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月結びの儀式

 葉月さんとともに何食わぬ顔で庭園に戻ると、すぐにたくさんの神祇官(かみづかさ)に囲まれた。

 そして気がつけば葉月さんと離されて広い浴場に連れて行かれていた。


 豪華客船のごとく大きな湯船に放り込まれ、髪を丁寧に整えられ、バフバフとおしろいを叩かれ、唇には紅をひかれる。

 何度か寝落ちしそうになりながら十二単を着せられると、手慣れた様子で廊下に出された。


「では準備が整うまで、もうしばらくお待ちください」


 軽く頭を下げて去っていく後ろ姿を呆然と見つめいると、背後から葉月さんの声が私の名を呼んだ。

 

 振り返ると、蔀戸(しとみど)を背に立つ葉月さんが含み笑いを浮かべていた。

 平安の時代劇でよく見る、束帯という衣装を身に着けている。


 私は見慣れない姿に思わず見入ってしまった。

 じっくりとつま先から頭に乗った冠まで眺め、そのすぐ下の大きく見開かれた瞳と視線がぶつかる。


「よく似合ってます。お花みたいだ」


「おは?! あ、ありがとうございます。葉月さんも、すごくカッコイイです!」


 お互いの見慣れない姿に狼狽えてそわそわする。

 けれどすぐにいつもの空気に戻り、苦笑を浮かべた。


「着せ替え人形になってました」


「同じく」


「間に合いますかね」

 

「分かりません。なにせ夜明けまであと1時間ですから」


 霊狐一族の執り行う月結びの儀式は、必ず満月の夜に行われる。

 それは神力のもっとも高まる時間だからだ。

 対する神様はどうかと言うと、特に満月でなくとも問題はないという。


 夜でありさえすれば、月が少し欠けていようと、さほど影響は受けないらしい。

 とはいえ、なるべく成功率は高いほうがいい。

 そんなわけで満月の夜を1日すぎた今日、急いで儀式を行う運びとなったのだ。


 ぼんやりと思い出していると、霊孤一族と思しき者たちが慌ただしくやってきた。数は20名ばかり。

 広くもない廊下に肩を狭めながら、一族のひとびとは私たちの前で深々と座礼をした。


「葉月様。我々が犯した罪は言わずもがな許されざるものでございます。誠に、誠に申し訳ございませんでした。本来ならばあなた様に顔向けする資格などありませんが、どうか、私たちに償いをさせていただきたくお願い申し上げます」


 三角耳が床につくほど頭を擦り付ける勢いで(こうべ)を垂れる一族に、葉月さんは一瞬複雑そうな表情を見せた。


 大臣の手のひらで踊らされていただけとはいえ、葉月さんの両親を含む一族の滅亡のきっかけは彼らにある。

 さらに世界崩壊の一件にも深く関わっている。

 そう気軽に許せるものではないだろう。


 それでも葉月さんは背筋を伸ばし、一族の前で膝を折った。

 見下ろして彼らを責めることもできただろうに、彼はそうしなかった。


「謝罪はお受けします。ですが償いは要りません。そのかわり、一族の長である小春を、どうか支えてあげてください。そして願わくば、一族を本来のあるべき姿に戻すべく日々励んでほしい」


 葉月さんの言葉からは、各々の胸にある罪悪感を良いエネルギーに変えてほしいという願いが感じ取れた。

 一族の者たちは一様に息を呑み、自分たちの罪の重さを再認識し、後悔で顔を歪ませた。


「はい。小春様を生涯お支えし、一族の再興のため精励いたすことをここにお約束いたします」


 葉月さんはわずかに口角を上げて頷くと、おもむろに懐紙(かいし)を取り出した。

 何枚ものお札が入ったそれの、一番後ろに仕舞われていた一枚を抜き取り、代表として言葉を連ねていた男性に手渡す。

 

「あの、これは……?」


 戸惑いを隠しきれない様子でお札と葉月さんを見比べる男性に、葉月さんは静かな口調で言った。


「屋敷を含む一族の村全体にかけられた幻術を解くためのお札です。あの事件のこともありますし、使うかどうかはみなで決めてください」


 落ち着いた声が廊下にやんわりと響く。

 その合間に軽い足音が広間の方向から聞こえてきた。

 どうやら儀式の準備が整ったらしい。

 立ち上がった葉月さんが、なにかを思い出して「それと」と口を開いた。


「避難時の隠し部屋が地震の影響でかなり荒れていまして。私が常世に戻って来たときに片付けるとともに退去しますので、それまでは立ち入らないようお願いします。……と、姉にお伝えください」


