寝鳥をつつく
確実に近づいてくる足音。そして揺れる提灯の明かりによって伸び縮みする建物の影。
焦りのあまり冷や汗を滲ませながら、私は助けを求めるように師匠を仰ぎ見た。
もはや万策尽きたとしか言いようのない状況である。
あとは目隠しの術や変化の術でどうにかするしかない。
まさに神頼みの心地で様子を伺っていると、何やら考え込んでいた葉月さんがふっと短く息を吐いて、決意のこもった眼差しとともに前を向いた。
ちらりと金の瞳がこちらを一瞥する。
彼の視線は私の目から戸を支えている腕に移り、やがてペタリと木板に張り付いている両の手にたどり着た。
(手?……がどうしたんだろう)
そう首を傾げようとした刹那。押し上げていた戸が真っ赤に燃え盛った。
それも、見事に私と葉月さんの手を避けて。
「うぉあぶね!」
様子を見に来た守衛が素っ頓狂な声をあげた。
あやうく同じようなことを叫びそうになった私は、不本意に思いつつも心の中で同意した。
「結奈さん、手を離して大丈夫です。騒ぎになる前に、あの屏風に隠れましょう」
小声でそう言われ、私は大きく頷いた。
口元だけで「せーの」とタイミングを計り、一斉に手を引っ込める。
そしてガタンと大きく音を立てて閉じる蔀戸に背を向け、私たちは部屋の奥にあった屏風の裏に体を滑り込ませた。
音を立てて燃えている炎は、じわりじわりとその範囲を広げていっている。
まさか本当に火をつけたのかと思ったが、煙が立っていないので、おそらく戸が燃えているわけではないのだろう。
外からはがなり立てるような鋭い声が飛び交っている。
それに反対側の守衛が返事をし、バタバタと乱暴な足音が数人分聞こえてきた。
水だの室内だの、断片的な単語が耳に入ってくる。
(葉月さんはこの後どうするつもりなんだろう。なにか考えがあっての行動だとは思うけど……)
しかし、まだ目的地までは距離がある。
ここで騒ぎを起こして、もし侵入者がいるとバレてしまったら、私たちはさらに動きにくくなってしまう。
ぐるぐる考えを巡らせては焦りを募らせていた私は、答えを求めて口を開いた。
「あの、葉月さ――」
けれど声を発しかけた私は、すぐさま葉月さんの手によって止められてしまった。
彼が人差し指を唇に押し当てて首を横に振ったと同時に、すぐ近くの戸が荒々しく開けられる。
「まったく、なんなんだ今日は。昼間は民衆が示威運動で大騒ぎ。夕方は守り屋からやたら見張りの交代を求められ、やっと静かになったと思ったら今度は真夜中のボヤ騒ぎ。勘弁してくれ」
ズンズンと室内に入ってきたのは、東対のほかの角を見張っていたと思われる守衛たちだった。
壁と屏風の間に身を潜めている私たちの、ちょうど死角となる位置にいる3名の見張りは、燃え盛る壁に1度沈黙した。
「……なあ、今日の騒動、すべて同一犯の仕業ってことないよな? 大臣や磐座省の動きが活発になっていたのも気になるな」
「知るか。秘密主義の大臣どもが何をしていようがどうでもいい。それより問題なのは、この一連の騒動の責任を誰がとらされるかだ」
「おい、外のヤツら消火の準備が整ったってよ。俺らもかかるぞ」
ようやっと面倒くさそうに守衛が動き始める。
屏風を隔てたすぐそばで、衣の擦れる音がした。
握っていた葉月さんの手をぎゅっと握りしめると、宥めるように柔らかく握り返してくれた。
「結奈さん。守衛の姿が屏風から見えたら、目隠しの術を使います。術は3分で解けるので、それまでに彼らの入ってきたあの戸を通り、正殿の中に入ります」
術を通して伝わってくる師匠の指示にうんうんと相槌を打ちながらも、ついつい視線が屏風の脇に向いてしまう。
屏風の左側は壁によって塞がれているが、右側、つまり燃えている戸の見える側は何もない。
彼らがあの火柱の立っている戸に近づくということは、振り返れば私たちの姿が思いきり見えてしまうのだ。
「可能であれば北対まで行きたいところですが、無理はしません。……準備を」
「はいっ」
私が返事をするのとほぼ同時に、屏風の端から守衛の姿が見えた。
彼らの視線は戸を向いたまま外れないが、バレるのは時間の問題だろう。
「かけます」
葉月さんが短く言葉を放ち、手早く術をかける。
完全に姿が隠れたことを確認してから、私たちはすっくと立ち上がり、堂々と屏風の裏から出た。
ぐるりと回り込んで出入口に向かう。
そうして全開になった戸を目にして、私は改めて師匠の頭脳明晰さに感嘆した。
第一に、消火に使う水は、この近くなら東北対のそばの湯殿と、北対のそばの台盤所からバケツリレーするのが早い。
よって東対だけでなく、北対の見張りも駆り出されることになる。
第二に、外と内の両側から効率よく消火するとして、燃えている室内に入るなら換気は絶対。
当然、出入口は開けたままにするだろう。
その結果、見張りが減り、なおかつ重い戸の開け閉めをする手間も無くなった。
(いきなり火をつけるからビックリしたけど、あの一瞬でそこまで考えていたんだ。さすが葉月さん)
私の手を引いて先導してくれている葉月さんの後ろ姿が、よりいっそう頼もしく見える。
「正殿の守衛もいなくなっているようですね」
早足で暗い透渡殿を渡りながら、葉月さんが言った。
先程の炎で視界がリセットされた私は、ただひたすら足を動かすことに徹する。
慎重にかつ急いで進むことわずか数秒。
私たちは無事に正殿にたどり着いた。




