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跡形もなく

 騒ぎを聞きつけてやって来ていた政府のうち、ぎょっとしたり顔を青ざめたりしている者が何名かいる。

 私はその何名かが、磐座省と参議に身を置くひとだと察した。

 

 不意に、ひどく狼狽している者のひとりが、どもりながらも「待ってくれ」と声をあげた。

 横長の瞳孔が特徴的なその男は、どうやら爬虫類系の妖らしく、灰色がかった肌をしていた。


「我々は命じられてやっていただけで悪意はなかった。よって我々が裁かれる必要はない。そもそも守り屋に意見を言う権利など──」


「あるよな」


 容赦なくタウフィークさんが遮った。


「役人なら当然知っているはずだ。憲法第221条『行政府がその職務を遂行できない場合に限り、守り屋の族長ならびにその代理者は臨時的に行政府の監督権を取得し、それを行使することができる』。必要ならお手持ちの法書で確認していただいてもいいが」


 熊耳の男が他の2名を見た。

 けれど、2名とも目を背けるだけで、肯定も否定もしない。

 タウフィークさんは大臣らの様子を一瞥(いちべつ)し、彼にしては珍しく冷笑を浮かべた。


「大方、そんな事態が起こるはずもないと高をくくっていたんだろう。残念だったな。アルミラージ一族の恐ろしさを思い出せていれば、こんなことにはならなかっただろうに。いや、覚えていたから俺を始末しようとしたんだったか」


 天音が僅かに頬をひきつらせた。

 組織に潜入していたタウフィークさんに毒を盛って処分するよう言ったのは大臣らだ。

 

 彼らがアルミラージ一族の副族長を始末しようと決断したのは単純に彼の存在が邪魔だったからだと思っていたが、どうやらアルミラージの力を使わせなくする意味合いもあったようだ。


 アルミラージ一族と大臣らの攻防について、どの程度ほかの政府の面々に伝わっているのだろうか。

 気になって先ほどの爬虫類の妖を伺うと、怪訝そうな顔を隠しもせずにタウフィークさんを睨んでいた。

 知らないし、どうでもいい。そんな声が聞こえてきそうな表情だ。

 

「なんの話か分からんが、とにかく我々は上からの命で動いただけであって、他者を害そうという意思は一切なかった。大臣らの思惑に気づいていれば、さすがに止めに入る」


「どうかな。というか、たらればの話をしたって仕方ないだろう。俺は今の話をしているんだ」


 さすがに分が悪いと自覚したらしい男は、その特徴的な瞳をすがめて後ろに下がった。

 タウフィークさんがその様を冷たく打ち見し、そのまま参議や磐座省の集団を見回す。

 

「ほかに異議のある者は」


 何名か口を開こうとしていたが、その度にタウフィークさんの鋭い視線が飛んできて、彼らの威勢を殺していた。

 本日何度目かの静寂が訪れる。

 少し間をおいてタウフィークさんが神様に向かった頷いた。

 

 この論争の勝者であるというのに、守り屋の副族長はけして優越感や安堵感といった正の感情を見せなかった。

 大臣らの行く末を知っているからだろう。むしろ顔が強張っている。


 一連の流れを見守っていた神様が「よかろう」と口を開いた。


「意見が出揃ったようなので、大臣3名に判決を言い渡す。参議と磐座省については後日アルミラージ一族とともに審理を行うが──」


「お、お待ちください! 本当に、長くこの国のために尽くしてきた我らを処分するおつもりですか? 我らが居なくなれば、あとに残るのは、ひとの心を知らぬ神と(まつりごと)のやり方を知らぬ妖ばかり。そうなれば、この国は本当に終わりますぞ!」

 

 熊耳の男が神様の言葉を遮り、悲鳴にも似た声をあげた。

 神様はそれに何も言い返さない。

 代わりに群衆の中からひとりの男性が前に出た。

 

「たしかに神様は我々ひととは違うのかもしれません。長く大臣の席に身を置いていたあなた方が居なくなれば、世の中が上手く回らなくなるかもしれません。しかし、そんなことは今はどうだって良いんです」


「なっ……」


 大臣3名がそろって驚愕した。

 男性は大臣らの反応に怯むことなく、しっかりとした口調で続けた。


「分かっておられないようなので申しますが、われわれ国民が切に望むことは、愛するひとたちと笑い合い、美味しいものを食べ、暖かい布団でゆっくりと眠りにつく、そんな穏やかで平和な日々を送ること。それだけなんです。だから我々は、あなた方のやったことこそ許せない。それが答えです。それがすべてです。今さら言い訳などしても遅いのだと、どうか分かってください」