 近づいてくる足音が、ためらいを表わすように徐々に減速する。

 噂をすればなんとやら。曲がり角から顔を出したのは、その小春さんだった。


「聞こえてたわ。立ち入らないようにって話は分かったけれど、あの屋敷はもともとあなたのために神様が残したのでしょう。あなたが出ていく必要はないわ。それに……私たちがあの屋敷の敷居を跨ぐ資格もない。だからそのお札は──」


「姉さんが持っていてください。一族の再興のためには村が必要でしょう。それから一族を率いている証である、大きな屋敷も」


 姉弟は一度口を閉じ、互いの顔を伺い見た。ほんの数秒の沈黙が流れる。

 先に口を開いたのは小春さんだった。


「わかったわ。屋敷も、村も、一族も、あなたの居ない間は私が引き継ぐ。もう時間がないから、一族のことはあなたが戻ったときにゆっくり話し合いましょう」


 葉月さんは何かを言いかけたが、飲み込んで頷いた。

 それから霊狐一族の妖たちは小春さんを先頭に広間と逆方向に去って行った。

 どうやら裏方として儀式の手伝いをするらしい。

 

 残った私たちは彼らに背を向け、ゆっくりと広間を目指して進む。

 歩きながら、私は控えめな声量で「葉月さん」と呼んだ。


「やっぱり、その……複雑ですよね」


 皆まで言うのは失礼な気がして、つい曖昧な言い方をしてしまった。

 あのおぞましい事件が起こらなかったら族長の立場を継いでいたはずの葉月さんだが、霊狐一族の生き残りである彼らはみんな小春さん派だ。

 

 だから葉月さんは、小春さんが霊狐一族の族長であると明言した。

 けれど小春さんは元族長である父親が誰に継がせようとしていたか知っているため、胸を張って率いることができないのだろう。

 

「望まれていない者が族長になるのは一族にとっても良くないでしょう。ですから、次に常世に戻ってきたとき、一族のことは姉に託すと告げるつもりです」


 そうはっきりと答える彼の表情は思いのほか晴れ晴れしていた。

 彼の中で迷いや辛い気持ちがないのであれば、もうこちらから言うことはない。

 私は口を閉じたまま笑顔で頷いた。

   

 広間に到着すると、いよいよ儀式が始まった。

 淡々と、粛々と、現世の式とは違った段取りで進められていく。

 三献の儀だけは同様に式に組み込まれていたが、お神酒が眩い輝きを放っていたので、もはや異次元の神前式といえるだろう。

 後で聞いたところによると、どうやらお神酒には神様の神力が込められていたらしい。


 すべての工程が終了したところで、私たちは神様の力によって五芒星の門へ移動した。

 始まりの門である第五の門。そして葉月さんが最後に閉じた門である。

 巫女装束を身にまとった神祇官の女性がふたり、私と葉月さんの前に立った。


 ふたりは神楽鈴を美しく響かせながら、雅楽の演奏とともに舞を舞う。

 同時に霊狐一族による祝詞奏上が始まった。

 神楽鈴の音に寄り添うほど静かに奉げられる言葉に乗って、月の光をまとった神力が光の粒となって門を包み込む。


 舞と祝詞の奏上も終わると、いよいよ辺りは静まり返った。

 たくさんの参列者が集っており、その誰もが神聖な空気に圧倒されていた。

 

 そんな中、神祇官の指示に従って私と葉月さんは門の前に立った。

 神様が門を背にして私たちに向き合う。


「手を繋ぎ、前にお出しなさい」


 言われた通り、私と葉月さんは手を繋ぎ、そのまま神様の目前に持ち上げる。

 そこにそっと神様の手が重なると、不思議と心が安らいだ。

 何もかも受け入れてしまいそうな、何もかも出来てしまいそうな、万能感が湧き上がる。


「これより現世を復活させる。神崎結奈。君はこのときをもって現世の輪から外れ、現世の媒介となる。そして葉月。君は常世の媒介として生きていくことになる」

 

 柔らかい声音で神様が言葉を紡いでいく。

 これから現世に行き、一年は滞在する必要があること。

 その間の生活は可能な限り補助してもらえること。

 突然現れた存在になるため、なるべく目立たぬように過ごすこと。


 注意事項を事務的に伝えられているというのに、どうしてか、なにか特別な誓いを立てているような気持ちになる。

 ひとつひとつに頷いていると、最後に神様が言った。


「ひとつずつ、君たちの願いを叶えよう」

 

