の左手首に水蒸気モニターが立った。
「先ほど、リムジン車からの警告映像が届きました」
自律運転型リムジンは防犯上の理由で、駐車時にも周囲を撮影する機能を有している。
リムジンを遠巻きに見つめる黒服の男が写っていた。
「た、太郎くん」
旬が思わず立ち止まった。
「CEO、時間がありません」
「この男を探してくれ」
二人組のボディガード型アンドロイドに命じて、周囲を探させる。
「このあとのスケジュールは全部キャンセルしてくれ」
「しかし」
「急病だ。いや、それだとメディアがうるさいから体調不良ってことにしてくれたまえ」
居ても立っても居られなくなった旬は地下駐車場を駆け回った。子供のころの出来事を不意に思い出す。
三中の不良グループにカツアゲされそうになった時、太郎くんといっしょに逃げた地下駐車場に似ている。
そして、胸の携帯電話が鳴った。
「CEO、男を発見しました」
アヤNE3は不服そうに言った。プログラムがそうさせているのか。
「それと」
秘書型アンドロイドがスケジュールの注釈を加えようとしたが、それは聞かずに映像電話を切る。
携帯に点滅する位置情報を表示させながら、地下三階の駐車場の端から非常階段を登ろうとしているところで黒ずくめの男の背中を見つけた。
その背中はあの日、怖いながらもドキドキしながら駆け下りた非常階段の太郎くんの背中に似て、どこか力強く、どこか頼もしい、そして少し悲し気な、そんな背中だった。
「太郎くん。栗上太郎くん……」
その背中に問いかけると、男はゆっくりと歩みを止めた。
「香台旬。香台旬だよ。岡山市立第一統合小学校で四年生の時にいっしょになった旬だよ」
男はゆっくりと振り返った。
重ねてきた年輪は同じはずだが、男の顔には言葉では言い表せない深い何かが宿っていた。
サングラスをゆっくりと外す。
「シュンちゃん」
しゃがれた声はそれがあの栗上くんのものだとはわからない。
しかし額の傷がすべてを物語っている。
香台旬は今の自分の立場や、背景のすべてを忘れて駆け寄らずにはいられなかった。
「やっぱり栗上太郎くんだったんだね」
思わず手を取った。その手はしっとりとして、熱があり、そして力強かった。
「会いたかったよ、ずっと」
こみ上げるものを抑えながら、シュンは太郎との再会を喜んだ。
「迷惑だよな」
太郎がぼそっと言った。
「今は住んでる世界が違いすぎる」
「そんなことは気にしないでいいよ。ボクらはともだちじゃないか」
「ともだち」
太郎くんが呟くように言った。
「そうだよ。事情はある程度知ってるんだ。教えてくれた同級生がいてね」
「実は……」
太郎くんが俯いた。
「オレは追われてるんだ」
その言葉で事態を飲み込んだ。ボディガード型を呼んだ方がいいかもしれない。
「それで。それで最後くらい、お礼を言わせてほしくてな」
「最後? お礼? 何言ってんだい」
「ああ、そうだよな。わかんないよな。オレんちは貧乏で、しかも親はろくでもない怠け者で、オレは満足な教育を受けられなかった。ただ、唯一の楽しみが無料サイトで観る特撮番組やアニメだったんだ。そんでもって、オレの親は、地元でも名士で知られた香台家のボンボンのシュンちゃんが同じ特撮好きってことを学校内ネットで知って、オレに近づくようけしかけたんだよ」
それは知らなくてもいい事実だった。
「でもって、オレはそんな親に嫌気がさして暴力沙汰を起こしたんだ。笑えない話だろ。父親をバットで殴ったんだよ。小学校四年だぜ。学校が隠ぺいしてくれたおかげで、表沙汰にはなっちゃいねえだけだったんだけどな」
太郎くんは同い年とは思えないほどに深い皺を湛えた顔をくしゃくしゃにした。
「でもな。オレ、シュンちゃんと友達になれたことは今でも宝物なんだぜ。それだけは嘘じゃねえ。あの夏、シュンちゃんの家で観た、仮面ファイターが忘れられねんだよ」
言葉がなかった。
「だからよう。こうして最後にお礼とお詫びだけは言いたくてさ。東京まで出てきたんだ」
「ぼ、ボクに会うために?」
