9
チトセは、後悔の念に苛まれていた。
“ヤスオさんはとっても強くて、私を守ってくれる”心のどこかでそういった甘えがあったのだろう。何でもすると言ったのに、いざ生き物を殺すとなると躊躇してしまった自分。そんな自分と問答をしているうちに、何処からか現れた骨のお化けを相手に、自分を守りながら戦ってくれた。
“私が躊躇せず殺せていれば”、“私がわがままを言わずに従っていれば”きっと骨のお化けに見つかることはなく、ヤスオさんも怪我を負わなかったはずだ。
骨の化け物を倒し、体中を自身の血で染め上げて、こちらに戻ってくるヤスオさん。
それを見て、至極当然の事を考えた。
(ヤスオさんも死んじゃうかもしれないんだ……)
当たり前の事だった。
何もできない自分を助けてくれる、とても優しい、ただの人間。
ヤスオさんは、絶対に自分を守ってくれるスーパーマンじゃなければ、どんな事があっても生き延びる超人でもなかった。
私の馬鹿な行動がヤスオさんを傷つけた。そう思うと胸が苦しい。
大怪我をしているのに、私を気遣ってくれる姿を見て、余計に苦しくなる。
だからこそ、この人の役に立ちたいと思った。
★
チトセはゴブリンに止めを刺したことで、自分の中に何かが流れ込んでくる感覚を受けた。
次いで自身の中から、新しい力が湧いてくることに気づく。
今まで感じたことのない未知の力。そのはずなのに、力の使い方だけはハッキリと理解できた。この力を使えば、多分ヤスオの役に立てる。
おそらく、これが、ヤスオの言っていたレベルアップするという事なのだと、直感で分かりヤスオに報告をする。
「ヤスオさん……。私、レベルが上がったかもしれません……」
「あー……家に戻ろう」
「はいっ……」
しかし、返ってきた返事は家に戻ろうというもので、ヤスオの切羽詰まった表情から一刻も早く帰りたいという感情だけが伝わってくる。チトセはそれに口を挟む事が出来ず、ただ頷いてヤスオの後に続いた。
★
自宅に帰ってきたヤスオは、玄関先で倒れ込んだ。
肩口、そして腹部から血が滲み玄関を汚してしまうが、それを気にかける余力はない。
「ヤスオさんっ!」
遠くからチトセの呼ぶ声が聞こえる。それに反応出来ないほど、限界が近かった。
「私、さっきヒールって言う魔法を覚えたんです! たぶん使えます! 使ってもいいですか!?」
響くチトセの叫び声。確かにヤスオの耳に届いたはずの言葉の意味を、すでにヤスオは理解できない。
「ああ、もう! 使いますね!」
【回復呪文】
チトセの両手からあふれ出す緑色の光。熱は持たない、しかし暖かさを感じる光は、ヤスオの傷をみるみるうちに癒していく。
十数秒後、先ほどまで感じていた激痛を急に感じなくなった事に戸惑いながら、ヤスオが起き上がった。自分に何が起きたのかわからず、傷があった場所に手をやると、傷が治っている。……それだけで何となく状況は理解できた。
「あー……、ありがとう。チトセちゃんは僧侶になれたんだね」
「はいっ! あの……お加減はどうですか……?」
ヤスオは傷口があった場所を見た。傷跡は残っているが、痛みはきれいになくなっていて、試しに肩をグルグルしてみても痛まない。
「うん。いい感じかな」
チトセはヤスオの言葉を聞き安心し、にこりと笑顔を見せるが、すぐに表情が曇りうつむく。
「あの……ヤスオさん……私のせいでごめんなさい」
「俺が油断してたのが悪いから、チトセちゃんは悪くないよ」
チトセがどんよりとした空気で切り出した謝罪、それを即座に否定する。どう考えても慢心して油断しきっていた自分が悪い。ヤスオは本心からそう思っていた。
「違います! 私がぐずぐずしてたからあんなことになっちゃって……」
「いや、いきなり殺せって言われたらびっくりするよね。ごめん、気付かなくて」
「私は、何でもするって言いました! それなのにすぐに言うことを聞けなかった私が悪いんです!」
お互いに相手の言うことを否定し、聞き入れない。"俺が悪い"、"私が悪い"、話は平行線のまま両者の謝りあいがしばらく続く。
そして……"自分が悪い"という点において、互いに譲らないことを察した。二人は見つめあい、同時に吹き出す。
どんよりとした重い空気が、軽くなったような気がした。
「じゃあ、両方悪かったって言うことにしとこうか」
「それはだめです。悪いのは私ですから」
「あ、そう。わかった、そうしとこう」
ヤスオは苦笑する。説得は諦め、立ち上がった。
「リビングで話そうか」
「はい!」
★
場所を玄関からリビングに移し、会話を続ける。
「それで、チトセちゃんは僧侶になったんだよね。ステータスはどんな感じ? 」
「えっと、こんな感じです」
名前:チトセ レベル:2
職業:僧侶 熟練度☆1
ステータス
力 :6 【+2】
防御 :7 【+3】
魔力 :6 【+4】
魔法防御:11 【+3】
すばやさ:7
きようさ:7
スキル
なし
呪文
ヒール
