東対
「……どうします?」
「軽く火でも付けましょうか。今なら神力使い放題ですよ。狐火ならば建物を燃やすことなくボヤ騒動を起こせます」
師匠は物騒なことを呟きながら、東対に進むための渡殿をまっすぐ見つめていた。
渡殿の両端には見張りが立っており、どちらも提灯を足元に置いている。
「夜目が効かない妖ということは、音に敏感な可能性が高いです。ここは術玉と変化の術で対応します」
考えがまとまったらしい葉月さんが、空いている右手を軽く動かして術玉の狐を出した。
「はわっ!」
思わず声を上げそうになり、口元を抑える。
それでも術を伝って響いてしまったらしく、葉月さんがイタズラの成功した子供のように無邪気な笑みを浮かべた。
「狐は好きですか?」
「めちゃくちゃ好きです!」
私の答えに満足そうに笑ってから、彼は思案げに術玉を眺めた。
「さて、このままでは目立ってしまいますし、何の動物に変化させましょうか」
私は狐の首周りの飾り毛、犬でいう"エプロン"
の部分をもふもふしつつ唸った。
「悩ましいですね。犬か猫か、それともうさぎか……」
「そうですね。敷地内にいても自然な動物というと猫でしょうか。あとは……ネズミ?」
「チンチラはどうでしょう!!」
ぐっと顔を寄せて問うと、葉月さんが躊躇いがちに腰をかがめ、ゆっくり片手を持ち上げた。
なにかを迷う素振りを見せたあと、彼は振り切るように頭を振って姿勢を正した。
「小回りが効きそうでいいですね。そうします」
「は、はいっ!」
にっこりと微笑む葉月さんに、私も笑顔を返す。
そうしながら、そっと騒がしい心臓に手を置いた。
(びっくりした。キスされるかと思った……)
恋仲になってから、何度かそういう雰囲気になる瞬間があった。
しかし、生きるか死ぬかの旅の最中、なかなかそんな余裕は無い。
(そう、今はそれどころじゃない。集中しないと。集中……しゅうちゅう……ちゅう?)
「葉月さん、急ぎましょう!」
目に力を入れて呼びかけると、葉月さんも「そうですね」と力強く答えた。
色恋にうつつを抜かして作戦失敗しました、では笑えない。
気を引き締めた葉月さんが、懐から変化の術のお札を取り出す。
そのまま軽く術玉にかざすと、みるみるうちに狐は小さくなり、チンチラに姿を変えた。
「あぁぁ、可愛いっ! なにこの大きな目! 愛らしいお口! ふわっふわの白い毛!」
あまりの可愛さに打ち震えている私の横で、葉月さんが頬を緩ませながら首を傾げた。
「問題は、どうやって両方の守衛を同時にあそこから引き離すか、ですね。なにか大きな物音を立てられる場所はないかな」
「そうですね。うーん……むむむ………ん? あ、あの、葉月さん。私、思ったんですけど……」
ふたり揃って唸っていたところ、ついつい楽な方に考えがちの私の脳が気づいてしまった。
「なんですか?」
「えっと、敷地内にいても自然な、それでいて守衛がふたりとも見張りの場を離れるくらい衝撃的なものとなると、危険な生き物の方がいいんじゃないかなぁと」
「危険な生き物。なるほど、やってみます」
葉月さんはひとつ頷くと、あっという間に術玉の姿を変えた。
長くて艶やかで、狡猾そうな瞳と長い舌。
そして聞くだけで逃げ出したくなる鋭い威嚇音。
「マムシにしてみました。どうでしょう」
「ひえぇ」
動物好きの私も、これには声なき悲鳴を上げた。
別にパニックになるほど苦手という訳ではないが、なるべくお会いしたくはない生き物だ。
「皮は反鼻という生薬になり、滋養強壮や化膿性の腫れ物、切り傷に使われます」
言いながら、葉月さんがマムシもどきを撫でた。
マムシは「シャー」と形だけの威嚇音を発して、気持ちよさそうに目を細めている。
よかった。中身はまんま狐だ。
「漢方薬って、けっこう中身えげつないですよね。牛の胆石とか、熊の胆のうとか」
「牛黄は手に入ったらとりあえず拝みます。非常に貴重なものなので」
「たしか1000頭に1頭の割合でしたっけ。めちゃくちゃ高そうですね」
そんなことを呑気に話している術者たちを尻目に、マムシもどきはするりと襖を抜け、渡殿の下にその身を滑り込んだ。