「そうだ。敵対している組織があってな。全部やられちまったんだ。殺し屋を雇ってるらしくて、いつ消されるかわからねえ」
微笑んだ太郎くんの額の傷痕がゆがむ。
「とにかくこっちへ」
ヒトの気配などまるでないというのに、あたりを確認しながら地下駐車場を上がる。
アヤNE3を呼び出して部屋の確保をさせ、セキュリティ担当のボディガード型アンドロイドに脇を固めさせて、その部屋へ入った。
「もう大丈夫だ。このホテルはセキュリティがしっかりしているし、ドアの向こうにはウチが世界に誇るボディガード型アンドロイドが二機も警戒態勢で構えているよ」
「すんげえもん作ったんだな」
「ボクが作ったわけじゃないんだけどね」
太郎くんは設えられた冷蔵庫の水で一息つくと、黒いネクタイを緩めた。
「何かケータリングを呼ぼう。何が食べたい?」
「そんな。世話になるわけには……」
「何を言ってるんだい。四十年ぶりかな。せっかく再会したんじゃないか。遠慮はいらないよ」
迷わず、壁に向かってスクリーンにケータリングメニューを表示するよう話しかける。
「すまない。こんなことをしてもらおうと思って来たわけじゃないんだ」
「ああ。わかってるよ、太郎くん」
「しかし。しかし追手がいるんだ。高性能の殺し屋アンドロイドなんだ」
「怖くはないよ。うちのアンドロイドは優秀さ」
そうは言ってみたものの、国内で使用される正規のアンドロイドは一定基準の制限が設けてある。
「そうだ」
秘書型アンドロイドの最高峰たるアヤNE3に連絡を取る。
「ここにセキュリティコード848を配置したい」
「違法です」
「緊急回避措置だ。テロリストに狙われている疑いがある」
「客観的事実をお示しください」
さすがはよくできたアンドロイドだ。
「コマンド。スコーク999」
この符号を香台旬の肉声で受信した場合、強制的に服従するようプログラムされているアヤNE3は、コクリと頷いた。
「お台場管理倉庫A4Bに陸自向けの秘匿機体が四機所蔵されています。CEO権限で起動させ、機動運用999にて三十分以内に配置します」
「すまん。頼んだぞ」
機動運用999とは国と極秘に締結した緊急時の臨時運用方法で、大型ドローンによる空輸を指す。
これでひとまずは外国製のアンドロイドや違法改造モノの急襲にも備えることができる。
「アヤネさん」
この名で呼びかけることはまずなかった。識別番号から名付けたニックネームだ。
「なんなりと」
「マスコミに知られてはまずい。このホテルはうちの顧客だよな」
「もちろんです。外国資本の株式会社エプシロン・リゾートアンドレスト・ジャパン社です。支配人型からポーター型まで幅広く利用いただいています」
「社長に直接連絡して一連の経緯を説明のうえ、この部屋を長期に渡って秘匿のうえ、借り上げられるように計らってくれたまえ」
「承知いたしました」
AIが「一連の経緯」という言葉をどこまで嚙み砕いてくれているかはわからなかったが、それでもそれ以上の説明は加えずに、秘書型アンドロイドに任せることとした。
「そして」
「太郎くんはその、つまり。その世界で活動している間は、特撮とかアニメとか興味なかったのかな」
太郎は目を丸くした。
「そ、そりゃもちろん、情報には接してたよ。それに……」
「え?」
「仮面ファイターシリーズだけは今も観てるよ」
「え? そうなの。そりゃうれしいな」
ケータリングが運ばれ、アルコールを口にした頃には最新鋭の対テロ対策用軍事アンドロイドが四機、配置についた。
自身のボディガード役と合わせて六機体制での防衛網を敷いたのだから、敵対組織の暗殺用アンドロイドでも容易には近寄れまい。
念のため、空からの襲撃に備えてドローンも複数機飛ばしている。接近するドローンがあれば、アヤネさんを通じて連絡を入れるよう指令済みだ。
あとは太郎くんとの空白の四十年を埋めるだけだった。
「でさ。その年の終わりに東京まで出てきてサイン会に行ったんだ」
「わざわざかい」
