【幕間】月見酒
現世が秋の気配をまとい始める9月中旬。
葉月は広縁の障子を開けて、季節の移ろいが殆どない常世の風にぼんやりと当たっていた。
家族と一族を亡くして立ち去った、この広い屋敷に帰って来たのが昨日のこと。
1年前に薬師の国家試験に合格し、研修期間を終えたことを機にお世話になっていたアルミラージ一族の集落から独り立ちし、ついに明後日から薬師として働き始める。
「今日のうちに荷ほどきを済ませられてよかった。明日はこの近辺の植生を調査して、薬草の採取と下処理も終わらせないと。忙しくなるな」
生薬専門の店で入手することもできるが、なにぶんお金がない。
それに他の薬師と差別化させるには、やはり自分の手で質の良い生薬を見極め扱う方がいいだろう。
少しずつ山の環境を整えて、徐々に薬草の数も増やしていきたい。
ひとりで遣り繰りするのは大変だが、アルミラージの屋敷を出る際に族長に誓ったとおり、厄介者である自分を保護してくれた彼らに報いるべく頑張るのだ。
もちろん、神崎夫人との約束を果たすためにも。
神崎夫妻の娘を助けて無事に現世に送り返すためには、盤石な地位と不自由なく暮らせる程度の蓄えが必要だ。
そんな真面目腐った理由を並べてはいるが、結局のところ、葉月は薬師の仕事が好きだった。
知れば知るほど医薬学の世界は奥深くおもしろい。
たくさん学び、少しでも多くひとを助けられたら良い。
不意に微かな足音が鼓膜を揺らした。
キビキビとした足運びと、金属のような音がこちらに向かっている。
まだ距離があるので、葉月は訪問者を迎えるべく片付けていた座卓を引っ張りだした。
かくしてやって来たのは、葉月の義理の兄であるタウフィークだった。
知り合いの少ない自分を訪ねてくる者──それも剣を携えて軍人のような足音をしている──とくれば、だいたい予想はつくが。
陽気な笑顔とともにやって来た義兄は、まっすぐ広縁に足を向けた。
せっかく出した座卓は、どうやら必要なかったようだ。
「久しぶりだな。どうだ、ひとり暮らしは。ちゃんと食べているのか?」
「タウフィークが親戚のお兄さんみたいなことを言ってる」
「お兄さんだろ、正真正銘の。なんだよ親戚って。せめてお父さんにしろよ」
ムッと目を細める義兄を華麗にスルーし、葉月は口を開いた。
「どうだって言われても、まだひとり暮らしを始めて1日しか経っていないよ。ていうか、どうしてここに?」
「そりゃ、弟が独り立ちしたって聞いたから引っ越し祝いをしに。あと祝い損ねた誕生日会もかねて」
一足先に見習いの立場から抜け出したタウフィークは、追跡や取り調べ専門の隊である2番隊に所属している。
ちなみに昨年は敵への急襲や突入を担う1番隊に身を置いていた。
本来であれば見習いの段階でどの隊が相応しいか見極められ、自分の特性に合ったところへ振り分けられる。
しかしいずれ副族長の地位に就く族長の嫡男だけは、その全ての役職を1年ずつ経験していく決まりがあるのだ。
そんなこんなで3年前から天中辺りにある拠点とアルミラージの屋敷とを行き来していたタウフィークとは、実のところ2年くらいまともに顔を合わせていなかった。
最後にゆっくり話をしたのは、おそらく国家試験用の参考書を買いに天中へ行ったときだろう。
警備隊として出雲に勤務していたタウフィークが、ひとりで遠出してきた義弟を心配して急きょ駆けつけたのだ。
仕事の都合で帰りは再び葉月ひとりの旅路となったが、政府の手が届かない町まで付き添うことだけは頑として譲らなかった。
「わざわざ天中から? こんな夜遅くに? 明日も仕事だろうに」
