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再生と復活

「こんなものでしょうか」


 札に血濡れの筆を走らせていた葉月さんが、目の高さまでお札を持ち上げつつ言った。

 さながら出来上がった作品の具合を確かめる芸術家のような仕草である。

 満足げにひとつ頷くと、しっかり両手で持ち直す。


「それでは、儀式を始めます」


 静かに宣言される。

 刹那、お札が深緑の光を帯び、ピンとまっすぐになった。

 お札はそのまま葉月さんの手を離れ、転がっている男の体の真上で動きを止める。

 

 きちんと定位置についたことを確認すると、葉月さんは浮遊するお札に手をかざしながら祝詞に似た言葉を呟いた。

 言葉に反応してか、血文字がウゾウゾと蠢き始める。

 お札からはがれかけては、なにか見えない力に引き戻されている。

 

(言葉が逃げたがってる……?)


 言葉はただの概念であって、意思を持った生き物ではない。

 それなのに、「逃げたがっている」という単語がピッタリくるほど血文字は激しく暴れ、そのたびにお札に張り付いた。


 ちらりと盗み見た葉月さんの表情は厳しく、額にはわずかに汗が滲んでいる。

 念の為に回復薬を取り出すことにした。


 カゴからお目当ての小瓶を取り出し、しゃがんだまま男に視線を移す。

 蝋人形のような肌質と、あまりにも整いすぎている顔立ち。

 そんな神様の姿を目にして、しかし私は何の感情も浮かばなかった。

 

 ただ「目の前に()()」という認識だけで、有り体に言えば、めちゃくちゃ存在感がない。

 それが私のこの体に対する感想だった。

 むしろ今この場において最も存在感があるのは、どこからどう見ても葉月さんだろう。

 

(これじゃあ、どっちが神様なのか分からないな……)


 凛とした佇まいで(ことば)を紡ぐ様は、世界を創造する神様のように見えた。

 実際にそんな場面に遭遇したことはないけれど。

 

 さて、そんなことを考えつつ待つこと数十分。

 儀式がようやく終わりに差し掛かった。


 あれほど暴れまくっていた血文字がピタリと抵抗をやめ、模様のようにお札に刻まれている。

 そこでようやく葉月さんが口を閉ざした。


 浮遊していたお札が、葉月さんの手に従ってゆっくりと下降していく。

 お札は死体の心臓部分に舞い降り、水に溶けるが如く消えていった。


 リンと鈴の音が鳴った。

 リン、リンと何度も何度も繰り返される。

 まるでなにかを呼び醒まそうとしているかのようだ。


 やがて音が重なり始め、シャンシャンと神楽鈴の音になる。

 それに呼応するようにして、目の前の死体がうっすらと輝き始めた。


(肌が……)


 思わず声を上げそうになり、慌てて口元を抑えた。

 蝋人形のように黄ばんでいた肌が、人間の肌らしく赤みを帯びてきた。

 血の気のなかった唇も色を取り戻し始めている。


(この術、死者を甦らせることもできるんじゃ……)


 そんな非現実的なことを思う。

 いよいよ葉月さんが神様じみてきた。

 いや、実際になりかけていたのだろうが。


 輝きがいっそう増し、やがてパチンと音を立てそうなほど呆気なく光が消えた。

 

 死体から寝姿に変わった男が、唐突に、本当に唐突に目を開ける。

 オーロラ色という表現が近いだろうか。不思議な瞳の色をしていた。

 存在している色すべてを混ぜ合わせたような、そんな美しい瞳がまっすぐ空を見上げている。


「……ほう」


 高くもなく低くもない、男性なのか女性なのか分からない声がぼんやりと言った。

 感情は読み取れない。というより、よく分からない。

 

 葉月さんが居住まいを正して静かに座礼する。

 私も慌てて膝を折り、頭を下げる。

 地面を見つめていた目の端で、神様がゆっくりと起き上がるのを捉える。


 人間と寸分変わらない2本の足が、私と葉月さんの真正面に立った。


「お顔をお上げなさい」


 柔らかく声をかけられて、私は恐る恐る顔を上げた。

 この世のものとは思えないほど美しい瞳と視線が交わる。

 神様は優しげに目を細めてから、ゆっくりとした動作で顔を横に向けた。


「君もだよ、葉月」


 葉月さんは「はい」と答えるとようやっと顔を上げた。

 視線を下げたまま、慎重に口を開く。


「無事のご帰還、この上なく喜ばしい限りでございます」


 作法に詳しくない私はひたすらオロオロしていた。

 おそらく色々と無礼を働いただろうが、神様はとくに気にしたふうもなく口を開く。


「上手くいくようならば任せようと思ったが、君が呼び戻したということは、やはりまだ早かったようだね。大臣らはいかがした」


 神様の言葉を受けて、葉月さんが少しだけ瞳を泳がせた。

 短い黙考ののち、彼は「御霊の御心のままに」と答えた。


「そうか」


 短く呟く神様の表情には、裏切られた悲しみや怒りが一切見えない。

 神様はひたすら笑顔を浮かべていた。

 反対に、葉月さんはずっと厳しい面持ちで顔を伏せている。

 神様の言葉が途切れたことを確認してから、葉月さんが再び口を開いた。


此度(こたび)の大臣による数々の非礼、同じ妖の身として、深くお詫び申し上げます。すべては卑しき欲に溺れた常世の者たちによる所業。罪なき現世の再興に際し、貴方様の崇高なる力をお貸しくださいますよう、謹んでお願い申し上げます」


 もう一度、葉月さんが頭を下げた。

 現世の住民である私も深々と座礼する。

 神様は起伏のない笑顔を浮かべて頷いた。


「分かっている。しかし、大臣らの行いは罪であったか」


 問うているように聞こえたが、葉月さんは答えなかった。

 無言を貫く彼を前にして、神様は「そうか」と頷いた。

 

 きわめて無に近い沈黙が流れる。

 やがて、神様が私の方を向いた。


「人間にこの空間は毒だろう。私の一言が君の存在を消しかねない。しかし、君は当事者となるのだから、聞いてもらわねばいけないよ」

 

「と、おっしゃいますと」


 今まで慎重に言葉を返していた葉月さんが間髪入れずに問うた。

 神様は微笑みを浮かべたまま、ゆっくりと葉月さんの方に向き直る。


「人間は祈る力を、妖は叶える力を持っている。陽と陰がひとつになれば現世は復活させられる。そういう話だ」


 葉月さんは怪訝そうに眉をひそめたが、すぐにその言葉の真意に気づいたらしく瞳を揺らした。


「それは、できかねます」


「なぜ」


 尋ねられ、葉月さんは小さく首を振った。


「できかねます」


 それ以上なにも言わない葉月さんに業を煮やしたのか、神様は笑みを崩さないまま背筋を伸ばした。


「なるほど、彼女に尋ねた方が早そうだ」


「なっ……!」


 下を向いていた葉月さんが、慌てて顔を上げた。

 なにか言おうと口を開く。

 それと同時に、神様が何かを追い立てるように2度ほど手を叩いた。


 刹那、辺りが昼間のように明るくなった。

 驚いて空を仰ぐと、先程の墨をこぼしたような黒い空が一転、晴れやかな青空に変わっている。

 

 剥き出しだった茶色い土が美しいお花畑に変わり、淀んでいた空気も澄んでいる。

 それは紛れもなく、神の御業であった。

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