「もちろんだよ。それでうっぷんは晴らせたってわけよ」
「わはは。シュンちゃんはやっぱ拘りが強ぇえなあ」
酒も進み、夜も更けたというのに、思い出話はいっこうに尽きず、お互いの人生を振り返る語らいには終わりがなかった。
努力と精進の毎日で、それなりの成果と報酬を得てきた旬の人生に比べると、太郎のそれは波乱万丈とはいえ、他人様に自慢できるような要素はなにひとつなかったが、それでも特撮やアニメ、ゲームにかける情熱を喪わなかったことだけが共通項として存立していた。
「こんなオレなのに、シュンちゃんは受け入れてくれるんだな」
「こんなって、どんなだよ。ボクたちはともだちじゃないか」
「ともだち」
「CEO、おはようございます。お目覚めはいかがですか」
鼾をかいている太郎の横で、二日酔いの頭を揺らしながら旬が返事をした。
「体調不良だ。今日もスケジュールは全キャンセルで」
「奥様から連絡がありました」
「キミからホテルで療養と伝えてくれたまえ」
「承知いたしました」
シャワーを浴び、冷蔵庫のビールを飲んだ。平日の朝っぱらから味わうアルコールには背徳感があって格別だ。
そうこうしているうちに太郎が目を覚ました。
「いやあ、昨晩は楽しかったよ。ありがとな、シュンちゃん」
「なに。これがともだちってヤツだよ」
「ともだち」
そそくさと服装を整えると、太郎くんは旬に向き直った。
「ほんとに楽しかったよ。ありがとう」
そう言うと部屋を出ようとする。
「太郎くん」
「最後の夜にこんなにしてもらえて。オレみたいなヤツにも、こんなことってあるもんなんだな」
「そうだ、あるよ。明日も明後日も。気のすむまでここにいてくれよ。もちろんセキュリティは保証する。それに……」
「え?」
「それに正直言って、キミのためだけじゃないんだ」
「どういう意味、かな?」
旬は微笑もうとして頬が強張るのを感じた。しかし言葉をつづける。
「ボクも救われたんだよ」
「救われた?」
「我が国のトップ企業のCEO。聞こえはいいかもしれないが、責任や付き合いや、それに妻の家柄のために一分単位で働いてきたんだ。毎日毎日、スケジュールに追いかけられて、自分の好きなモノに接する時間すらない」
太郎はしばらく考えたうえで口を開いた。
「それがシュンちゃんに課せられた役割だ」
「役割?」
「そうだよ。オレみたいなカスになると、役割すら与えられずにあっちフラフラ、こっちフラフラ。あげくのはてに反社組織の一員だ。こんやヤツでもともだちって思ってくれるシュンちゃんに救われたし、何の価値もない人間でもこうして生かしてもらえてる。それに比べりゃ、役割があるってのは、至極価値のあることだ」
「太郎くん」
「だから。だから、オレなんかに付き合ってねえで、仕事に戻んなよ」
今度は旬が考え込む。
「たしかにそうだけど」
太郎が眉間に皺を寄せる。額の傷がゆがんだ。
「もし。もしよかったら、何日か、ここに泊めてもらえるかな」
「太郎くん」
業務に復帰はするものの、分単位でのスケジュールを回避する方策をとる。さらには就業時間を終えるとすぐにホテルへ向かうこととした。名目は体力回復のためのメンテナンス。
こうして香台旬はエプシロンホテルでの太郎との時間を確保した。
「でさ、そん時はもう立派な社会人だから、その場でサインもらうにも引け目感じちゃってさあ」
「あの俳優さんは今じゃメジャーだろ」
「そうだよ、芸名も変えちゃって、所属事務所も変わってるけど、国際派スターだよ」
ビール片手に趣味の世界の話をする時間はかけがえのないものだった。
「そん頃の太郎くんはどうしてたの?」
「あ、オレ? オレはね。ムショにいたよ」
「あー、そうなんだ」
こんな話も笑いにすることができた。夜な夜な語り合う二人は、いい歳をしたと例えられる年齢だったが、まるであの夏の少年のようだった。
一か月後。
「太郎くん、買ってきたよ」
「わわ。こ、これだよ、オレが子供んときに欲しかったヤツ」
まるで少年のようにキラキラした瞳で、旬の持ち帰った品を手に取る太郎。
