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(本当に、人生は何が起こるかわからない)
年号も令和となり、化学技術の発展によって、ファンタジーが文字通り幻想となり久しい現在。
大都会の東京にいるはずなのに、遠くから迫ってくる3体の異形の存在、《ゴブリン》を捉えながら、ヤスオはボンヤリと考えた。
体長1.5メートル程度であり、また距離として、50メートル以上も離れていることから、現時点で大きな脅威であると認識することはないが、その体から発せられる明確な殺意は、ボンヤリとした意識に喝を入れるのに充分であった。
「ヤスオ!」
後ろから聞こえてくる仲間の呼び声と共に、ヤスオの体中に力が漲る。おそらく、後衛をしている『魔法使い』と『僧侶』が【攻撃力強化】と【防御力強化】の強化呪文をかけてくれたのであろう。
それであれば、『剣士』であるヤスオのやるべきことはただ一つ。
隣にいる『格闘家』と一瞬視線を合わせ、雄たけびを上げながら、迫りくるゴブリンに突撃する。
ゴブリンとの距離が近づくにつれて、その存在がよく見えるようになる。全身が緑色で、申し訳程度に腰に布を巻いている。体長自体は小さいものの、筋肉の盛り上がった腕と、手に持った木のこん棒。常人であれば、あのこん棒で叩かれてしまっては、大怪我は免れないだろう。
接敵し、ゴブリンがこん棒を振り上げた瞬間、ヤスオは自身の得物である鉄の剣を握りしめ、スキルを発動する。
【つばめ返し】
放たれる斬撃は二つ。閃光のような速度で、鉄の剣が振るわれる。一瞬で2体のゴブリンの頸部を分断し、崩れ落ちる首なしの体を通り過ぎる。すぐに格闘家の援護をする為に後ろを振り返ると、格闘家はゴブリンの攻撃を体で受け止め、返しに頭部を拳で粉砕していた。
周囲を見渡しながら、ほかに敵がいないか警戒をする……ゴブリンの経験値が入ってくる感覚を受けて、今の戦闘も無事に生き残れたと、ホッと一息ついた。
「怪我は?」
ゴブリンとの戦闘後、ヤスオは、格闘家に尋ねた。ゴブリンのこん棒を直に体に受けていた為、何かしらの支障が出るとまずい。そんな心配を他所に、格闘家は返り血を浴びた状態でお気楽に答える。
「あの程度なら、全く問題ないね」
その答えを聞いて、次は魔法使いと僧侶に視線を移し、同じことを尋ねる。
「私も大丈夫」と魔法使いが、「こちらも問題ないです!」と僧侶が答えた。
全員の無事を確認し、空を見上げた。薄っすらと夕焼けが見えている。
ヤスオは、このまま狩りを続けるか迷う。効率と安全を天秤にかけた結果、天秤は安全に傾いた。
「警戒しながら、ホームに帰ろう」
そして仲間が頷くのを横目に、ホームへの道を歩き始めた。
★
なぜ、ヤスオはゴブリン等という存在と戦闘をしていたのか。
元々、ゴブリンという存在は架空の生き物であった。
初出が何であるかは諸説あるが、その存在が一般的になったのは、古くから世界中で愛されているRPGゲーム〈ドラゴンファンタジー〉通称【DF】の一作目、〈ドラゴンファンタジー1〉に雑魚敵として登場した時だろう。
DFシリーズは、現在10作品とスピンオフ作品多数が発売していて、発売日には暴動が起きた事もあるほどの人気作品だった。
今となってはオーソドックスなスタイルである、経験値を集めてレベルアップをするシステムを確立した立役者であり、仲間システムや、職業システムなど取り入れ、シリーズを通して進化し続け、最後にはオンラインプレイ対応にもなったビッグタイトルだ。
そんなゲームの雑魚敵として、最序盤に出てくる敵がゴブリンであり、攻撃方法もわかりやすくこん棒でたたくのみ。
