永く遠く
さて。私は賑わっている庭園の間を縫って縁側に向かった。
とある方に挨拶へ伺う前にやるべきことがあるのだ。
背負い籠のとなりに畳んでおいたローブを手に取り、籠の中から1枚のお札を取り出す。
浄化の術を応用して作った、あらゆるものを修復するお札だ。
(氷の矢に襲われたり坂道を転がったり、借り物なのにずいぶんと乱暴に扱ってしまったな。もしも旅を無事に終えられたら、きちんと自分の手と神力で丁寧に直してお返ししたいと思ってたから、叶いそうでよかった)
お札に神力をそそいでさっとローブにかざす。
次の瞬間、みるみるうちに汚れが消え、ほつれていた部分が意志を持ったように波打った。
ピンと張った糸が蛇のようにうねりながら、時折ねじれながら、無事だった部分の布と同化していく。
時計の針が一周するころには、ローブは借りる前の状態にまで戻すことができた。
(これでよし。次はお目当ての人物を探さなければ)
立ち上がってあたりを見回すと、ちょうど結奈さんが挨拶をしているところだった。
腕にかけていた借り物の外套の汚れを落とす術がないことに気がついて慌てている。
お目当ての人物もといレオドール様とアーロンさんが、右往左往する結奈さんを笑顔で落ち着かせていた。
私は口角が上がっていることを自覚しつつ、籠からもう一枚浄化のお札を取り出して結奈さんたちの元へ急いだ。
「レオドール様、ご無沙汰しております」
「おお、来たな」
軽く右手を挙げて応えるレオドール様に一礼し、結奈さんの隣に並ぶ。
レオドール様は感慨深げに私たちを見比べると、黄泉の王らしい威厳に満ちた表情を作った。
「過酷な旅だったと聞いている。そなたらの勇気と執念に心から敬意を表そう」
「レオドール様とアーロンさんのご支援があってこその結果です。深くお礼申し上げます」
頭を下げる私の横で、結奈さんも深々と頭を垂れる。
レオドール様は私たちの肩を軽く叩いて困ったように笑った。
「よせ。世界の功労者に頭を下げられるのは据わりが悪い」
「私たちの力だけでは成し遂げられませんでしたから」
「まったく。まだ若いのだから、もう少し己の功績に酔えば良いものを」
呆れ口調で返されるが、どう考えても慢心できるほどの働きを自分がしていたようには思えなかった。
けして否定的な意味ではない。
表立って行動していたから称賛の言葉をもらっているだけであって、レオドール様を筆頭に多くの影の功労者がいることを忘れてはならない。
レオドール様は困り顔のまま、何かを口にしようとして迷う素振りをみせた。
軽く逡巡したのち、そっと言葉が紡がれる。
「私はそなたらの事情を知っていながら、大人として保護するのではなく、手を貸すだけに留めた。しかし密かにそなたらの行く末を父親のような気持ちで見ていたのだ」
それゆえに。レオドール様が眉を下げて続けた。
「最初は、そなたらが世界修復のための媒介としてその身を差し出すことを、素直に祝福すべきか迷っていた。だが今、そなたらの表情と強固に結ばれた縁を前にしたら、私の出る幕がないことはいやでも分かる」
サファイアの瞳を優しげに細め、レオドール様は暗い表情から一転、心の底から嬉しそうに笑顔を浮かべた。
「葉月、結奈。そなたらが共に歩む長い道に、幸多からんことを」
「レオドール様……。ありがとう、ございます」
レオドール様の向けてくる温かい眼差しには前から気づいていた。
けれど改めて言葉にされると、どうにも面映ゆい。
そしてそれ以上に、彼の言葉は深く、強く、心に響いた。
それは結奈さんも同じだったようで、感謝の言葉を口にしながら涙を滲ませている。
そうして一歩下がったところに控えていたアーロンさんからもお祝いの言葉をいただくと、いよいよお別れの雰囲気になった。
名残惜しく思いつつ、また次の再会を信じて笑顔を保つ。
そこでふと思い出し、私は半分泣きそうになっている結奈さんの手から外套を引き受けた。
手早く浄化の術をかけ、返還するのに申し分ない程度にまで修復する。
軽く畳むと、ローブと一緒にアーロンさんに渡した。
「こちら、手渡しで恐縮ですが、お返ししますね。本当にありがとうございました」
「お役に立てて良かったです。ローブもケープコートも、お貸しする前よりも綺麗にしてくださって。先ほどの高度な浄化の術、感服いたしました」
目を輝かせながら受け取ったローブや外套をながめるアーロンさんの横で、レオドール様がちらりと屋敷に目を向けた。
「そろそろ儀式が始まるな。アーロン、行くぞ」
「はい、陛下。では葉月殿、結奈殿、またお会いできる日を楽しみにしております」