「超合体トライガーロボERデラックスパック、三十四神合体アルティメットエディション」
「すげ。どこで手に入ったんだよ、こんなもん」
「あはは。情報化時代のおかげだよ。熱心に探したら出てくるもんさ」
太郎はヤクザでクズで、額の傷にも増して目立つ入れ墨を全身に施した輩だったが、その表情はあの夏の少年そのものだった。
「すげえな。こりゃ、すげえよ、ホント」
「いいよな、これ」
パッケージを開ける。無邪気な二人の子供が組み立てると、立派なヒーローロボットが高級ホテルのスイートルームにあるサイドテーブルに立った。
「うーん、かっけえ」
握手をして、ビールをがぶ飲みし、笑いあい、可動範囲を確認し、劇中のポーズの再現を試み、ついにはしみじみと眺めてみる。
しばしの沈黙。
「ん? どうだい? 懐かしいな」
「そうさな」
太郎がしんみりと言った。
「どうだい? 次はアステリオン・ファイターロボのレアバージョンでも……」
「旬ちゃん」
太郎が向き直った。
「オレさ。あの……。その、こんなに幸せでいいんかな」
「なに、言ってんだよ」
「それに。それにシュンちゃんの仕事の邪魔しちまって」
「なあに。それは気にしないでいいよ」
その時、シュンの携帯電話が警報音を上げた。
「どうした?」
秘書のアヤNE3からだった。
「緊急連絡です。ホテルのセキュリティシステムに侵入者あり。これより、コード777にて対応します」
「来やがったか」
太郎がシャツを取った。
敵対する東南アジア系非合法組織の傭兵であるアンドロイドが二体、ホテル内に侵入した。
しかも外部からのオンライン支援がついており、ハッキングされたホテルのセキュリティシステムがクラッシュすると、戦闘用のボディガードである六機のアンドロイドは連携が取れなくなった。
監視カメラやセンサー類も機能しない。
「各個、不審者に注意。場合によっては強制排除を許可する」
指示を出したものの、このような非常事態を想定していなかった旬は動揺を隠せなかった。
「シュンちゃん、オレ」
「大丈夫。うちのロボットたちは優秀さ」
太郎が旬に向き直った。
「そうじゃないんだ」
太郎がシャツを着込んだ。上着を取る。
「オレみたいなダニがこんないい思いさせてもらって、ほんとにありがたい限りだ。しかしな、シュンちゃん」
警報音が鳴りやんだ。
「ここらが潮時だ。ありがとうよ」
そう言うと踵を返す。
冷静さを取り戻したかに見えた旬が再び動揺する。
「ちょ、ちょっと待ってよ、太郎くん」
「警報解除。警報解除。当社のアクティブセキュリティシステムがホテルシステムを復旧させました。侵入者情報はフェイク。繰り返します。侵入者情報は偽情報です」
「侵入者はいない。ここにいていいんだ。何も問題ないよ」
「しかし」
太郎の口調が強いものになった。
「しかしな、シュンちゃん。オレにはもったいなすぎるんだよ。こんないい思いさせてもらって」
そこまで言うとテーブルの上の大きなロボットのフィギュアを手に取った。
「こんなもんまで見せてもらえてさ」
太郎は泣いていた。
「もう充分さね。こんなありがたいことはねえ」
旬にも伝わるものがあり、言葉を失う。
「だからさ。もうこれ以上の迷惑をかけるわけにはいかねえ」
「な、なに言ってるんだよ」
「侵入者はいないといってもハッキングされたのは事実だろ。ヤツらが狙ってるのはオレだ。シュンちゃんは日本を代表する経営者だから、そんなシュンちゃんにこれ以上の迷惑は掛けられねえ」
「大丈夫だ。なんにも迷惑なんかかかってないよ」
「いや。オレといっしょにいることすらシュンちゃんにはリスクだって」
太郎はそこまで言うと上着を着込み、部屋を出ようとする。
「待て。待ってよ、太郎くん!」
「ありがとう。ホント、ありがとな。楽しかったよ」
すがりつく旬の手を振りほどくと、太郎は廊下を出た。
「な、なにも、今出る必要はないって!」
あとを追う旬に向き直る。
太郎は深々と頭を下げた。
それが彼の流儀だ。旬は悟った。
