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兄の想い

 儀式の準備の指揮があると言って去っていった小春さんと入れ替わる形で、タウフィークさんがやってきた。


「や、お疲れ」


「お疲れ様です、タウフィークさん」


 にこやかに挨拶を交わし、他愛のない会話をしばらく続けていたところで、ふと彼は思い出したように手を打った。


「そういえば、薬師襲撃事件のことで志苑が教えてくれたんだけどさ」


 声量を落として出されたその名前に、思わず辺りを見回す。

 内密に動く機関「明星」の一員である志苑さんは、当然のようにこの場にはいない。

 国民の怒りが鎮火されたことを確認して去っていったのだろう。

 

「葉月が結奈ちゃんの転送地点を上書きしたこと、大臣らは転送日のずっと前から知っていたらしい」


「どういうことですか?」


 首をかしげる私と葉月さんに、タウフィークさんは苦々しい口調で続けた。


「政府は葉月が結奈ちゃんを助けるためにどう動くのか予想がついていたんだ。それで、事前にそれとなくセドリックに吹き込んでおいて、結奈ちゃんが転送される日に各転送跡地へ早馬を出すよう助言した」


「なるほど。だから結奈さんを転送させたとき、私が予想していたよりもずっと早くに追手が来たのか」


 葉月さんが吞み込み顔で頷いた。

 ふと初めて出会ったときのことを思い出す。

 現世への帰り方を尋ねた私に説明する暇もなく、葉月さんは焦りを滲ませつつ家へと向かった。

 たしかにあれは計画通りに事が進んでいる者の態度ではなかった。


「葉月と結奈ちゃんが現世に旅立ったあと、覚一族にセドリックの聴取をしてもらったけど、政府の計画についての情報は一切出てこなかった。あのセドリックすら、政府にとっては捨て駒だったんだろうな」


 人の魂を売る会社のトップに君臨していたセドリック・アッシャー。

 私の魂を奪おうとナイフを振り上げて来た、あの冷たい瞳を思い出して心臓が冷たくなる。

 あんなにも脅威に思えていた敵が、実はだれかの手のひらで踊らされていたというのだから驚きだ。


 そして計画を見事遂行してみせた大臣らの執念に、改めて圧倒させられる。

「どうしてそこまでして」と呟く私に、葉月さんは眉を下げて言った。

 

「彼らは本当に、心の底から、この国を良いものにしたかったのかもしれません。自分たちの利益のためというには、あまりにも危険性の大きい方法でしたから。正しいかどうかは別として、そこには彼らなりの正義があったのでしょう」


「あれを正義と言いたくはないけど、まあ多分、やつらも真剣にやつらの正義を振りかざしていたんだろうな」


 葉月さんの言葉に賛同する形で続けるタウフィークさんに、私は縋るような気持ちで「分かりあう道はなかったのでしょうか」と尋ねた。


 今回の事件は、けしてこれで終わりと片付けて良いものではない。

 またいずれ、必ず同じようなことが起こる。そういう予感がしたのだ。

 

 どんな形であれ、大義名分が立てば、人はどこまでも胸を張って歩けてしまう。

 来るであろう次に備えるにはどうすればよいか。

 答えを求める私に、タウフィークさんは困ったような笑みを浮かべて肩をすくめた。


「考えの違う者どうしが妥協する気のないまま話を続けたって変化が生まれることはない。双方が本当の意味で分かり合いたいと思わない限り無理だろうな」


「せっかく言葉を交わせるのに」


「言葉は使えても言葉が通じない相手なんて星の数ほどいるよ」


 多くの犯罪者と対峙してきた守り屋の言葉が、言外に「割り切れ」と言っている。

 諦めのつかない私に苦笑してから、タウフィークさんはそっと右後方に目を向けた。


「世界の行く末について考えるのも立派だけど、今はもっと違う話をしよう」


 思考を止めて顔をあげた私は、タウフィークさんの視線を追って振り返る。

 私の左後ろで、いつの間にか葉月さんが朔矢さんと話し込んでいた。


 そのまた少し離れたところでは、万咲希くんが泣きはらした目をこれでもかと見開いて、葉月さんのことを恨めし気にみている。

 この見習いの少年は、どんなに辛い思いをしても師匠愛だけは揺らがないらしい。


「葉月は、さ」


 タウフィークさんが今まで以上に声量を落として切り出した。

 