 男性が話し終わった瞬間、辺りから夕立のような拍手が沸き上がった。

 そして私も、心から共感する。

 たとえ生まれた世界が違くても、望むことは同じなのだ。

 

 もう政府側はだれも声を発さない。

 もちろん事件に加担していない役人たちはみな顔をあげて事の成り行きを見守っているが、罪を犯した者はこぞって首を垂れている。

 言葉を遮られていた神様は、穏やかな表情のまま口を開いた。


「さて。発言をした者、しなかった者、ここに居る者、居ない者。私は様々な声を聞いたが、総じて大臣3名の評価は『悪』と出ている。これをもって、大臣ら三名に有罪判決を下す」


 絶望という言葉がピッタリな表情を伴って、大臣らが顔をあげる。

 他人事であるはずなのに、どうしてか心が急速にざわつきはじめる。

 

 私はバクバクとうるさい胸に手をやり、葉月さんの裾を掴んだ。

 すると、ひんやりとした大きな手が優しく私の手をすくい、安心させるように握られた。


 けれど視線はふたりとも神様と大臣らから外さなかった。

 散々苦しませてきた敵の最期を見届ける義務があると思ったからだ。

 私はギュッと葉月さんの手を握り返しつつ、まっすぐ前を見据えた。

 

「君たちは有罪となった。しかし私は、この世界の時を進めてくれた君たちに感謝もしている。なにしろ政治体制を見直す良い機会になったのだからね。長い間ご苦労であった。せめてもの恩情として、一瞬で済ませてあげよう」


 神様が慈愛のこもった眼差しとともに腕を持ち上げ、そっと大臣らに手をかざした。

 ロウソクの灯火で暖をとるようなさり気ない仕草だったが、彼らの顔色を青ざめさせるには十分だった。

 

 硬直して出しにくそうな喉を震わせ、「いやだ」と言葉を絞り出しながら、3名は這いずるように後じさる。

 けれど、すぐに彼らは民衆という名の壁によって逃げ場を失った。

 

 いや、逃げ場などもうどこにもない。そのことは人間の私にもよく分かった。

 神様の決定を覆せるひとなどこの世のどこにもいないだろう。

 

 女はぎゅっと目を瞑り、熊耳の男は茫然と神様を見つめ、天音は諦念(ていねん)の滲んだ瞳で天を仰いだ。


「神様、どうか命だけは……」


 熊耳の男が虚ろな目をしたまま呟いた。

 祈りを叶える力を持つ妖が、私を含めた多くの人間がするように祈りの言葉を吐いている。

 私は少しだけその姿に同情したが、彼らのしてきたことを思い出せば、すぐにその感情も搔き消えた。

 

 男の小さな呟きを受けて、神様がスッと目尻にシワを寄せた。

 まるで子供を諭す親のように、ひっそりと言葉が紡がれる。


「他者の命を奪うのなら、奪う側も同様の仕打ちを受ける覚悟を持つべきだ。そうは思わないかい」


 神様の言葉は大臣らに向けているように見えて、どことなく別の誰かへ向けた言葉のように聞こえた。

 もっと別の、未来ある誰かへの言葉に。

 女の妖がイヤイヤと首を振って、駄々をこねる子供のような顔で口を開いた。


「我々が『依代の力というのはどのようなものか』と尋ねたときに、止めてくださればよかったのです。我々の行いが間違いであると導いてくれたらよかったのです。行く末を知っていて見ているだけだなんて酷いではありませんか」


「私は君たちを導く者ではないからね」


 妖は神様のご加護もお導きも受けられない。

 以前、葉月さんが妖と人間の違いについて説明する際に言っていた言葉だ。

 妖は神力や妖力を持って生まれるから加護も導きも必要ないのだと。

 

 ゆえに、妖が取り返しのつかない罪を犯した場合、(ゆる)しも償いも認められることはない。

 あるのは存在の消滅のみ。

 かざされていた神様の手に柔らかな光が灯った。

 穢れなどとは無縁の真っ白な光。


「終わりにしようか。汪地(おうち)、天音、けいと。みなお還りなさい」


「あ、あ、あぁぁ……」


 堪えきれない恐怖が熊耳の男の口から漏れる。

 女の妖はすすり泣き、天音は眩い光を避けるように目を伏せた。

 

 そして次の瞬間、瞬きをする暇もなく、一瞬で3名は光の粒となって消えた。

 まるで最初から存在していなかったように、地面を濡らした涙も、並んでいた3つの影も、髪の毛一本すら残っていない。

 

 民衆は凶悪犯の消滅に安堵し、それを上回る神様への畏怖により口を閉ざした。

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