「……太郎くん」
寂しげで、それでいて威厳を失わない太郎の背中が遠くなっていく。
やがて太郎くんがエレベーターに消えた。
消沈。
部屋に戻るとなぜだか、涙があふれて止まらなくなった。
そこへ秘書アンドロイドのアヤNE3が入ってきた。
「CEO、よろしいのですか」
「なにがだ?」
人工の機械である秘書が複雑な表情を浮かべた。
「あの方は当社のセキュリティ保護下になければ、生命の保証が保てなくなる可能性があります」
「わかってるよ、そんなこと!」
怒りに任せて言葉を荒げてみても、相手は機械だ。
「いますぐ、再考を促してみてはどうでしょう」
太郎くんが殺されるかもしれない。かけがえのないともだちの太郎くんをこのまま見捨ててしまってよいのか。
心を持たないアンドロイドに諭されているのだ。
旬の中での自問自答はすぐに答えにたどり着く。
上着も取らずに駆け出すと、旬はエレベーターを止めた。
「太郎くん!」
「地下の駐車場に向かわれています」
アヤNE3のサポートがあり、行先がわかる。旬は3階でエレベーターを降りると、地下駐車場へは階段を使った。こちらの方が早いことは秘書ロボットに教えられるまでもない。
ふと脳裏にあの夏、カツアゲ目的の中学生から逃げたことが浮かぶ。
息を切らしながら駐車場にたどり着く。
太郎はロビーから出ずにここから外部に出ようとしていた。
「太郎くん!」
その背中に叫んだ。
太郎が足を止め、振り返った。
「ダメだ! ダメだよ!」
追いついた。
「ダメだって。まだここにいてよ。またいっしょにトクサツの話をしよう。プラモだって買ってくるからさ」
「オレにはそんな資格はないよ、シュンちゃん」
二人の男が目を合わせた。
旬は微笑んだ。
「資格なんていらないよ」
「そうはいかねえ」
その時だった。
「CEO!」
声がした。フラッシュが焚かれる。
「ゼノダインエンジニアリングCEOの香台旬さんですよね!」
無数のフラッシュが光ると、太郎は旬から離れようとしたが、旬は太郎の腕を離さなかった。
事態の把握に努めようとする旬だが、同時に太郎と離れてはいけないとの想いが頭の中を駆け巡った。
「その方は反社会的勢力の所属者です。ご関係は?」
聞いてきたのは報道機関で運用されている取材用記者ロボットだった。人間に似せてあるが、自社製品なので見覚えがあった。
ほかに複数のカメラマンロボットがおり、記者ロボットも複数が取り巻いていた。
ここではじめて香台旬は事態を推定した。
罠か。自分は何者かにハメられたのか。
「ご関係をお話しください!」
沈黙のあと、旬はあえて動画用カメラとおぼしき一台に向き直った。
「ダメだ! シュンちゃん!!」
その声に太郎に視線を送るが、すでに香台旬は決意していた。
「ともだち……です」
フラッシュが無数に焚かれた。
「ご友人ということですね。企業トップのあなたが反社会的勢力の関係者との交友関係をお認めになるんですね!」
旬は立ち尽くす太郎を振り返った。
「そうです。栗上太郎氏はわたしのかけがえのない友人。ともだちなんです」
「このぉ!」
怒りに任せて太郎が記者に突進しようとしたが、旬が立ちはだかった。
「いいよ、いいんだ、太郎くん。これでいいんだよ」
旬の言葉は静かだったが力が込められていた。
「シュンちゃん」
旬は太郎に肩をたたくとその手を取った。
「あのさ。明日、新しいフィギュアが届くんだよ。当時モノなんだ」
香台旬は太郎の肩を抱き、いま来た道を戻ろうとした。
そこで背後に立っていた複数の人影に気づく。
副社長兼CTOの石淵和孝とその取り巻き連中だった。その中には自分の秘書であるアヤNE3もいた。
「CEO、これまでですよ」
すべてを理解した。
自分が先代の跡を継いで会社のトップに就任したことに一番の不満をもっていたのはこの男なのだ。
秘書ロボットも含めてすべてのお膳立てができる立場のこの男が、仕組んだのだとしたら合点がいく。