「いや、半日休みもらってきた。だからほら、お泊り道具一式持ってきてる。さすがに昼前にはあっち戻るけど、朝食は一緒に食べよう。材料も持ってきたからさ」
そう言ってニッと歯を見せて笑ったタウフィークは、そっけない義弟に風呂敷包みを差し出した。
いそいそと開けてみれば、どうにもふたり分の朝食にしては多すぎる食材がたんまり入っている。
タウフィークが葉月の懐具合を察して買ってきてくれたのだと思うと、葉月は情けなさと感謝の気持ちで心がくすぐったくなった。
「ありがとう。正直とても助かる」
「ははは、いつにも増して素直だ。喜んでくれて俺も嬉しいよ」
「で、引っ越し祝いっていうのは分かるけど、祝い損ねた誕生日会ってなに?」
照れ隠しもかねて話を変えると、タウフィークは笑顔のまま小首をかしげた。
「ん? そのまんまの意味だけど?」
意味ではなく、詳細を聞きたいのだが。
今度は葉月の方がムッとして半眼になった。
「誕生日をタウフィークに教えた覚えがない」
あぁ、そのこと。
そう呟いて、義兄はさもありなんと人差し指を立てた。
「国民名簿って知ってる?」
「……職権乱用で懲戒処分かな」
国民名簿はその名の通り、国民の名前や出自など個人情報が書かれた書物だ。
磐座で厳重に管理され、読むことができるのは参議以上の者のみ。
守り屋は参議と同列に扱われているが、個人的な理由で読むことは禁じられている。
私情で見たことがバレれば、いくら族長の息子とはいえ無事ではすまないだろう。
咎める口調で「タウフィーク」と名を呼べば、義兄は悪びれもなく肩をすくめてみせた。
「お前が言わないのが悪い。被害者の身元を調査する機会があったから、丁度いいと思って民部省に月夜町の名簿も持ってきてもらったんだ。10年前のものから現行のものまで全て」
「さすがに怪しまれたでしょう。月夜町は定住しているひとが多いから、ご近所付き合いを完全に避けでもしないと、すぐに長期不在なんかは知れ渡るからね」
「ところがどっこい。被害者の居住地はなんとまさかの月夜町だったんだ。噓から出た実ってこういう時に使うんだろうな!」
鼻高々に言う義兄を、葉月は半ば呆れたように見やった。
「なんか違う気がする……」
「まあ細かいことはいいじゃないか。それよりほら、晩酌しよう。つまみもきちんと買ってきたから、付き合ってもらうぞ」
そう言ってタウフィークは風呂敷とともに持っていたカバンから、数本の酒瓶を取り出した。
葉月はそれを横目に小皿を数枚とグラスを2つ持ってくる。
タウフィークは迷わずアラックというナツメヤシの蒸留酒を開けたが、葉月は迷った末に日本酒を手にした。
「これ、天中の?」
「そう。お前の好みがわからなかったから甘口と辛口どっちも買ったけど、どうする?」
片手でもう1本の日本酒を持ち上げ、もう片方の手で器用にグラスにアラックと水を注ぐ。
無色透明だった酒が水によって白濁する様子を眺めていた葉月は、困ったように眉を下げた。
「お酒飲むの初めてだから、自分の好みなんてわからないよ」
「あれ、そうだったっけ? じゃあ、甘い方から飲むといい」
タウフィークはどこか嬉しそうにカバンの奥から小さな木箱を出した。
中にはガラス製の涼しげなお猪口が2個並んでいる。
そのうちの1つを徐に取り出した義兄は、自然な手つきで葉月の手から酒瓶を抜き取って注いだ。
「このお猪口も引っ越し祝い。大人になったって感じがしていいだろ」
「……ありがとう。でも、嬉しけど、さすがに貰いすぎだよ」