「結奈ちゃんも知っていると思うけど、わずか11歳で両親と一族を目の前で殺されたんだ。あいつの会いたいひとはみんな死の先にいて、そのせいで事件の後から、あいつは死ぬことに抵抗がなくなっていた」

 

 でも、とタウフィークさんは静かに微笑んだ。

 

「結奈ちゃんと会って、少しずつ生きるための道を探すようになった。正直俺はね、嬉しいと同時に少し悔しいんだ。どれだけ言葉を贈っても、葉月の心には少しも届かなかったから」


「そんなこと絶対にないです。どんなにタウフィークさんを想っているのか、葉月さんを見ていたら分かります。その想いの強さが、きちんと葉月さんに届いている証拠ですよ」


 タウフィークさんはわずかに目を見開いてから、受け入れるように「ありがとう」と言った。

 私はそれに微笑みを返してから、「それに」と目を伏せた。


「それに、私は胸を張れるようなことは何ひとつしていません。タウフィークさんに頼んだって言われていたのに、危うく葉月さんを死なせるところでした。あのとき、タウフィークさんが来てくれて本当に助かりました」


 月夜町から第五の門に向かう途中、大臣のひとりである天音に術をかけられた私は、危うく自決するところだった。

 もしあのときタウフィークさんが助けに入らなかったら、自分も葉月さんも死んでいた。


 今更ながらに自分への不甲斐なさを思い出す。

 そんな私の肩に手を置いて、タウフィークさんは慌てたように首を振った。


「あれは俺の言い方が悪かったんだ。本当なら君に自分の命を優先しろって言うべきだった。どうしても葉月に無事でいてほしくて……俺は結奈ちゃんにとって優しくない存在だったね」


 違う。私は心の中で否定した。

 タウフィークさんが一番自分の手で守りたかっただろう義弟の命を任せてくれたことに、私がどれだけ誇らしく思ったことか。


 そして自分ならできると過信し、愚かにも守るべき相手に守ってもらった私は、どれだけタウフィークさんに情けなく映ったことか。


 しかし、それを口にするのは彼への甘えのように思えて私はただ黙って首を振った。

 そんなことない、君は良くやった、そう言ってもらいたいわけではないのだから。


 いっそのこと思い切り責めてくれた方が楽だ。

 そんな私の考えなど露知らず、タウフィークさんは目を細めて笑った。

 

「あのね、結奈ちゃん。これは後出しになっちゃうんだけどね、君と出会った当初から、俺には君なら本当の意味で葉月を助けてくれるって、そういう確信があったんだ。実際に君はあいつを救いあげてくれた」


 私はその瞬間、自分を否定することを忘れた。

 まっすぐ見据える赤い瞳があんまりにも素直な感情をありありと伝えてくるので、きちんと受け止めたくなったのかもしれない。


 今まで自然体で話していたタウフィークさんが、改まって「結奈ちゃん」と私の名前を呼んだ。


「君が葉月と出会ってくれて良かったって心から思うよ。ありがとう。そして、おめでとう」


 言葉尻がかすかに震えたのを、私は聞き逃さなかった。

 心の震えが伝わってしまったのだろう。

 

 この守り屋の青年は、いつも真正面から言葉をくれる。

 頼もしくて家族思いで、仲間を大切にする、守り屋の副族長。

 見ず知らずの私のことも何度も助けてくれた。

 

 感謝を伝えたいのはこちらの方だ。

 私は同じように震えそうになる声を抑えつつ、心からの想いを言葉に変えて、口を開いた。

 

「こちらこそ、たくさん助けてくださってありがとうございました。……葉月さんのことは任せてって言えたらかっこよかったんですけど、タウフィークさんのように強いわけではないから、だからせめてお互いに支え合っていけたらいいなって思っています」


 タウフィークさんは満面の笑みで頷いて、「それこそ君にしかできないことだよ」と返してくれた。

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