「今のやりとり、すべてネットに生中継させていました。これであなたは社会的地位を失う。そればかりか、妹の恵子も愛想を尽かすでしょうね」
元より愛のない夫婦関係の妻のことなどどうでもよかった。
「それでもわたしにはともだちが残っています」
強がりで言ったのではない。心からそう思ったからだ。
「あはははは」
和孝は勝ち誇ったかのように高笑いを極めた。
「あなたは技術者じゃないから仕方のないことだが」
そこまで言うと和孝は指で手招きをした。
それは太郎への合図だった。
「あなたに唯一残ったもの。それがそのともだちですか。それはね……
」
太郎が一歩前へ出た。
旬は立ち尽くす。
「わが社の最新テクノロジー。いや、わたし個人の怨念が籠った最新の技術を盛り込んだ究極のアンドロイド、『ラクサス13型SH』、つまり、ラクサス最新モデルのカスタム仕様。と言ってもタンタルロボットですがね」
旬は太郎の背中を見ながら、呆然と立ち尽くした。
「実在した栗上太郎の人物像に可能な限り近づけました。それに模造記憶も近代トクサツ史やアニメの専門家も動員して、模造記憶作家を複数雇って完成させたんですよ」
太郎は振り向かなかった。
しっかりと一歩ずつ、和孝に歩み寄った。
「どうです? わたしの最高傑作ですよ、太郎は。気づかなかったでしょう」
太郎はそのまま、社長の座に座るつもりでいる和孝の前に進んだ。そして振り返り一瞥した。
「た、太郎くんがロボットだったなんて」
旬はつぶやくしかなかった。
しかし一瞥した太郎がかすかにほほ笑んだような気がした。
「あははは。まんまとハマってくれましたね。あなたは失脚します。たった今、ネット上で緊急役員会を開催して、あなたの解任を議決しましたよ。善は急げだ。こういうことはすぐに手当しないと株価に影響が出ますからねぇ」
大笑いする和孝。
そこで太郎が渾身の一撃を放った。
鈍い音がし、多目的モニター式眼鏡が飛び、歯が何本かと血潮が飛び散った。
次の瞬間、和孝のセキュリティー担当アンドロイドたちが、対アンドロイド用短銃から実体弾を放つと、太郎はボロキレのようになって崩れ落ちた。
「く、くっそぉ。プラグラムをミスったのかあ。なんで、なんでオレを殴るんだよ、この出来損ないがぁ」
取り巻き連中に抱きかかえられて和孝が退場する様子を呆然自失のまま見つめていた旬は、アヤNE3が何度もこちらの様子を伺うさまを見た。彼女もグルだったということか。しかし、その表情には心配と同情の色があるように見えた。
「ケヘコか。CEOは解任されたよ」
血まみれの和孝が妹の恵子に電話をしているのが聞こえた。
妻の恵子もまたグルだったのだろうと思ったが、不思議と怒りは沸いてこなかった。
廃材のように転がったままの太郎に視線が映る。
ようやく意を決して太郎に歩みよる。
右腕は失われ、身に着けていた衣服の大半が失われたアンドロイドを抱きかかえ、膝に頭を乗せた。
太郎の顔の人工皮膚が崩れ落ち、その下の多層樹脂フレームが覗いていた。血は流れず、その代わりに乳白色の保全用循環液が流れ出している。
「太郎くん」
旬はそれでもそう呼んだ。
「ごめんよ。ごめんよ、シュンちゃん。騙すのがオレの仕事だったんだ。そうプログラムされていたから」
「じゃあ、なぜ、殴ったんだい? あれはバグかい」
崩れた顔のロボット太郎の額には傷痕のある人工皮膚が残っていた。
「ちげえよ。腹が、腹が立ったからさ」
「そうか。腹が立ったのか」
旬は太郎を抱き起すと、肩を貸した。
セキュリティーアンドロイドたちがこれほどまでに銃弾を浴びせながら、太郎に致命傷を与えなかったのはなぜだろうか。まあ、そんなことはどうでもよかった。
「立てるかい?」
「ああ。わりぃな」
肩に凭れかかったロボットの太郎くんはそれほど重くなかった。
「あのさ。フィギュアなんだけどね。『超絶合体! ギンバラン』の2号ロボなんだ。ほら、あのころ、このロボはカッコわりぃって、太郎くんが言ってたやつ。当時モノだよ、すげえだろ。骨董屋で大枚払って手に入れたんだ。見てくれるよね」