正解探しの怖がり鸚哥
私の父は、厳しい人だった。
間違ったことを決して許さない、四角四面な“掟の神”。
いつでも絶対の“正解”を持っていて、私が“不正解”な言動をすると、すぐ叱責された。
間違ったことをする私は、人間として正しくないのだと、人格や存在を否定された。
私は父を恐れていた。
いつも父の顔色を窺って、ビクビク生きてきた。
出すべき答えは、世の中にとっての正解ではない。父にとっての正解だ。
世間的には合っていそうな答えでも、父にとって正解とは限らない。
正解を選べないと、父は機嫌を悪くする。
世の流行の、アレは嫌いでコレは好き、物の考え方・感じ方、食事の順番、後片付けのやり方、勉強の優先順位……本来“正解”なんて無いはずなのに、父の中には“正解”があり、それ以外は“間違い”なのだ。
父好みな答えを選ぼうとしても、私は父ではないから、正解が分からない。
父にとっての正解は、父にしか分からない。
心を読む能力も、頭の中を覗く能力も持たない私が、一体どうすれば、その答えを見つけ出せると言うのだろう。
それはきっと、初めから無理な難題なのだ。
だけど、父にはそれが分かっていない。
自分にとっての正解は、誰にとっても正解だと思っている。
誰もが当たり前に、その答えに辿り着けると思っている。
娘の私はなおさらのこと、それが分かっていなければ駄目だと思っている。
気づけば私は、無口な子どもになっていた。
正解が選べないなら、黙していればいい。
答えることを放棄しても、叱られることに変わりはない。
だが、答えを間違えて叱られるよりはマシに思えた。
行動を選んで失敗するのは、何もしないで失敗するより数倍恐ろしい。
選んだ行動を否定されるのは、何もしないことを責められるより、数倍恐ろしい。
家の中で私が口にするのは“これなら言っても大丈夫”と、確信の持てる言葉だけ。
それは大概、父から教え込まれた“父にとっての正解”だ。
覚えさせられた言葉を、ただ繰り返すだけのモノマネ鸚哥。
“自分”を持たず、自分自身の言葉を持たず、他人の言葉しか喋れない。
口答えせず、ワガママも言わず、ただ“いい子”でおとなしくしている――そんな私に、父は満足していたようだ。
上手く私を育てられていると、自分のやり方に満足していたようだ。
だけど、私は気づいていた。
私は、上手く育ってなどいない。
人として生きていくために必要なものを、ちゃんと持てていない。
自分の言葉を持たない私は、学校でも言葉に詰まってばかりいた。
先生や友達も、父と同じように“正解”の言葉しか受け付けてくれないと思っていた。
頭の中を巡るのは“私の言いたい言葉”ではなく、“相手に喜ばれそうな言葉”ばかり。
だけど、それさえ自信が無くて、幾つも言葉を呑み込んだ。
いつも相手の顔色を窺って、当たり障りのないことしか話せなかった。
周りが「良い」と言ったモノを「良い」と言い、周りが「嫌い」と言ったモノを一緒に嫌う――流されてばかり、周りを真似てばかりの毎日。
友達と一緒にいても、ついうっかり言葉を“間違えて”しまわないかと、そればかりを気にしていた。
一度でも間違えれば“嫌われて終わり”だと、いつも崖っぷちの気持ちでいた。
嫌われることに怯えてばかりで、友情を純粋に楽しむことなどできなかった。
数学や科学の問題なら、絶対的な“正解”が在る。
だけど、人類の心にそんなものは無い。
正解は人の数だけ違っていて、誰にでも通じる万能の答えなんて無い。
新しい人に出会うたびに、その正解を当てずっぽうに探し求めた。
クイズのようにヒントや手がかりがあるわけではないから、自分で探りを入れて、試し試し言葉を使う。
相手の反応を見て、次々言葉を切り替える。
傍から見たら、私の言動はブレブレで、芯が無くて、コロコロ変わる“いい加減”なモノに思えただろう。
だけど、怖がりな私は、そんな風にしか生きられなかった。
友人や家族でさえ、油断すれば“不正解”の地雷を踏み抜く。
安心できる会話なんて、この世に一つも存在しない。
生きるって、なんて精神がすり減っていくものなんだろう――あの頃は、ただそんな風に思っていた。
あの頃の私は、知らなかった。
“間違えた”言葉を言っても、不快にも不機嫌にもならず、ただ受け流してくれる人もいるということを……。
自分の正解とは真逆の言葉でも、突っぱねるでもなく、否定するでもなく、ただふんわりと受け止めてくれる人もいるのだということを……。
人間には、寛容な人と不寛容な人がいて、自分と違う“他人の正解”を許せる人と許せない人がいる。
私の父は不寛容で、“自分とは違う答え”を許せない人だった。
ただ、それだけのことだった。
ただそれだけのことなのに、それが世界の全てなのだと、思い込んでいた。