冒険を始めたての勇者でも倒せるその弱さは、シリーズの顔として、一部ではマスコットキャラクターとしても愛されていた。
だからこそ、初めて、ゴブリンが現実に出てきたときに、そのこん棒で沢山の人々が殴り殺された。
始まりは、数か月前。
世界中で大地震や大嵐、隕石といった、天変地異が起きた。
事前に何の前触れもなく訪れたその災害は、地球と人類に大きな変化をもたらした。
ネットなどの電子機器が使えなくなった代わりに、人々は魔法が使えるようになっていた。
それも、DFのシステムに沿った形で、職業とレベルを明示されて。
狂喜した人もいたが、すぐに現実を知ることになった。DFに存在するモンスターまでもが、現実世界に現れていたのだ。
ヤスオの脳内には今でも焼き付いている。
その日は、雲一つない快晴だった。朝の7:30頃、ちょうど通勤や通学する人々がごった返す駅。
ヤスオ自身も、通勤のため、構内に入ろうとしたときに、突然大きな地震が起きた。立っていられないほどの大地震と、突然強くなった風に目が空けられなくなり、収まるまでの間、その場に座り込んで丸まるしかなかった。
10分ほど経った後、地震も強風も収まり、周りの確認をすると、次は大きな悲鳴があちこちから聞こえてきた。
最初は、地震で怪我をした人がいたのかな?くらいの考えだったが、すぐに様子がおかしいことに気づく。徐々に徐々に、悲鳴や叫び声が大きくなってくる。何が起こっているのか確認するため、必死に視線を動かすと、不意に大きな影が視界を遮った。
後ろを振り向き、始めは、見間違いかと思った。巨大な石像が人を押しつぶしているなんて、ただの悪い冗談にしか見えなかった。
その石像は、人をそのまま大きく、石にしたような外見をしていて、人の数倍はあるであろう巨体で、力任せに人を踏みつぶしていた。石造の、どこか既視感がある風貌は、DFシリーズをやっている人なら必ず見たことがある《アイアンゴーレム》に酷似しており、それが現実感のなさを加速させた。
「なんだ……これ……」
ヤスオは一言つぶやいただけで、全く身動きすることが出来なかった。自分が動いてしまったら、目の前のありえない光景が現実の物となってしまいそうで、ただ身をすくめることしか出来なかった。
契機になったのは、アイアンゴーレムが近場の人をすべて潰して、こちらに視線を向けた時だった。おそらく、次の獲物を探すために視線を動かしただけだろう。しかし、その真っ赤な眼光がヤスオ自身を見ていると感じた瞬間、溜まった恐怖が爆発した。
「うおおおおおおおおお!」
周りにいた人々も、ヤスオが動き始めたことを皮切りに次々と悲鳴を上げながら逃げ出す。アイアンゴーレムから少しでも、少しでも遠くに行きたい。その一心だった。
全速力で逃げている間にも、目の前に信じられない光景が次々と飛び込んでくる。
何処か、見覚えのあるモンスターにたくさんの人が殺されている。
混乱する街の中で、ゲームではほとんど危険はなかったゴブリンに、逃げ惑うたくさんの人が殺されていた。
逃げる途中、ゴブリンの色違いで上位種扱いのホブゴブリンや、中盤の敵として出てくるオークやオーガ。大型の竜であるグレータードラゴンや、巨大植物のマンイーターなども遠目で視認出来た。ヤスオに出来ることは、少しでも遠くに逃げようとする事だけだった。
それぞれのモンスターは暴れまわっていたが、幸か不幸か、周囲には沢山囮がいたため、そちらに気を取られてくれた。明らかに危険そうなモンスターを避けて走るうちに周囲に人影はなくなっていた。
ヤスオは何をしたらいいのか、何処に行けばいいのかわからず、気づいたら自宅まで帰ってきていて、そのまま閉じこもり必死に現実逃避をしているうちに、最悪の初日は過ぎ去っていた。