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死体(仮)

 ざっざと砂の擦れる音を聞きながら、私は葉月さんの隣を歩いていた。

 墨を零したように真っ黒な空はもはや曇天とは言いがたく、この世の終わりのような様相でのっぺりと頭上に広がっている。

 どこまでも続く世界を前に、早くも私は疲弊していた。


 一歩踏み出すごとに体がずしんと重くなる。

 見えない蜘蛛の糸が張り巡らされていて、前に進むたびにまとわりつき、糸から鎖に変わっていくような。

 なにかに雁字搦(がんじがら)めにされている気分だ。

 

 心なしか呼吸も徐々にしづらくなってきているような気がする。

 人間にとって良くない場所だとは聞いていたが、まさかここまでとは思わなかった。

 

(どうしよう。ちょっと休みたいな。葉月さんに言う? でも、ただでさえ私のために急いでくれているのに、休みたいなんて言えないよ……)


 もう少し頑張ろうという結論に達するも、自然と頭が下がり、茶色い地面で視界がいっぱいになる。

 気道が狭まったせいで余計に苦しくなるけれど、気にする余裕はなかった。

 

 もう休憩をためらう段階はとっくに過ぎていると、傍から見たらわかるだろう。

 それなのに、どうしてか「まだいける」と思ってしまった。

 ぐらりと視界が揺れる。


「あれ……?」


 急激に近づく地面と変な浮遊感で、自分が倒れかけていることに気が付いた。

 まだ大丈夫だと思ったのに。

 空いている方の手がピクリと反応するも、倒れる準備をする力が湧かない。

 

「結奈さん!」


 濁り始めた意識に、葉月さんの焦りの滲んだ声が割り込んできた。

 ぐいっと右手が強く引かれ、温かい腕に抱き寄せられる。

 強張っていた体からゆっくりと力が抜けるのを感じつつ、私は数回瞬きした。


「結奈さん。結奈さん、聞こえますか?」


「え、あ……あ、はい」

 

 しどろもどろになりながらも答えると、腕の主が長く息を吐いた。

 しゃがむよう促されて、ゆっくりと膝を折る。

 しばらくそのままでいたが、自分のこと以外に気が回るようになるまで回復すると、私はもぞもぞと体を反転させて葉月さんの顔を見上げた。


「ごめんなさい。急いでいるのに」


 予想よりも力のない声が出た。

 自分のあまりの不甲斐なさに泣きたくなる。

 けれど、そんな私よりもよっぽど葉月さんの方がつらそうな顔をしていた。


「結奈さんが謝ることではありません。謝らなければならないのは私のほうです。倒れるまで気づかないなんて、私は薬師としても恋びととしても失格です。本当に申し訳ありません」


 心の底から申し訳なさそうに言う葉月さんに首を振って、私は疲労の残る体を起こした。

 肩を支えられながら立ち上がり、もう歩けることを確認する。

 ひとつ頷いて、私は隣に立つ葉月さんに笑いかけた。


「私が神様探しに集中してほしいと言ったので。師匠で恋びとな葉月さんは何も悪くないです」


 むしろ瘦せ我慢して余計な手間をかけさせた自分の方が悪い。

 そう言い切ると、葉月さんも自分が悪いと首を横に振る。

 なんだか前にも同じようなやり取りをしたなぁと思ったとき。

 

 ふと葉月さんが顔を上げた。

 三角の耳をしきりに動かして、注意深く辺りを探っている。

 あまりに真剣な表情をしているので、私は思わず口を閉ざした。


「結奈さん、場所が分かったかもしれません」

 

 しばらくして葉月さんが一点を見つめながら言った。

 彼の視線を追って目を凝らすけれど、私の目には変わらずの茶色い地面しか入らない。

 何か言おうと口を開くが、引き寄せられるように歩き出す葉月さんにつられて、私も急ぎ後を追う。

 

 お互い黙ったまま歩くこと数分。

 突然ピタリと立ち止まった葉月さんが、ためらいがちに一歩を踏み出した。

 刹那、今まで時間が止まったと錯覚するほど凪いでいた空間が激しく揺れた。


 土煙が舞い、竜巻になり、私と葉月さんの体に襲いかかる。

 その光景は何かを守っているようにも、私たちを拒絶しているようにも見える。

 さっと私の前に立った葉月さんが、懐からお札を取り出した。

 その長方形の紙がこちらに向けられると同時にじんわりと体が温かくなり、なにかの術をかけてもらったのだと気づく。

 

「簡単な護符なので、どこまで効果があるか分かりませんが、無いよりは良いでしょう。とりあえず進みましょうか」


 どうやら襲いかかってくる砂や風から身を守るためのものだったらしい。

 たしかに、ビシビシと当たって痛かった砂塵(さじん)が気にならなくなっている。

 私はお礼とともに頷いて、差し出された彼の手をとった。

 

