結びの儀式
茶色と黒しかなかった景色が色とりどりの花によって鮮やかに染まる様を、私は唖然と眺めていた。
目の前に立っていた神様が感情の読めない笑顔を私に向ける。
「君は現世を元に戻したいと思うかい」
優しげに問われる。
私はその言葉の意味を一瞬理解できなかった。
あやうく「あなたは違うんですか?」と尋ね返しそうになるが、すんでのところで飲み込む。
気を取り直して質問に答えようとするが、どういうわけか言葉に詰まった。
第六感が迂闊に答えるなと警鐘を鳴らしている。
(たぶん、わたし今、現世の代表として聞かれているんだ)
それを理解した途端、一気に口が重くなった。
言葉を発することがとてつもなく恐ろしくて、妙な間が生まれてしまう。
それでも何とか前を向くと、お腹に力を入れて「当たり前です」と答えた。
「あそこには友人や家族との思い出がたくさん詰まっていますから。元に戻ってほしいです」
隣で葉月さんがピクリと身動きした。
神様は私の返答に頷き、葉月さんを一瞥してから丁寧な仕草で膝を折った。
一気に神様の瞳と距離が縮まる。
「現世の復活には君の力が必要だ。協力してくれるね」
見えない力に圧迫されているような、そんな息苦しさを覚えた私は耐え切れずにコクコクと首肯した。
神様はやはり笑顔のまま私の様子を眺めている。
瞳は湖畔のごとく澄んだ輝きを有していたが、じっと見つめてくるその目を私は怖いと感じた。
「お待ちください」
芯のある声が静寂を破る。
再び神様の目が葉月さんの方を向いた。
じっと葉月さんを見すえる神様を、葉月さんもまっすぐ見つめ返す。
「もっと他に手はないのですか」
「そうだね、君の代わりに他の者をあてがうことも可能だろう。2、3名該当者がいるので、そちらでも構わないよ。要は月結びの儀式を執り行うことができれば良いのだから」
神様の言葉を受けて、葉月さんが鋭く瞳を細めた。
珍しくあからさまに苛立ちを見せる彼に驚きつつ、何の話だろうと首を傾げる。
神様はそんな私の様子を見て、ほんの少しだけ顔に表情を乗せた。
「生き残った唯一の人間が彼女だけなのだから仕方ない。彼女の意向も聞いた。この先は二人の問題だからね、しっかり話し合いなさい」
「しかし、それではあまりにも……」
淡々と話をする神様に、葉月さんが悲痛な声をあげた。
彼の途方に暮れた表情を見て、なんだか大変なことになっているのだと察する。
神様はもう一度「話し合いなさい」というと、静かに姿を消した。
「えっ、消えた!? よくわからないけど見限られた!?」
慌てる私とは反対に、葉月さんは身動きひとつせず顔を伏せていた。
地面に向けている瞳が分かりやすく揺らいでいる。
「一時的に席を外しただけでしょう。話し合いが終わったころにお戻りになられるかと」
いつもにこやかな葉月さんが無表情のまま言った。
そのせいか私の目には知らないひとのように映る。
私はワタワタと落ち着きなく動くのをやめて、葉月さんの真正面に腰を下ろした。
ようやく葉月さんが顔を上げた。
「結奈さん、は、ええと……。すみません、どこからお話ししたらよいか……」
「なにか良くないお話しがあるんですね?」
何かを言おうとして言いよどむ彼に、私は続きを促すべく相槌を打った。
あれほど過酷な旅を経験したのだから、もう何が来ても大丈夫だという自信があったのだ。
葉月さんは小さく息を吐くと、意を決した様子で口を開いた。
「神様曰く、現世を元通りにするには、常世と強固な縁を結んだ媒体が必要だそうです。その媒体を頼りに両世界の縁を繋ぎ直すことで、現世は元の状態に戻ります」
私は必死に頭の中で話をかみ砕きつつ頷いた。
分かったような、分からないような。
微妙な顔をしている私の様子を見てから、葉月さんは僅かなたどたどしさ滲ませつつ話を続けた。
「いま生存していて、なおかつ常世と最も関わりのある現世の媒体となると……」
「私、ですね」
少しだけ私と葉月さんの間にこそばゆい空気が流れた。
現世で生まれ育ち、常世の妖である葉月さんと恋仲である私は、媒体として申し分ない存在だろう。
「それじゃあ、私がその媒体になればいいんですね?」
媒体がどんな役割を担うのかイマイチ想像がつかないため、私は軽い口調で話をまとめた。
言葉にするだけならば簡単そうだが、実際はどうなのだろうか。
そう思って葉月さんを見ると、彼は辛そうな表情を浮かべていた。
「媒体になるということは、現世の生き物としての輪から外れることを意味します。結びの儀式を終えたとき、現世はきちんと崩壊する前の状態に戻るでしょうけれど、結奈さんは……」
なんとなく、葉月さんの言いたいことが分かった。
私はその推察が間違っていることを願いつつ、おそるおそる口を開いた。
「現世の人間じゃなくなっているから、元には戻れない……?」
葉月さんが小さく首肯した。
その動作がやけにスローに見えて、自分が思った以上に動揺していることを実感する。
「正確にいうと、居なかったものとして現世の状況が更新されてしまうのです。パーソナルコンピューターなるものの『下書き保存』のように」
私は二の句が継げないまま、穏やかな青い空を仰いだ。