そう言って両手を挙げる葉月に、タウフィークは「俺があげたいだけだから気にするな」と笑った。
テーブルの上にはフェタチーズやナッツ、鮭とばにエイヒレなどなど、たくさんのおつまみが並んでいる。
すべての準備が整うと、ふたりは軽く酒器を持ち上げて乾杯した。
タウフィークは待ってましたとばかりにグラスに口をつけながら、大きく開いた窓から夜空を見上げた。
「おっ、さすがに良い月だ」
「ああ、だから座卓ではなく広縁のほうに。今日は十五夜だったね」
「らしいな。外務省のお役人さんが言ってた」
外務省は黄泉の国や高天原内の他政府との外交のほかに、現世の情報管理も行っている。
ゆえに現世のどこそこで戦争が始まっただの、だれそれが国のトップの座をかけて舌戦を繰り広げているだの、尋ねればポンポン出てくるらしい。
タウフィークがゆらりゆらりとグラスを揺らしながら、ご機嫌な様子で月を眺めている。
葉月はそんな義兄を一瞥してから、そっと自分の手元に視線を落とした。
そこには白銀に輝く丸いお月様が映っている。
嫌なものを見たと思った。
「まだ満月は怖いか?」
いつの間にかタウフィークの赤い瞳は葉月の方を向いていた。
「なにを藪から棒に」
「うちに来たばかりの頃は、俺たちの目を見ても怯えていたな」
葉月は顔を伏せたまま小さく息を詰まらせた。
「その節は大変ご迷惑を……」
「馬鹿、よせって。そういう話をしたかったんじゃない。そうじゃなくてさ、お前は俺たちの赤い目を怖がりつつも、けして目を逸らそうとはしなかっただろう。あからさまに怖がる素振りも見せなかったし。そういう強さが、お前にはあるんだよ」
タウフィークの言いたいことを察して、葉月はゆるく首を振った。
「だから満月も怖くないって? 恩義のあるタウフィークたちと、ただ夜空に浮かんでいる天体とじゃ全然違うよ」
「だろうな」
自信満々に励ましておきながら、随分あっさり引き下がるものだ。
とうとう話が見えなくなって、葉月はちらりと義兄の顔を盗み見た。
目が合って、赤い瞳が茶目っ気たっぷりに細められる。
「いい話をしてやろう」
「いい話?」
葉月が怪訝そうに眉をひそめつつ聞き返す。
「今年の中秋の名月はな、満月じゃないんだって。満月の一日前の月らしい。よかったな」
葉月は一瞬ぽかんとしてから、思わずといった風に顔をあげた。
見上げた先で、相も変わらずまん丸の月がこちらを見下ろしている。
きっと現世に住まう者も、同じ月を見ているのだろう。
そんな偉大なるお月様をまじまじと眺めてから、葉月は「ふはっ」と小さく吹き出した。
「ほとんど満月だよ、これ。一日前と言われても、見分けつかないなぁ」
なおもクスクスと笑う義弟を見て、タウフィークは柔らかく口角を上げた。
「さて、初めてのお酒なんだろ。長話は終わりにして、とりあえず飲もう。せっかく良い酒をいっぱい持ってきたんだから」
「弱いかもしれないよ。すぐに酔ってしまうかも」
「自分の許容量を知るのもいい勉強だ。見ていてやるよ」
改めて乾杯してから、葉月はもう一度月を見上げた。
まだ気を抜くとあのおぞましい光景を思い出して取り乱しそうになるが、それでもきちんと直視できたのは一歩前進といってよいだろう。
葉月は盃に映る白銀の天体を飲み込んで、喉が熱くなる感覚に目を瞬かせた。
タウフィークがその様をみて可笑しそうにケラケラと笑っている。
秋の夜長に促され、ふたりは優雅に月見酒を楽しんだ。
それが徐々に酒合戦へと変化し、ふたりそろって酔いつぶれてしまった話はいずれまた。
お月見団子代わりよければ(*´艸`*)




