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 チトセの人生はその日まで、順風満帆であったと言えよう。

 裕福な家庭に生まれ、しっかりと自分を愛してくれる両親に育てられた。学校への送り迎えは当たり前で、欲しいものがあれば買ってくれたし、わがままを言っても笑顔で聞いてくれた。


 ただ、年少の時に、人に意地悪をしてしまった時だけは、両親がとても悲しい顔をしたので、意地悪なことだけは二度としないと決めていた。


 何不自由することなく幼少期を過ごしたチトセは、人を疑うことのない純真な少女に成長していた。

 チトセにとって、両親……中でも父親の言うことは絶対であり。今までも、これからも、父親の言うとおりに生きて行くんだと思っていた。

 

 父親の言う通り勉強をして、私立の名門女子高等学校に入学した。

 父親の言う通り習い事を初めて、習字や水泳を習った。

 父親の言う通り、異性との付き合いは控え、父が認めた女性だけを友人とした。

 このまま、父親の決めた大学に進学し、父親の勧めた会社に入り、父親が納得する男性とお付き合いをして、いつか結婚するんだろうと、そう思っていた。


 内心、窮屈であるように感じていたが、父親が自分のためを思って色々と手をまわしてくれている事と、何より、大好きな両親が悲しむ顔を見たくなかった為、これからも粛々と従うつもりでいた。





 それがすべて崩れ去ったのが、世界に化け物が現れ始めたあの日だ。

 あの日、チトセは熱を出して横になっていた。

 熱と言っても大したことはない。37.3度の微熱程度であったが、両親がゆっくり休みなさいと言ったので学校を休むことにした。


 父はもともと出勤時間が早く、6時過ぎには家を出ている。いつもなら、チトセを車で学校まで送ってくれる母も、今日の朝は会議があるようで、7時前には家を出て行った。


 ベッドに横になりながら、学校に連絡しなくちゃ……とぼんやり考えていた時に、大地震が起こった。チトセの部屋は自宅の3階にあった為、地震の揺れを強く感じてしまう。滅多にない大地震に、チトセは恐怖を覚え、地震が収まるまで、ベッドの上で布団に包まり丸まる。


 地震が収まり、次にチトセが布団から顔を出した時には、世界はがらりと変貌を遂げていた。

 外からの悲鳴が沢山聞こえてくる。びっくりとしたチトセが、ベッドから飛び起き窓の外を見てみると、目を疑うような光景がそこにあった。


「あれって……ドラゴン……?」


 チトセの目に映ったのは、赤銅の翼を力強く羽ばたかせ、澄み渡った青空を我が物顔で飛ぶ、巨大なドラゴンだった。

 ドラゴンは地上を一瞥もせず、地上に生きる生物に興味はないとばかりに、まっすぐ飛び続けている。

 チトセには何が起きているのか理解できない。ドラゴンが飛んでいく方向を確認すると、その先には東京タワーが見えた。


「きゃああああああ!」


 ひときわ大きな悲鳴が下から聞こえ、半ば放心状態であったチトセはそちらに目を向ける。自宅の目の前で、道を歩いていた女性が大きな狼に嚙みつかれている。咄嗟に助けようと動き始めるが、時すでに遅く、女性の必死に抵抗もむなしく、3匹いた狼よって、生きたまま骨ごと食べられてしまった。


 横に目を向けると、全身緑色の人が逃げる人をこん棒で叩き殺している。その奥では大きなサソリが巨大な尻尾で人を串刺しにしている。ふと上を見ると、空から巨大な鳥に啄まれた人が放り投げられ、地面に叩きつけられている。


 凄惨な景色が目の前に広がっていた。


「…………うっ」


 その光景から目を背け、携帯電話を手に取る。外から聞こえてくる聞くに堪えない断末魔を聞きながら、震える手で電話帳を呼び出し、父への電話を掛ける。


 しかし、流れてくるのは「おかけになった番号は、電波の届かない場所か電源が入っていないか……」というアナウンスのみだった。母の携帯にもかけてみるが、結果は変わらず。


「たすけて………お母さん……お父さん……」


 チトセは、自分の取れる選択肢がなくなったことに気づき、絶望しながらベッドの上で震え続けた。





 日が傾き始めた頃には、外から聞こえてくる悲鳴は収まっていた。

 物音ひとつ聞こえない、死んだような静けさ。

 いつまでも続くかと思われた静寂は、何処からか聞こえてくる大声によってかき消された。


「こちらは明崎防災公園です! もし! この声が聞こえた人がいたら! 明崎防災公園まで来てください! たくさん避難してる人がいます! よろしくお願いします!」


 スピーカーを使っているわけではない、頭の中に直接響くような不思議な声だった。そして、言葉の意味を理解して、チトセはベッドから飛び起きた。


(もしかしたら、父も母もすでに避難しているかもしれない!)


 まだ怠い体を懸命に動かし、公園に行く準備を始める。パジャマから着替えて、両親が買い揃えてある防災グッズを集め、いざという時のためにしっかり用意をしてくれていた両親に感謝しつつ荷物をまとめ終える。

 バックパックを背負い玄関を開け、一歩踏み出した所でチトセの足は止まった。


 玄関から見える景色が、いつもと違って見えた。


 単純に怖かったのだ。

 ここから明崎公園までは県をまたぐ必要があり、20Km以上距離がある。おそらく、家から出たら戻ってくることは出来ないだろう。


 もしかしたら、家で待っていれば、母が、父が、自分を助けに来てくれるのではないか?

 今、外に出て公園を目指す選択をしてしまったら、助けに来た両親が困ってしまうのではないか?

 

 そんな考えが思い浮かぶ。

 チトセの人生における重要な選択は、全て両親が選んできた。自分の明暗を分けるかも知れない選択を、チトセは自分の責任で選ぶことは出来なかった。


 外には怖い生き物が沢山いるから、家にいる方が安全。

 きっと助けに来てくれる。

 絶対助けに来てくれる。


 チトセにとって窮屈に感じていたはずの両親の枷が、生きるための指標でもあったのだ。


 結局、防災公園に向かうことはせず、玄関の扉を閉め鍵をかけて、自室に向かう。

 ベッドに潜り込んで、涙をこぼした。一人が怖くて、一人が心細くて。


「こわい…………こわいよ…………」


 いつもならすぐに気にかけてくれる両親の声は、どれだけ待っても聞こえない。

 夜更けと共にすっかり暗くなった部屋では、ただ少女の泣き声だけが響き続けた。




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