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狙われる男

 狩猟の女神ナイアの月。二つの満月が夜空で戯れる頃。騒がしい酒場から階段を上がったところにある、質素な宿泊用の小部屋。

 家具は古い木製の机と、黄ばんだシーツが敷かれた天蓋付きのベッド。天蓋から垂れるレースが言い訳のように揺れている。

 窓から差し込む強い月光が、部屋を照らしている。茶色、くすんだ白、黒ずみゆく赤、働き者の給仕の白い手。


 反吐が出るような血の臭いがする。


「だから、夜のサービスは必要ないって言っておいただろ」


 ちょっとした仕事を終えて、ようやく仮住まいに戻ってきたと思ったらこれだ。

 臭いの理由は、扉を開けてすぐに分かった。

 部屋の中央に転がっているのは、ここのところ毎日、昼間に下の階で俺にエールを注いでくれた女だ。エプロンをつけたままの姿で、うつ伏せに倒れている。

 地球と違って月の光が2倍以上明るいおかげで、何があったのかはすぐに分かった。

 どうやらこの給仕は、俺がいない間に部屋に忍び込んで、楽しい『お仕事』に励んでいたらしい。

 俺の荷物の中から、右手に力無く握られている銀貨を見つけたところを見ると、慣れた様子だ。金貨もあったが、取らなかったのは賢い。足がつく。だが、どちらにしろ使えなければ意味はない。

 そして、楽しい物色を終えてさりげなく部屋から出ようとしたところ、出くわしてはいけないやつと鉢合わせ、死んだ。


 俺は新調したこの世界の庶民的な服が血に濡れないよう、慎重に膝をついて、遺体の状態を確かめようとした。

 ……実際には、確かめようとする、仕草をした。


 俺の動きに呼吸を合わせるように、迫り来る気配があった。開かれた扉の影で俺を待ち構えていただろうそれは音もなく、鋭く、背中から俺を襲ってきている。そんな確信があった。

 俺は振り返らず、しゃがみ込んで股の間から後ろを見た。開かれた扉の明かりを遮るように、黒いローブを着た男が向かってきている。下半身しか見えないが、上半身は今まさに武器を振り上げているところだろう。

 俺は血まみれの床に両手をつき、渾身の力を込めて、右足を男に向けて突き出した。


 鳩尾に後ろ蹴りが突き刺さった男は、苦しげな呻き声と共に後退し、扉の枠を掴んでよろめく体を支えた。

 俺はゆっくりと、男から視線を外さないように立ち上がった。


「おい、クソ野郎。お前の神の名前を教えろ」


 俺は拳を構えながら言った。

 この世界に放り込まれてから、見るからに暗殺者っぽい人間に襲われるのは何度目だ? 4、いや5回目か。


「ど、どうやって……」


 男は俺の質問に答えず、顔中から脂汗を垂らして間抜けことを言った。奇襲が失敗したことによほど困惑したらしい。

 彫りの浅い顔立ち、年齢は20代後半、純人間。袖を捲った腕に見える痛々しい古傷の痕。改めて確認するまでもなく、男は転生者(ギフテッド)だ。つまり俺の命を狙っている、敵だ。

 俺はため息をついて、通算5回目になる解説をしてやることにした。


「……俺がクソ女神から押し付けられたギフトはこれだ」


 右腕に巻かれている(強制的にだ)悪趣味な金色のブレスレットを見せる。

 2センチほどの8角錐が32個、輪を描くように結合している。8角錐は腕を取り巻くように独立しており、それぞれを繋ぐ紐などはない。そう、このブレスレットは厳密には、浮遊している。


「名前は『導く羅針』。普段は継ぎ目のないバングルだが、俺がいる場所から500メートル以内ぐらいに設定したものがある場合……今は転生者(ギフテッド)がいると、だな。この形になる。そして、その方向に向かって腕が引っ張られるようになる。特性は『破壊不能』。つまり、鬱陶しいゴミだ」


 酒場に近づくにつれて反応が強くなるものだから、だいぶ辟易していた。仕事終わりの一杯も我慢しなければいけなかったしな。

 俺は慈悲深く、改めて言った。


「さぁ、分かったろ。俺の質問にも答えてくれよ」


 男は腹の痛みから少し回復したらしく、汗を拭い、右手に何かを構え直した。それは紙のように薄い、紫黒色の刃を持つナイフだった。刃渡りは20センチほど。光を反射することなく、不気味に揺れている。この世界の人間が作れるような物ではない。あのナイフが、この男のギフトだ。


 男は無言のまま向かってきた。近距離での格闘戦。暗がりの中、男の振るナイフが音もなく迫る。俺はそれをかろうじて躱した。服を掠める。いや、わずかに脇腹の肉も。

 対して俺に武器はない。本来なら分が悪いところだが、男は先ほどの蹴りがよほど効いたのか、動きに精彩を欠いていた。


 オーバーな動きで首筋に突き出されたナイフを、右手の『導く羅針』をぶつけて逸らす。男の体が内向きに崩れたところで、無防備な右脇腹に左拳を捩じ込む。男は苦しげに息を吐き、タタラを踏んで壁にぶつかる。休む暇を与えてはならない。最小限のステップで、こちらに向き直ろうとする男の右膝を蹴りつぶす。

 骨が外れ、筋が切れる音が……しない。


 見れば、男の両足は月明かりが作った影に半ば沈み込んでいる。理屈はともかく、俺の膝への蹴りは男の体をすり抜けバグのように床に叩き込んだけだったようだ。男はナイフを俺に向けて構え直し、そして、影に潜るようにして消えた。


「おいおい、便利なもんだな。羨ましいよ」


『導く羅針』が俺の腕を引く。目の前から、斜め下、真下、右斜め後ろ。男はまだこの部屋にいる。この部屋の影に潜み、俺が気を緩めるのを待っている。

 集中しろ。集中だ。酒場の喧騒が、遠のいていく。ただ右腕を顔の前に立て、目を見開く。

 どれだけそうしていただろうか。不意に、窓から差し込む月明かりが、黒くぼやけた。どちらかの月に、雲がかかったのだろう。


 今しかない。俺も、あいつもだ。


 俺は『輝く羅針』が導く方向、すなわち真後ろに向けて全力で体を右回りに捻った。ちょうど、背後の壁から飛び出してくる男の姿が見えた。俺は右足を強く地面に踏み出し、飛びかかってくる男の右側頭部に向け、右腕を開くように振り抜いた。裏拳が男の頭を捉える。男の右腕が、俺の前腕をすり抜けるように伸びる。交差する瞬間、ナイフが俺の首に迫り、そして、皮一枚を切り裂いた。


 勝負は決した。


 空中で頭に強打を受けた男は横っ飛びに開いた扉へと吹き飛んでいき、吹き抜け廊下の欄干にぶつかると、派手な音を上げながら酒場へと落下した。

 驚きと怒声、それから少しして、悲鳴があがった。

 ナイフは途中で男の手を離れ、吹き抜け廊下の途中に残されている。


 俺はナイフを拾い上げ、どこまでも薄い刃を見た。こんなものに人を殺傷しうる切れ味と耐久力を持たせるなど、やはり人間業ではない。大体見当はついているが、直接尋ねて、何者か聞き出そう。


 俺は、欄干から階下を見る。男は幸運にも酒場の真ん中に置かれた円卓の上に着地したらしい。何が起きたか把握できずにいる酒飲みたちに囲まれている。

 俺は一度部屋に戻り、荷物から金貨1枚と銀貨数枚を取り出すと階段を下りた。


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