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花と土

 私は常世に来てから数々のファンタジーを目にしてきた。

 けれど、そのどれもが霞んで見えるほど、目の前の光景は幻想的で美しかった。


 ガラス戸を越えてすぐに一面の花畑が広がり、どこまでも続く青空によく映えている。

 所々に立つ木には林檎ほどの大きさの実がたわわに実り、小鳥たちがさえずる合間につついていた。


 咲き誇る花々が美しいことは言うまでもないが、舞い散る花弁が天に昇っていく様は、まさにファンタジーな光景であった。


 気温があまりにも暖かいので、私は着ていたケープコートを脱いで腕にかけた。

 同じようにローブを脱いだ葉月さんが、不意に口を開いた。


「まさか卯槌さんと再会するとは思いませんでした。縁は()なものと言いますが、こういうご縁もあるのですね」


「そうですね……」


 しみじみと言う葉月さんの隣で、私は青空に昇っていく色とりどりの花びらを眺めつつ答えた。

 明らかに吹く風とは違う流れで舞っている花びらにつられて、ついついはしゃぎそうになる。

 この妙な高揚感はなんだろうか。


「……結奈さん、難しいとは思いますが吞まれないように気を付けてくださいね」

 

 私の手を取りながら葉月さんが静かに言った。

 どこかに繋ぎとめるような握り方に驚いて、私は思わず葉月さんを見上げた。

 パチリと金の瞳と視線が交わる。

 すると、心が穏やかになるのが分かった。

 

「いまの、一体……」


「黄泉比良坂が妖力と神力のせめぎ合う不安定な場所だったことは覚えていますか?」


「あ、はい。覚えています」


 私はあの真っ暗な空間を思い出して身震いした。

 どこまでも続く土の道に不安を感じ、同じようなことを葉月さんに言われた。呑まれぬように、と。


「ここもそうなんですか?」


 それにしては、湧く感情が違いすぎる。

 そう思いながら尋ねる私に、葉月さんが慎重に口を開いた。


「説明が難しいのですが……そうですね、似たようなものです。人間にはあまり良くない環境でしょう」


 だから、と葉月さんは繋いでいた手の力を強めた。


「少し急ぎましょうか」


 葉月さんの言葉に同意しつつ、私も強く握り返す。

 さんさんと降り注ぐ太陽の光が眩しいのか、手を引いて前を歩く葉月さんが右手で目を覆った。

 それを見てふと思い出す。

 天岩戸と言われていたこの空間は、たしか太陽の神様がお隠れになった場所ではないだろうかと。


(でもって、天岩戸ってたしか洞窟だったよね。神話によると)


 高校生のころに古典の授業で学んだ『古事記』には、たしかそう書いてあった。

 もしかすると、この世界は本物ではないのかもしれない。

 頬を撫でる柔らかな風も、それに乗ってくる甘い花の香りも、すべて本物のようだけれど。

 

 さわさわと揺れる花々や楽しげに歌う小鳥たちの作る空気があまりにも心地よくて、まるで春の温かな微睡(まどろ)みの中で見る夢のようだ。

 ずっとここにいたい。そしてこの世界と一つになれたら、どんなに素晴らしいか。

 そう思ってから、私はハッと我に返った。

 

(やだ、また私ぼんやりしてた。葉月さんのいう『呑まれる』は多分これのことだよね。気をつけなくちゃ)


 ブンブンと頭を振って、周囲を見渡す葉月さんを見つめる。

 どうやら私が吞み込まれかけていたことに気づかなかったらしい。

 そのことにホッとして、私はなんでもないように装いながら足を動かした。


(気づかれなくてよかった。余計な心配をかけないようにしないと)


 気合を入れ直した私は、本来の目的である神様探しを始めることにした。

 とはいっても、なんの力も持たない人間の自分にできることは少ない。

 せいぜい目視できる範囲内で葉月さんの死角を補う程度だ。


 歩いて、歩いて、歩いて。ふと後ろを振り返り、私は眉をひそめた。

 かなり遠くに小さな古民家が見える。

 あれは先ほどまで私たちが居たガラス戸の建物だが、いつの間にか指でつまめそうなほど小さくなっている。

 結構な距離を歩いたと思ってはいたが、こんなに遠くまで来ていたとは。


「どうですか、葉月さん。見つかりそうですか?」


 そう問いかける私に、葉月さんが困ったように「いいえ」と答えた。


「そこかしこに気配があって。もう少し時間がかかりそうです。すみません」


「全然大丈夫です! この環境に慣れたのか、さっきよりも変な感じになる頻度が減ったので。こっちは平気なので気にしないでください」


 葉月さんはその言葉に頷くとまた神様探しに戻った。

 辺りは相変わらずのお花畑で、上を見上げると晴れやかな青空が広がっている。

 ずいぶんと歩いているが誰ともすれ違っていない。

 まるで私たちのために作られた世界のようだ、なんて言ったら葉月さんはどう返すだろうか。


 神様探しに集中している恋びとに声をかけるのが(はばか)られて、私はじっと黙ったまま歩き続けた。

 それからまた少し経った頃、慎重に歩を進めていた葉月さんの歩みが止まった。

 それと同時に、私もピタリと止まって立ちつくす。


「えっ、なにこれ」


 思わずつぶやいた私の声を乾いた風がさらっていく。

 目の前には荒れてひび割れた地面と、ズンとつられて気分が落ち込みそうな曇天が広がっていた。

 二の句が継げぬまま、私は自分の足元に目をやった。


(ここまではお花が咲いているのに、なんで……)


 ここから先は危険だとばかりに、次の一歩目からは一本も花が咲いていない。

 優しい花の香りから一転、吹く風には土の匂いがべったりとこびりついていた。

 その景色を険しい面持ちで見据えていた葉月さんが、ポツンと呟いた。


「境界」


「……え?」


(じょう)()の間には、当然ですが境界が存在します。朝と夜の間には逢魔が時が。神域と俗界の間には鳥居が」


 静かな声で話す葉月さんは、言葉を紡ぎながらも荒野から目を離さない。

 私は一度だけ葉月さんの方を見てから、彼の視線を辿るように前を向いた。


「ここも境界の一種ってことですか」


 師匠の言葉を繋ぐように言う。

 言いながら、私は無意識のうちに腕をさすった。

 ただの風景なのに、鳥肌が止まらない。

 本能が、この先は良くないところなのだと告げている。


「この先に神様がいます。間違いなく」


 確信を持った口調とともに、繋いでいた葉月さんの手に力がこもった。

 どうやらこの恐ろしい荒野に向かうことは決定しているらしい。

 一瞬、ほんの少しだけ、私はその先に行くことをためらった。

 けれど葉月さんをひとりで行かせるのも嫌で、次の瞬間には迷いなく一歩を踏み出した。

こういう有り得ない光景を見たときって、なんかぞわっとするのよね。

私はとくに自然界の"ありえない"が苦手です(笑)


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