学校という場所は、出会いの連続だ。
学年が変わるたびに、新しい出会いがある。
以前は、それが苦しくて、煩わしくて堪らなかった。
新しい人と出会うたび、また新たな“正解探し”が始まると思っていた。
だけど、その出会いが人生に思わぬ転機をもたらすこともあるのだと、出会って初めて知る。
人を知ると、世界が広がる。
“それまで出会ったことのなかった人”に出会うと、自分の世界がそれまでどんなに狭かったのか、思い知らされる。
あの頃の私は、父の作った狭い鳥籠の中を、世界の全てと信じていた。
高く飛んでも、ぶつかって怪我をするだけだと、身を縮めて生きていた。
自分で自分の世界を狭めて、自分で自分の行動を縛っていた。
本当は、心のどこかで気づいていたのかも知れない。
この世に絶対の“正解”なんて無くて、人は皆、自分にとって都合の良い“正解”を押し付け合って生きているだけなのだと。
私はずっと“私にとっての正解”を否定され“父の正解”を押し付けられて生きてきた。
父に逆らってまで自分の正解を押し通す気概が、私には無かった。
気づけば、家の中でも外でも、どこでも“他人の正解”に振り回されてばかり。
自分の正解を押し殺して、他人に合わせるのが癖になっていた。
それはそれで、争いを生まないラクな生き方だったけれど……結局は“自分を殺して我慢している”ということだ。
そうまでして他人に合わせても、褒めてもらえるわけでも、愛してもらえるわけでもないのに……。
人真似の言葉ばかりで自分の言葉を出せない私は、誰にも“私”を理解ってもらえない。
他人に合わせてばかりの取り繕った私は、本当の私なんかじゃない。
言えない言葉ばかりで言葉の足りない私は、他人との関係を深められない。
その場限り、学年が変わって離れればそれまでの、浅い関係しか結べない。
自分でも気づいている。
私は、人として生きていくために必要なものを、ちゃんと学べずに来てしまった。
これはきっと、勉強ができることより、スポーツや芸術の才を持つことより、ずっとずっと大切で、無くては困るものなのに……。
たぶん、父は気づいていない。私の人生から奪ってしまったものに。
父の言うことに素直に従う――自分ならぬ他人の言葉にひたすら従順な“いい子”。
それが、自分の意思を持たない――他人に飼われないと生きていけない哀れな籠の鳥だと、気づいていない。
何の躊躇も畏れも無く、平気で自分の意思を貫ける他人が、羨ましい。
私も生まれる家が違えば、ああなれていただろうか。
育つ環境が違っていたなら、あんな風に“普通”になれていただろうか。
きっと私は、もっと“自分の正解”を追い求めても良かった。
もっと我を通すくらいで丁度良かった。
今の私には、もう“自分の正解”が分からない。
随分と長い間、自分の意思を殺して生きてきた。
だから、もう自分でも、自分の意思が見つけられない。
自分の意思なのか、それともまた無意識のうちに、他人に合わせてしまっているだけなのか……それすらも、分からない。
学校で私は“不正解”を許してくれる人に出会えた。
友情が壊れることに怯えて言葉を呑み込まなくても良い人たちに出会えた。
だけど、それでもまだ、すぐには上手く喋れない。
身に染みついた習性は、呪いのように私を縛り、舌を、喉を凍りつかせる。
それでも手探りで、自分の言葉を、私の意思を探す。
リハビリのように少しずつ、私は私の機能を取り戻していく。
気づけば、また他人に合わせてしまい、反省することもある。
口にしたものの、何だか“自分の言葉”じゃない気がして、微妙な気持ちになることもある。
それに、今はまだ、安心のできる一部の友達の前でしか、自分の言葉を出せない。
それでも、前に進めていると感じている。
その歩みは亀のように遅いかも知れない。
望みの自分になれるまで、もしかしたら何十年もかかってしまうのかも知れない。
それでも、できることを一歩ずつやっていくしかない。
このままずっと、誰かの正解に流され続けて、自分の人生を生きられないのは、嫌だから。
父はきっと、この先も気づかない。
自分の正解を他人に押し付けて、その人の正解を奪うことの残酷さに。
そしてこの世界には、父以外にも、そんな人間が山ほどいる。
自分の我を通して、他人を従わせられたら“勝ち”の、生存競争――そんな理不尽な弱肉強食に、支配されたくはない。
だから、私は私の正解を探す。
誰に何を言われても、自分を保っていられるように、私の中だけの揺るぎない“正解”を探す。
他人の言葉しか喋れない、他人に逆らえない、怖がりな鸚哥のままじゃなく……私が“私”になれるように。
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