少しの敬意を
華陽さんと穏やかに別れの挨拶を交わし、ひとりになったところで、慣れ親しんだ殺意を背後から感じた。
いつもならば原因は分かっているのだが、今回ばかりは「なぜ」と聞きたい。
そう思いつつ振り返れば、案の定、屋敷の縁側付近で仁王立ちしている万咲希と目があった。
目の赤みはだいぶ治まったようだが、泣いたあと特有の腫れた瞼が痛々しい。
死んだはずの家族が生きていたというだけでも驚きなのに、彼の心情はもっと複雑だろう。
万咲希と彼のご両親の関係について詳しく聞いたわけではないが、それとなく本人がこぼした事があった。
偽神と判明した息子をなんの躊躇いもなく差し出した両親に不信感を抱いたこと。
家出をした際に朔矢に拾ってもらったこと。
当の本人は主に朔矢の素晴らしさばかりを語っていたが、サラリと告げられた過去は、けして軽く聞き流せるものではなかった。
国に脅されて大切な息子に真実を話せなかったご両親の悔しさも、貴重な親との時間を自ら捨ててしまった万咲希の後悔も、先ほど見せた彼の涙から容易に想像できてしまう。
何か力になれたらいいが、声をかけたら嫌がられるだろうか。
私は前に出かかった足をゆっくりと戻して逡巡する。
けれど1秒と経たずに前へ踏み出した。
「万咲希」
呼び慣れたというには少なく、ただの知り合いにしては多く口にしたその名は、微かなぎこちなさを伴って空気を揺らした。
まさか話しかけられるとは思わなかったのか、万咲希は戸惑いを見せたが、すぐに顎をあげて胸を張った。
以前、現世で結奈さんが教えてくれた「ヤンキー」なるものを彷彿とさせる立ち姿に微笑ましさを感じながら、そっと距離を詰める。
「これが最後というわけでもないだろうけれど、また次にいつ会えるか分からないからね。挨拶だけでもさせてくれるかな」
「……薬師は辞めるのか」
手早く会話を終わらせた方が良いかと思っての切り出し方だったのだが、思わぬところに指摘が入って驚いた。
「辞めないよ。薬師の仕事は、結奈さんと出会う前は唯一の生きがいだった。今も、自分を形成する一部のように思ってる。だから役目を終わらせたら、また続けるつもりでいるよ。詳しいことはまだ決めていないけど」
「ふうん」
興味のない顔をする万咲希に苦笑しつつ、それでもきちんと最後まで話を聞いてくれたことに感動する。
私はひと呼吸置いて、「それじゃあ」と踵を返した。
「体に気をつけて。次に会うときは、今度は同じ薬師として、薬学の話でもしよう」
もうじき万咲希は17になる。
国家試験を受け、1年間の研修を経て、薬師見習いの彼は一人前の薬師となる。
そうなるであろうことを当然のように信じることこそ、私が彼にできる唯一だろう。
だから「頑張れ」も「大丈夫」も口にせず、背を向けた。
そうして数歩進んだところで、言いにくそうに「葉月さん」と呼ばれた。
聞き慣れた声が、初めて私の名を呼んだ。
前へ進もうとしていた足が反射的にピタリと止まり、三角の耳が無意識的に後方へ向く。
「……遅いかもしれないけど、俺、両親に会って話してくるよ」
ちょっと──いやかなり、泣きそうになった。
そんな大事な話を、嫌っているはずの私にしてくれるとは。
尻尾が揺れそうになるのを必死に抑え、崩れそうになる表情を引き締めながら、私はゆっくりと振り返る。
存外まっすぐ向けられていた目に驚く暇もなく、視線がそらされた。
「遅くなんてないよ。相手が生きてさえいれば、どんなに時間が経っていたとしてもやり直せる。それは奇跡みたいなものだから、大切にするんだよ」
多くを失った自分がこれを言うのはズルいと思われそうだが、心からの願いなので口にしてみる。
案の定、万咲希は一瞬だけ泣きそうな顔をしてから、思い切り嫌そうな表情を浮かべてそっぽを向いてしまった。
私は彼らしい反応に笑いながら、今度こそ万咲希と別れた。
今回は少し短めですが、その分、次話がだいぶ長くなる予定です。来週、投稿できますように。