 一寸先も見えないほどの砂煙の中を、私と葉月さんは踏みしめるようにして歩いた。

 いくら護符で守られているとはいえ、強風が体に与える圧力までは防げないらしい。

 時おり足を取られそうになる。


 それでもなんとか竜巻の中心部までたどり着いた。

 台風の目と同様、そこはひっそりと静まり返っている。

 一息ついて顔を上げた私は、目にした光景によって風音と砂どうしのぶつかる音が一瞬にして遠のくのを感じた。


「だ、誰……?」


 そこには一体の男の体が"落ちていた"。

 コロンと上向きになって転がっている。

 倒れたと形容するには、あまりにも綺麗な姿勢で、その男は地面に横になっていた。


 私はさらによく見ようと、葉月さんの背中から顔を出して目を細めた。

 白い狩衣のようなものを羽織り、同じように真っ白な指貫をはいた、白髪の男。

 全身真っ白なその男の胸は、何度見ても不動のままだ。

 

「し、死んで……」


 後ずさる私と反対に死体(仮)へ駆け寄った葉月さんは、険しい表情のまま傍らに膝をついた。

 

「神様に生死の概念はない。あの術ならばあるいは……」


 頭の中を整理しているのか、葉月さんはブツブツと呟きながら懐から新たなお札を手にした。

 次に私に背負かごを下ろさせ、その中から水筒と手ぬぐい、懐刀を取り出す。


 それから自分の背負かごを漁り、いつもの硯箱と調薬の際に使う大きめのすり鉢を地面に置いた。

 何をしようとしているのか尋ねられる雰囲気ではなかったので、私は大人しく一連の流れを見守る。

 けれど、水を注いだすり鉢の上で、抜いた懐刀を消毒して自身の右手に刃先を向けたところで流石にギョッとした。


「は、葉月さん……?」

 

 黙っていようと思っていたのに、つい戸惑いが口から出てしまう。

 慌てて口を抑えるが、葉月さんは大して気にした様子もなく口を開いた。

 

「簡易的ではありますが、これから再生の儀式を行います。本来は紙全体を術者の血で染めて、さらにそこに血文字の札を描くのですが、さすがに危険なので水で薄めてごまかそうかと。これでなんとか成功してくれたら良いのですが……」


「な、なんですか、そのめちゃくちゃ不穏な儀式は!」


 言いながら彼の手の上から懐刀の柄を掴む。

 私もつい最近この懐刀を自分に向けたことがあるが、その時よりもよほど刃先が鋭く見えた。

 絶対に痛い。怖い。


「もっと他に方法はないんですか? たとえば……ええと……耳元で賛美歌を熱唱するとか!?」


「それはずいぶんとまた突飛な……」


 葉月さんはそう言ってしばらく可笑しそうに笑っていたが、表情を改めると空いている方の手をそっと私の手に添えた。


「世界を救済するための代償と考えたら大したことありませんよ。むしろ少ないくらいで」


 私はグッと喉を鳴らした。

 悔しいけれど、その言葉に共感してしまった。

 たしかに、儀式を行うのが自分だったとしたら、同じような感想を抱くだろう。


「それは、そうですけど……。私の血ではダメなんですか?」


「駄目です。術者だけという決まりですし、なにより私が許しません」


 きっぱりと断りながら、葉月さんが私の手をギュッと握った。

 予想外の動きに驚いて力を緩めてしまった自分の手が、葉月さんの左手から離される。

 私はギラリと光る切っ先を一瞥してから「分かりました」と口の中で呟いた。


「せめて素早く処置ができるように準備しておきます。うう、ご武運を……」


「大げさですよ、結奈さん。大丈夫ですって」


 苦笑する恋びとに悲痛な視線を送りつつ、私は急いで薬箱を探った。

 ためらいも遠慮もなく自身の手を傷つけた葉月さんが、その鮮血を水の中に落とす。

 水がまんべんなくピンク色に染まると、今度は硯の墨地に血を溜め始めた。

 正直、見ているこっちが倒れそうだ。


(だめだ、血が苦手な私には刺激が強すぎる……)


 処置をする側が倒れるわけにもいかないので、私はそっと目を伏せた。

 少しして衣の擦れる音に顔をあげると、ちょうど終わったところだったので、急いで処置を始めた。


 葉月さんは私の方に右手を向けながら、平気な顔をして血濡れのお札を作っている。

 血濡れのお札とか、一体どこのホラー映画だ。

 私は遠い目をしながら、たぶん死体な男性に視線を移した。


 男性と言っても、胸が平坦で骨格が角ばっていることから判断しただけで、外見は限りなく女性に近い。

 とにかく美しい風貌をしており、若いようでいて成熟した雰囲気を醸し出している。

 そんな不思議な存在の傍で、私は葉月さんのお札づくりを眺めていた。

おそらくあと8話で完結です!

最近忙しくなってきて更新速度が遅めですが、最後まで書き切りますので、お付き合いのほどよろしくお願いいたします(⁎ᴗ͈ˬᴗ͈⁎)

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