チトセが口頭で自身のステータスを読み上げる。
僧侶……DFでは回復職だ。ヒールを筆頭に、キュアなどの状態異常回復呪文や、ガーディアンという防御力強化呪文などを使い味方の戦闘を支援する。加えてどのステータスも平均的に伸びるため、自身で前衛をこなすことも出来る基本職。
ヤスオは傷跡を見る。スカルアーチャーに負わされた傷は、死を覚悟する物だった。ゲームと違い、例え直接HPが0にならなかったとしても死ぬ可能性がある。怪我が命取りになりかねない事を身をもって経験した後だと、回復呪文の存在が特にありがたかった。
「それにしても、すごい効果だね。本当に死ぬかと思ったのに、今は全く痛まないよ」
「役に立ててよかったです。あの、まだ傷跡が残ってますけど、もう一回かけますか?」
「うーん……。ヒールってたくさん使えそうな感じなの?」
「はっきりとはわかりません。でも、使えてあと一回かな……?って思います」
「ん……?あと一回……? じゃあ、いつ必要になるかわからないし、傷跡を消すのに使うのはやめておこう」
「はい、わかりました」
チトセの報告を聞き、ヤスオは内心首をかしげる。確かにヒールは燃費の悪い呪文だったが、レベル2の僧侶でも4回は唱えられたはずだ。たった二回使っただけでMP切れになるような性能ではなかった。
(……まあ、二回使えるだけでもありがたいか)
答えが出ないことを考えるのはやめた。
何にせよ、チトセのヒールがあれば一つ保険が増えたようなもの。
後は、今後も続けてレベルアップを目指すかチトセに意志を問い、返答によって、自分だけでレベル上げをするか二人で狩りを続けるか決めるだけだ。
ヤスオとしてはどちらでもよい。ただ、今日のように戦闘中にグダグダと言いあいをすることは避けたい。
「今後も、今日みたいなことを続けてレベルを上げるわけだけど、チトセちゃんはどうする?」
「……私も一緒に戦いたいです」
「たくさん生き物を殺すよ。多分、ゴブリン以外も」
「わかっています。今度は絶対に迷いません」
「あー……、チトセちゃんが戦わなくても、公園に送り届ける約束は守るよ?」
「それでもです。チャンスをください」
チトセは真っ直ぐにヤスオを見つめる。ヤスオの役に立ちたい、チトセの胸中を満たすのはその想いだけ。今までのように状況に流された結果じゃない。自分自身の意志で、ヤスオと共に戦うという選択をしていた。
決意の宿ったその両眼に見つめられ、もう一度信じたいと思えた。
「了解。無理しなくていいから、これからよろしく」
「ありがとうございます! 私、がんばりますね!」
固い握手を交わす。
相手の手から伝わってくる体温が心地よいと感じた。
★
その後、二人は並んで食事を摂った。食事が終わった時、すでに外は真っ暗。時計は20時を指していた。
幸い水道と電気がまだ通っているため、お風呂に入り就寝の準備をし、明日から始まる本格的なレベル上げに備え、ヤスオは早めに寝ることにした。
「俺はそろそろ寝るね。明日は朝から動くから、9時くらいには家を出れるように準備しておいて」
「はい!」
「OK。じゃあおやすみ」
「おやすみなさい」
チトセと部屋の前で別れ、寝室に入る。
そのままベッドに横になると、一日の疲れがどっと溢れ出してきた。
寝落ちしてしまいそうになるが、目覚ましのセットだけ行う……8時にセット。これで起きられるだろう。
電気を消し、目をつむる。
暗闇の中で目をつむっていると、今日一日で起きたことが頭の中で反芻された。
今日もチトセを泣かせてしまった。反省。油断して死にかけた。反省。
反省する事ばかり、いい事ってあったっけ?そんな取り留めのないことを考えているうちに睡魔が襲ってくる。
ふわふわとした心地よい気分。寝入る寸前、睡魔に身を委ねようとした所で……“トントン”と控えめなノックの音が聞こえた。
正直眠い。反応したくない。でも大切な用事かもしれない。ヤスオは何とか返事をする。
「あー……。どうぞ」
ガチャと扉が開いた。
ピンクと白の縞々のパジャマを着て、枕を抱きしめながらチトセが部屋に入ってくる。ヤスオの様子を伺うように、ちらちら見ながら話し出す。
「お休みのところすみません。あの……えっと……」
それだけ言ってモジモジしている。
「どうかした……?」
「えっと、はい。その、ご迷惑じゃなければ、一緒に寝てもいいですか……?」
ヤスオは眠気で回らない頭で考える。
このベッドは大きいし、落ちることはないはずだ。
何でもいいから、とにかく寝たい。
「どうぞ」
ヤスオの返事を聞いて、チトセの表情がパアッと明るくなった。そのまま静々とベッドに近づき、潜り込む。
「あ、ありがとうございます。失礼します……」
シャンプーの匂いが鼻をかすめた。もっと嗅ぎたくなるいい匂い。
ヤスオは欲望に逆らうことなく、チトセの身体を抱きしめ、頭に顔を埋める。全身で感じるやわらかい感触と、甘い匂い。それを楽しむ間もなく、ヤスオは眠りに落ちて行った。