苦難の真価
さて。そう一つ呟いて、神様は屋敷に体を向けた。
即座にお役人と守り屋が地面に膝をつき、深々と頭を下げる。
少し間を開けて、私を含めた全員が思い出したようにひれ伏した。
「大本は絶った。次は月結びの儀式を行い、現世を復活させなければいけないね。神祇官は霊狐一族とともに儀式の準備を始めなさい」
「はっ!」
役人の集団の端っこで数名が素早く首を垂れ、屋敷内へと踵を返した。
霊狐一族という言葉に反応して身じろいだ葉月さんは、一瞬の逡巡ののち、とくに何も言うことなく神祇官の背中を見送った。
滅んだと言われていた一族が存在していたことについて、彼は一体どう思っているのだろうか。
思わず尋ねそうになって、あまりにも無粋な質問だと言葉を呑み込み、私はごまかすように別の問いを口にした。
「葉月さん、私、ひとつ疑問に思っていたことがあるんです」
ぼんやりと南庭を眺めていた葉月さんが、金の瞳をこちらに向けて、続きを促すように小首を傾げた。
「えっと、大臣が依代の力について知っていたことについては既に聞いているので分かるんですけど……あのひとたち、神様の状態や居場所について知る術はなかったですよね」
確認の意もかねてそう切り出し、「神様の居場所を知っていたら、五芒星の門をすべて開けるような事態にはならなかったし」と付け足す。
そう。大臣らが五芒星の門を開けた理由は、封印していたはずの神様が消失したことで世界に及ぼされる影響をごまかしたかったからだ。
もしも最初から神様が屋敷に居ることに気づけていたら、世界が崩壊するリスクなど冒す必要はない。
葉月さんは私の話に口を挟むことはせず、頷きだけで肯定した。
「どうして彼らは後になって、神様が消えていないと……屋敷にいると、分かったんでしょうか」
なんとか疑問を言葉にできたことに安堵しつつ、葉月さんの返答を待つ。
師匠はゆっくりと私の問いを咀嚼してから、これまたゆっくりと口を開いた。
「そうですね……結論から述べると、彼らが気づけたのは、けいとと呼ばれたあの女性の能力のおかげです」
私は人間そっくりの見た目をした女性大臣の姿を思い出した。
「あの女のひと、なんの妖だったんですか?」
「能呑みという、ひとの精力を吸収して寿命を伸ばす能力を持つ妖でした」
「その能力で分かるものなんですか……?」
あまりにも質問の答えとは関係のなさそうな能力に戸惑う。
そんな私に、葉月さんは短く「いえ」と否定した。
「能呑みは法の存在しなかったかつて、人間だけでなく妖の精力も吸収していました。その名残でしょう、襲う際に返り討ちにされてしまわないよう、神力や妖力の量を測る能力も併せ持っているのです。そしてやがて、どんな妖であるかという情報も読めるように進化していきました」
葉月さんはそこで一度言葉を切って、私の理解が追いついているか確認の目を向けた。
しっかり頷くと、彼はまた口を開いた。
「ここで重要なのは、対象がある程度強い力の持ち主でないと、能呑みはその妖の正体を把握できないということです」
「えっと……?」
「つまり、劇的に弱まった神力は感知できないのです」
私は小さく「ああ」と呟いた。
なんとなく話が見えてきた。
「質問の内容に話を戻します。神の封印が施された当初、おそらく神様は並の妖と同等か、それ以下の神力しか残っていませんでした。けれど、私達が門が全て閉じたことで、消えかけていた神様の気配が屋敷に集まるようになった」
「なるほど。そのときにようやく屋敷の辺りに神様の神力が多く集まっていると気づいたんですね」
葉月さんが私の言葉に頷き、さらに続けた。
「しかし第五の門が閉じたときには、能呑みの妖はすでに門の確認のために屋敷を離れていました。だから、屋敷に潜り込んだとき、まだ警備はそこまで厳しくなかったのです」
「偶然……ではないんですよね」
たまたまというには出来すぎている話だ。
明星やアルミラージ一族のような、何者かの影なる協力があったのだろう。
そう確信して尋ねると、葉月さんはわずかに口角を上げて頷いた。
「そうですね。おそらくそれは──」
「私が屋敷から引き離したのよ」
突然、私と葉月さんの背後からよく通る声が飛んできた。
聞き覚えのある声にふたり揃って振り向くと、そこには案の定、美しい白狐の女性が立っていた。
「小春さん!」
パッと自分の顔が笑顔になるのが分かる。
そんな私に落ち着いた微笑みを返してくれる彼女は、以前会ったときよりもさらに憑き物が落ちた顔をしていた。
「やはりそうでしたか。門の確認をしに行く際、同行者として女性大臣が付き添うよう進言したのですね」
「ええ。上手く事が運んで良かったわ」
あれだけぎこちなかった姉弟間の空気も、幾分か穏やかになっている。
私はそのことを嬉しく思いながら、邪魔をしないよう一歩下がった。
「大変だったでしょう。あなたも結奈さんも。私がもっとしっかりしていれば、こんなことにはならなかったのに。本当にごめんなさい」
気品のある仕草で胸元に手を置いた小春さんは、申し訳なさそうに眉を下げた。
それは大臣に言われるがまま五芒星の門をすべて開けたことを指すのか、それとももっと昔の、一族が滅んだときのことを言っているのか。
私には判断がつかなかったが、正直どちらも彼女のせいとは言い切れないと思った。
五芒星の門を開けたのは質となっていた一族の命を守るためだったのだろうし、幼かった頃の彼女を責めるのも酷だ。
そしてそれは、弟である葉月さんも十分理解していた。
葉月さんは「あなたのせいではないでしょう」とキッパリ否定してから、打ち明け話をするみたいに、少しだけ躊躇いを含んだ声音で言った。
「荒唐無稽な話だと信じてもらえないかもしれませんが……数日前に両親と会って言葉を交わしました。おふたりは私達のことを、愛していると言っていました。私達の宝物だと」
小春さんは驚きの表情をごまかすように、わざとらしく怒った顔をした。
「……聞き捨てならないわね。ふたりが復活したこと自体は、結奈さんがいるんだから信じられるけれど。お父様とお母様に会ったって、それ、あなた死にかけているじゃない」
そういえばそうだった。
今の今まで必死過ぎて頭の隅に追いやっていたが、本当に命がけの旅だったのだ。
小春さんは「そんなさらっと報告されても、感情が忙しすぎて訳がわからないわ」と呆れたように言ってから、躊躇いがちに葉月さんを抱きしめた。
「無事で良かった」
葉月さんは僅かに目を見開いてから、すぐに頬を緩ませた。
「姉さんも」
私はこの光景がなによりも価値のあるものに思えて、葉月さんの旅に同行できて良かったと、心からそう思った。