 葉月さんが驚いて目を見張った。


「私も、ですか……?」


 妖は本来、神様が願いを聞き叶える対象ではない。

 それを葉月さんから聞かされていたので、私も少なからず驚いた。


「君たちはそれだけの大役を担っているからね。何を願っても良い。叶えよう」


 普段は「これが欲しい、あれがしたい」と願いながら生きているが、いざ聞かれると答えられないものらしい。

 不老不死とか、金銀財宝とか、そういう願いですら、きっと言えば叶えてもらえるだろう。


 死人を生き返すことも、もしかしたらできるのかもしれない。

 けれど、私はその願いを即座に打ち消した。


 私は現世の輪を外れてしまうが、人間じゃなくなったわけではない。

 ならば、人間として何事かを願いたい。


 そこまで考えて、ふと脳裏にとある記憶がよみがえった。

 人間の魂を売るセドリックの顔と、牢屋に響く人間の怯えた声だ。

 

 自分に力があればと思いながら、生き残ることに必死で今の今まで忘れてしまっていた。

 私は神様をまっすぐ見据えた。

 不思議な瞳がそれを受け止め、変わらずの微笑を浮かべて口を開く。


「言葉にして祈りなさい」

 

 私と葉月さんは顔を見合わせて、順に自分の願いを口にした。

 私は黄泉の貴族が人間を食べることを禁じてほしいと言い、葉月さんは依代と呼ばれる者たちに新たな存在理由を与えてほしいと願った。


「叶えよう」


 神様は一言そう述べると、手のひらを上に向けた。

 次の瞬間、その手に分厚い本が現れる。

 凝った装丁の本はパラパラと勝手に開いて、白紙のページで止まる。


「黄泉の貴族の人魂食を一切禁じる」


 神様がそう宣言すると、歴史の年表のように線と数字が浮かび上がり、知らない言語の文章が現れた。

 おそらくそれは、現世にはない言葉なのだろう。

 読めないのに読めそうな、不思議な印象を与えてくる。


「結奈の願いは叶えられた。次は葉月の願いを叶えよう。依代は偶然の産物だが、ひとつの個性として認めよう」

 

 先ほどと同様に文章が本に記される。

 すべてを記載し終わると、本は勝手にパタンと閉じて消えた。


 間髪入れずに、神様が再び手のひらを広げる。

 するとすぐに光の粒が集まり、長方形の立方体を作り始める。

 

 文庫本サイズのそれはみるみるうちに大きくなり、やがて革張りの立派な大冊となった。

 本はまたもや勝手に開き、白紙だったページに膨大な文字を刻み始める。


「ここ1ヶ月ほどの人類の記憶を天変地異から日常の記憶に書き換えた」


(なんか凄いこと言ってる……。凄いというか、怖いというか……)


 ここまで来ると、もはや清々しいほどに現実味がない。

 そんな私の気持ちなど露知らず、再び本が閉じ、神様のすぐ後ろに控えていた神祇官のひとりが声高らかに儀式の準備が整ったことを告げた。

 

「あとはこの者たちが現世へ降り立ち、ふたつの世界を結ぶことができたら、現世は完全に修復される」


 イマイチ媒介がどのような役割なのか分からなかったのだが、もしかするとコーティング作業のようなものなのかもしれない。

 さながらショートケーキの上のイチゴに塗るナパージュのように。


 私と葉月さんは神祇官の案内によって門の前に立った。

 いよいよ出発の時。

 背後の門が月の光を集めて一層輝き始める。

 私は心に滲み始めた緊張を誤魔化そうと、葉月さんの手に触れた。


 その手をしっかりと握り返してくれた葉月さんは、安心させるように私に微笑みかけてから、参列者の面々に目を向けた。

 つられて私も前を向き、お世話になったひとたちを視界に入れる。


 すると同じようにこちらを見ていた彼らと目が合った。

 一生の別れではないけれど、お別れの挨拶は済ませたけれど、なんだか名残惜しい。

 

 おもむろに華陽が笑顔で「先生を困らせるんじゃないわよ!」と言った。

 それに続く形で朔矢さんが「息災で」と微笑み、万咲希くんが「患者は任せろ」と胸を張った。

 

 ゆずきさんは涙を流して何か言っているが、泣きすぎていて聞き取れない。


 小春さんが控えめに手を振り、その後ろで霊孤一族の者たちが深々と頭を下げている。

 最後に、タウフィークさんが剣を持ち上げて快活な笑みを浮かべた。


「戻ってきたら教えてくれ! 月の綺麗な夜に、星原で再会の祝盃をあげよう!」


 私と葉月さんはタウフィークさんに応えるように片手をあげて応えた。

 徐々に目の前がゆるくぼやける。

 

 時間だ。体が浮遊し、自分という存在が朧げになる。

 次の瞬間、私の視界は真っ白に染まった。

次回、最終話(+エピローグ)です!

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