あっという間に暗闇に溶け込んだそれを見送って、待つこと数分。
離れたところから微かにあの威嚇音が聞こえてきた。
「おい、聞こえたか」
守衛のひとりが、渡殿の先にいるもうひとりの守衛に言う。
問われた守衛がそれに答え、やがてふたりはソワソワと辺りを見回し始めた。
「どっちだ?」
「垣根のそばじゃないか? 敷地内にいるなら、見て確認した方がいいな」
「ああ。俺が行ってくる。見張り頼んだぞ」
「おう。気をつけろよ」
短いやり取りを終え、東対の方の守衛が場を離れたる。
それから間もなくして、守衛が慌てた様子で戻ってきた。
「お、おい! なんかヤバそうな蛇がいるぞ!」
「蛇だと! 毒があったらまずい。応援を呼ぶか?」
「いや、やめておこう。昼間の騒動のせいで上が苛立っている。蛇ごときでって怒られるかもしれんぞ」
しばらく応援を呼ぶか否か揉めていたが、ようやく決心が着いたらしいふたりは、上ずった声で話しながら、垣根の方へと去っていった。
「結奈さん、今のうちです。行きますよ」
「はい!」
私たちは音を立てないよう気をつけながら、そっと廊下に出た。
シンと静まり返った廊下は、少しの床の軋みですら音を響かせてしまう。
歩く度にヒヤヒヤさせられ、そのせいでほんの数メートルの道のりが果てしなく遠いように感じた。
(それに守衛はゲームのNPCとは違うから、絶対に移動中に遭遇しないとは言いきれないんだよね。あーもどかしい。堂々と歩きたい……)
うずうずしながらも慎重に足を運ぶ私の横で、葉月さんがフードに覆われた三角耳を忙しなく動かしている。
ふと、その耳がピンと立った。
まるで耳に支配されたように、彼の体もピタリと動きを止める。
「結奈さん、急ぎましょう。術玉が追い込まれました」
「えっ! それ大丈夫ですか? 術だってバレたら色々と拙いんじゃ……」
ギョッとして顔をあげると、わずかに焦りを滲ませた瞳と目が合った。
「ええ。ですので、敷地の外に出して術を消します。それを見届けた守衛たちは、きっと直ぐに戻ってくるでしょう。渡殿はもう渡り切りますが、母屋に入る時間も必要です。ギリギリになるかもしれません」
硬い表情のまま言う葉月さんに、私はゴクリと喉を鳴らした。
一気に緊張感が増す。
私たちはほとんど早足で渡殿を渡り切ると、素早く蔀戸の前に立った。
「……術玉を消しました。結奈さん、先ほどと同じ手順でいきましょう」
それだけ伝えると、葉月さんは私の返事を聞く前に手を離して、あの重い戸に手をかけた。
私も東北対のときと同様に反対側の戸を持ち上げる。
ひとり分の隙間ができると、今度はためらうことなく着物の裾を手繰って室内に入った。
無事に東対の母屋に入り込み、服の乱れも整えずに戸を抑える。
そのとき、微かにひとの声が聞こえてきた。
「いやぁ、なんだって蛇なんかが入り込んだんだ。神様の守護が効いていないのか?」
「そりゃそうだろう。現状を思えば当然の事態だ。むしろ順調に事が進んでいると実感できて嬉しいねぇ」
「言えてるな」
東北対の奥からだ。
ぼんやりと提灯の明かりも見える。
(どうしよう、もう戻ってくる!)
途端に焦りが込み上げてきた。
葉月さんも焦りを隠しきれない様子で戸をくぐる。
刹那、押し上げた戸がギギギと音を立てた。
「おい、また何か聞こえたぞ」
「俺も聞こえた。東対の方だな。行くぞ」
守衛の歩調が早くなったのが分かった。
戸の開いた隙間から、提灯の明かりが左右に揺れているのが見える。
「戸の上部が開いてるぞ!」
あと一歩なのに。
そんな言葉が脳裏に浮かんだ。
私も葉月さんも、すでに室内に入っている。
あとは戸を閉じるだけなのに。
(いま動かしたら侵入者が居るって確実にバレる。でも、このままじゃ様子を見に来た守衛に見られる。どうすればいいの!?)
頭が真っ白になっていく中、提灯の明かりが次第に強くなっていく。
なにか、なにか手はないのか。
焦燥と恐怖で凝り固まった頭では、そんな言葉しか出てこなかった。