清々しいほどあっさりと離れていくレオドール様の背中からは、最後の別れにするつもりがないことが伝わってきた。
後を追うアーロンさんもまた、朗らかな笑みとともに踵を返した。
「私たちも行かないとですかね」
結奈さんが緊張した面持ちでレオドール様たちの行く先を見つめた。
大広間にはいつの間にか参列者用の赤毛氈が左右に分けて敷かれており、私と結奈さんの顔馴染みである面々が座る位置について真剣に話し合っているのが見えた。
中央の奥側にはふたつの和風椅子が置かれている。
新郎新婦の座る場所で、本来はここにも赤毛氈が敷かれるのだが、おそらく長時間の正座が苦手な結奈さんに合わせての配慮だろう。
屋敷の中は忙しなくひとが行き来しており、その中には儀式用の正装が入った箱を持っている者たちもいた。
どうやら私と結奈さんを探しているらしい。
私はとっさに目の前の細腕を掴むと、自身らに簡易的な幻術をかけた。
榛色の瞳が大きく見開かれ、こちらを見上げてくる。
血色の良い唇がわずかに開かれており、いつもよりも幼い印象を与えた。
「葉月さん? ど、どうしたんですか?」
驚く結奈さんに笑いかけ、私は人差し指を口にあてた。
「少しだけ、ふたりきりでお話ししたいので、あのひと気のない橋の上まで一緒に来ていただけますか」
あえて畏まった口調で言うと、結奈さんは強張っていた顔をいっそう硬くして、ぎこちなく頷いた。
同意を得られたので、そのまま腕を引いて朱色の橋を目指す。
大勢のひとが集っていた庭園だが、守り屋の整備のおかげで大半が解散し、すでに池の辺りは落ちついた雰囲気が戻っていた。
石灯籠によっておぼろげに照らされた池の水がキラキラと光を反射し、温かく私たちを迎えてくれる。
無意識のうちに早まっていた鼓動が少しだけ静まった。
儀式の始まる前に、どうしても言いたいことがあったのだ。
正門が近いため全くの無人というわけではないのが残念だが仕方あるまい。
私は橋上にたどり着くと、ひとの流れが途切れたところでようやく口を開いた。
「儀式の前に、改めて言わせてください」
「は、はひ!」
なんだか変わった返事が返ってきて、少しだけ互いの肩の力が抜ける。
恥ずかしそうに両手をこすり合わせる結奈さんをまっすぐ見据えて、私はなるべく声が暗くならないよう努めつつ話し始めた。
「私たちは早くに両親を亡くし、通常よりもずっと早く大人にならなければなりませんでした。大人になるとはいっても、私は実際そんなことはなくて、結局不完全なまま成長してしまった。どこか欠陥していて、何かが不足していて、つぎはぎだらけの大人になってしまいました」
結奈さんが目だけで否定してくる。
それを微笑みで受け流し、またすぐに表情を引き締めた。
いかに自分が本気であるか知ってほしい。
けして世界を救うために言ったのではないと知ってほしい。
不完全な自分だけれど、それでも。
「それでも……不安定な柱だとしても、私はあなたと家族になりたい。あなたと毎朝おはようと言い合って、美味しいご飯を食べて、色々なものを観て、色々な所へ行って。そんな毎日を、大好きなあなたと一緒に送りたい。一緒に生きていきたい」
短く息を吐いて早鐘を打つ心臓を無理やり宥め、声がひっくり返らないよう慎重に。
「結奈さん、私と結婚していただけますか」
指輪も簪も用意できなかったが、代わりに自分の手を差し出した。
結奈さんは私の手に一度視線を落とし、破顔して、迷いなく手を取ってくれた。
「もちろんです、葉月さん」
気が付けば、結奈さんが自分の腕の中にいた。
返事の言葉を反芻しているうちに彼女の方から飛び込んできたようだ。
繋いでいた手を離し、そっと背中に手を回す。温もりが愛おしい。
自分と彼女の体温がなじんだころ、結奈さんが私の名を呼んだ。
「葉月さん。私も、いえ、私こそ、不完全な人間です。きっと後ろ盾のない私たちは他のひとよりも苦労すると思います。でも……」
そこで一度言葉を切り、結奈さんは姿勢を正した。
自然と彼女との間に距離が生まれる。
こちらを見上げてくる瞳の強さに圧倒されながら、私も応えるように見つめ返した。
「でも、そんなの些細なことに思えるんです。不安定な柱だって、二本あれば安定します。一家の大黒柱がなにも1つで出来ている必要はないんです。ふたりで1つ、それもきっと、ひとつの家族のあり方なんです」
支え合って生きていく。肩を並べて歩んでいく。
ときに引っ張って、ときに引っ張り上げてもらって、とわに。
「それは、とても素敵ですね」
「でしょ?」
無邪気な笑顔につられて私もおそろいの笑みを浮かべた。
いよいよ、本編あと2話(+エピローグ)で完結です!
うおぉぉ!駆け抜けるぞー!




