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 女性の家でゴブリンを倒した後、ヤスオと女性は家に入り、一階のリビングで話をしていた。


 お互いに、一通りの今までの経緯を話し合い、目の前の女性――名前はチトセと言うようだ――から聞いた情報を脳内で整理しながら、ヤスオは話し始める。


「つまり、明崎公園には避難民が集まってるから、そこまで行きたいってことですよね?」


「はい。誰からかわかりませんが、確かに聞こえたんです」


 チトセはしっかりとヤスオの目を見て頷く。


「うーん……」


 ヤスオは唸る。

 明崎公園の事はもちろん知っている。

 確か、大きな公園で災害時の避難場所にも指定されていたはずだ。

 避難している人が沢山いるのであれば、ヤスオ自身、明崎公園に行くことはやぶさかではない。

 しかし問題は、チトセが自分も連れて行ってほしいと訴えている事であった。

 あやふやな記憶を辿り、脳内で現在地から、明崎公園までの経路をシミュレートしてみる。どう少なく見積もっても20km以上は超えていて、とてもではないが、無力な人を連れて無事にたどり着けるとは思えなかった。


 ヤスオが、現実を正直に話すかどうか迷い、唸り声をあげている様子を見て、チトセが恐る恐る話し始める。


「私が足手まといなことはわかっています……。あの……ヤスオさんのお話だと、ゴブリン? を倒せば強くなれるですよね……? えっと、私……頑張りますから……一緒に行けませんか……?」


「あー……」


 やっぱりこうなるのか、とヤスオは思った。避難所の話が出た時点で、こういった流れになることは、薄々感づいていた。


 目の前にいるチトセを眺める。上目遣いで頼み込んでくるチトセは本当に可愛らしい。

 こんな美人さんからの頼み事なら、平時であれば聞いたかもしれない。しかし、今は非常時であり、安請け合いは自分の身を危険に、ひいてはチトセの命に関わってくる。


 出来れば助け合いたいという気持ちはあるが、じっくりと考えて……やはり面倒を見ることは出来ないと決断し、断ろうとする。


「ごめんね……何かあっても責任取れないから。一緒に行動は無理かな」

「そんな……」


 ヤスオの答えを聞いて、チトセは悲壮な表情で俯く。


 しばらくそのまま時が流れた。リビングにおいてあるアナログ時計の秒針が動く、チッチッチという音だけがやけに大きく響く。


 ヤスオが居心地の悪さを感じている中で、チトセがゆっくりと立ちあがる。

 面を上げたチトセの顔には、先ほどまでの悲壮な表情ではなく、“覚悟を決めた”そんな表情が浮かぶ。


 ヤスオとチトセの視線が交差する。

 チトセは小さい、しかしはっきりと聞こえる声で話し始める。


「お願いします。もう……私には、ヤスオさんしか頼れないんです」


 媚びるような色気を孕んだ声色。


「お手伝いをしてくれるなら……私、なんでもしますよ?」


 胸元のボタンを外す。汗ばんだ谷間が露わになる。


「どんなことでも……ヤスオさんの好きな事をしてくれていいんですよ……?」


 立て続けに言葉を重ねながら、チトセはヤスオにゆっくり近づいていく。


「私、いっぱい頑張りますから……どんなことでも受け入れますから……」


 両者を隔てていた、テーブルを迂回し、ゆっくりゆっくりと近づいていく。


「だからお願いします……」


 チトセはヤスオの目の前に立ち、ヤスオの頭を両手で抱きしめた。


 ヤスオは動揺しながら、頭に当たるやわらかく暖かな温もりを感じていた。同時に怪しげな雰囲気になっていることも感じ取る。

 しかし、にじり寄ってくるチトセのこちらを見つめる濡れた瞳と、仄かに香る女性であること訴えかけてくる甘い匂いを感じているうちに、抵抗する気力が削がれていく。

 女性に苦手意識があるとは言え、ヤスオも成人した男性だ。

 男性特有の欲望がなくなったわけではなかった。


 チトセは抱きしめたヤスオの顔を両手で支え、目をつむる。

 その唇に吸い寄せられるようにヤスオの顔が近づき…………。


「……ずっと一緒にいてください……」


 瞬間、ヤスオの、のぼせあがった心に冷水が浴びせられた。


「「ずっと一緒に」」


 過去に信じて、そして、裏切られた言葉。

 なぜか、かつて愛した幼馴染の顔とチトセの顔が重なって見えた。

 ヤスオは急激に気分が悪くなり、チトセを払いのける。


 チトセは体制を崩し、そのまま床に倒れ込んだ。

 自分が拒絶されたことがすぐに理解できず茫然として、次いで感情が追い付き目に涙が貯まり始め、チトセは生まれたての赤子のように号泣し始める。


「う、う、うええええええん」





 絶対に迎えに来てくれると信じた両親は、結局迎えにこなかった。

 明日は来てくれる。明日は来てくれる。と待っているうちに、気付けば門にいっぱい化け物が群がっていて、明崎公園に向かう事も出来なくなった。

 

 いくら怖くても、誰もそばにいてくれない。

 いくら寂しくても、誰もかまってくれない。

 いくら泣いても、誰も気づいてくれない。


 誰も庇護者がいない状態で一人過ごす夜は、チトセの精神を限界まで追い込んでいた。


 そんな中、外の化け物を倒して自分に気づいてくれた存在をチトセは離したくなかった。必死に頼み込んでも断られてしまった。自分がほかに差し出せるものなんて何もない。…………本当にそうだろうか?

 チトセも馬鹿じゃない。学校の授業で男女の事について学んでいる。その中には、"男性は異性の身体を欲する"という知識も含まれていた。


 自分が周りから綺麗と言われていることは知っている。昔から、色々な人に言われてきたからだ。


 チトセは、思いついてしまった悪魔のような考えを実行するかどうか逡巡する…………答えは最初から決まっていた。


 もう二度と、一人にはなりたくない。

 覚悟を決めて顔を上げ、目の前にいる男性に近づき………………。


 返ってきた答えは、明確な拒絶。


 

 それを理解した瞬間、自分の中の何かが粉々に砕け散る音がはっきりと聞こえた。


 もう何も自分が渡せるものはない。

 自分はここで一人で死ぬとわかり、泣いてしまった。

 "ヤスオさんの迷惑になるから泣き止まなくちゃ"と涙を止めようとしても、あふれ出る涙が止まってくれることはなかった。





「う、う、うええええええええん」


 自分が払いのけたチトセが、号泣しているのを見てヤスオは慌てて立ち上がった。


 払いのけたことを謝り手を差し伸べるが、気づかれない。

 ヤスオはため息をつき手を引っ込め、号泣し続けるチトセの姿を見る。

 気付けば、あふれ出る大量の涙で流されたように、先ほど感じた気分不快はきれいになくなっていた。


 ヤスオは優柔不断な自分に苦笑いをしながら、チトセに近づく。冷静な自分は「やめておけ」と言っている。しかし、赤ちゃんのように泣く少女を放っておくことが出来なくなっていた。

 チトセの肩に手を置き声をかける。


「わかった。わかったよ。明崎公園まで俺が送り届ける。だから泣き止みなよ」

「ううー、うっううう」


 チトセは、何を言われたのか聞き取れなかったとばかりに顔を上げる。


「だから、一緒にいるから、泣き止んで」


 その言葉を聞いて、チトセの目からさらに涙があふれだした。


「ううううううううううっ!」


「おっと」


 言葉にならない声を上げて、チトセはヤスオに抱き着く。ヤスオは尻もちをつきながらもしっかりと受け止めた。

 チトセの顔からとめどなく流れ出てくる、涙や涎やその他体液を胸に感じながら、ヤスオはどうしたものかと途方に暮れていた。


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