役割
葉月さんが祝詞に似た言葉を紡ぐと、それに呼応するように、貼られた札が次々と光を帯びていった。
やがて門全体が松葉色に染まり、柔らかな風とともに門の破片がくるくると舞う。
ふと、幻術の外を警戒していたタウフィークさんから小さく息を呑む気配がした。
当然の反応だろう。大小様々な瓦礫が門に吸い込まれていく様は、一糸乱れず泳ぐ魚群のように美しく迫力があった。
(畏れ……に、近いのかな。でも心配と寂しさもありそう。それから勿論、この情景への感動も)
とにかく、一言では表しきれないほど多くの感情が、タウフィークさんの顔には浮かんでいる。
その全てを察することは出来ないが、私は彼の浮かべた表情に強い共感を覚えた。
(素直に凄い光景だって思えたら良かったけど、そのために莫大な量の神力を消費していると思うとハラハラするし、こういう神様っぽいところを見ると、やっぱり遠い存在なんだって実感しちゃうんだよね)
必ずしもタウフィークさんがそう思っているとは限らないが、少なくとも私はそう感じていた。
そうこうしてるうちに門が直り、ゆっくりと光と風が消えていく。
儀式そ終わりを悟って回復薬を手渡すために駆け寄った私は、門前で唖然と自分の手を眺めている葉月さんを見て首を傾げた。
「……どうかしました?」
私の声にハッと我に返った葉月さんが、それでも驚きを隠せない様子で「いえ」と呟く。
お礼を言いながら小瓶を受け取った彼は、ほとんど上の空でグイッと中身を煽った。
そうして手の甲で口元を拭う仕草をひとつ。
常に所作の綺麗な葉月さんにしては珍しい。
思わずジッと見ていると、視線に気づいたのか葉月さんは恥ずかしそうに笑った。
「すみません、お見苦しいところをお見せしました」
「あ、いえ。全然。やっぱり疲れましたか?」
尋ねながら、なにを当たり前なことをと自分に突っ込んだ。
門を閉じるたびに顔色を悪くしていた彼にする質問ではなかった。
そう思ってから、私は「おや」と目を瞬かせた。
目の前にいる葉月さんは、これまでと違ってとくに疲弊した様子が見られない。
むしろ最近見た中で一番血色が良くみえる。
呪印はいまだに彼の体を蝕み続けていると聞いていたが、もしかしたら勘違いだったのか。
そんな淡い期待を抱く私の気持ちを知ってか知らでか、葉月さんは首を横に振った。
大丈夫だと答えつつ、彼は眉間にシワを寄せて「ただ」と目を伏せた。
「少し気になることがあって」
「気になること?」
「おい、そろそろ出るぞ」
私が聞き返すのと、タウフィークさんの呼びかける声が重なった。
見張り役を担っているせいで幻術の境から動けない彼が、なかなか戻ってこない私たちに痺れを切らしたのだろう。
私と葉月さんはとりあえず会話を中断し、タウフィークさんのいるところまで引き返した。
「で? 深刻な顔をしてるけど、なにかあったのか?」
タウフィークさんが訝しげに尋ねる。
葉月さんはその問いに表情を崩すことなく頷くと、慎重に口を開いた。
「先ほどの儀式は……というより、物事全般に言えることですが、壊すのは一瞬でも修復するのには多くの時間と労力がかかります。門を閉じることで何が起きているかというと、切れた縁の先を結び直して形だけ元に戻しているのです」
いきなり脈絡のない話が始まったので、私とタウフィークさんは相槌を打ちながらも目を白黒させた。
話を遮らなかったのは、ひとえに説明上手な葉月さんを信頼していたからだ。
「傍からみたら直っているようでも、実際にはまだ完全ではありません。切れた縁を本当の意味で繋ぎ直すためには神様の力が必要なのです」
私とタウフィークさんはまた相槌を打った。
話を聞いていると、どうやら月結びの儀式というのはふたつあるらしい。
ひとつは霊狐一族の扱うもので、おそらく門を開閉することを目的として使われてきた。
そしてもうひとつが神様の行う儀式で、常世と現世を繋げるためのもの。
(……ってことでいいのかな!?)
確信を持てずにいると、それに気づいた葉月さんが思案げに目を逸らした。
「そうですね……この力関係を別のものに置き換えるのなら……霊狐一族が扉を開け閉めするドアマンで、神様がその扉を作る職人といったところでしょうか」
「あぁ、なるほど」
「分かりやすいけど、その例え方は政府に怒られそうだな。まあいいけど。……いやしかし困ったな。捜索は続けているが、手がかりすら掴めていないのが現状だ。復旧はいつになることやら」
タウフィークさんがポツリと呟く。
険しい表情を浮かべる義兄の横で、葉月さんが俯きがちに口を開いた。
「いや、復旧までそう時間はかからないよ。門を閉じてから異常なほど力が湧いてくるからね」
その言葉の意味を理解するのに数秒を要した。
何度か口をパクパクさせてから、私は上手く機能しない声帯を無理やり震わせた。
「あ、あの、それって……」
「ええ。私が神格を賜りかけているということです」
言い換えると、本来の神様の存在が消えかけているということだ。
昨日の晩にその可能性については聞いていたけれど、もう少し猶予があると思っていた。
絶句する私たちを横目に、葉月さんは話を続けた。
「しかし私は、神力を蓄える器はあっても、元は有限を知るただの妖です。世界を救いたいという気持ちに偽りはありませんが、さすがに神様になるのは嫌です」
そりゃそうだと頷きながら、私は意外だなと驚いてもいた。
かつての葉月さんは自己犠牲的な一面を持っていた。
それは子供のころから向けられていた周囲の目が影響していたように思う。
とにかく、自分が我慢すればいいという判断に走ることがままあるのだ。
しかし今、葉月さんはキッパリと嫌だと言った。
他人を優先させず、きちんと自分の意見を言う姿に、私は変わったなぁと顔をほころばせる。
──といっても、そんな場合ではないので僅かに口角を上げただけだが。
「思ったより時間が無いらしいな。……まあとりあえず、お前は今のうちに結奈ちゃんと現世に戻れ」
キッと目を釣り上げて、タウフィークさんが言った。
異論は認めないと言わんばかりの表情だ。
しかし、葉月さんは困り顔でそれを拒否した。
「無理だ。できないよ」
「なんで」
「それは……」
言い淀んでから、葉月さんはちらりと私の方を見た。
言うか言うまいか迷っている雰囲気と、気遣わしげにこちらを見やる視線にハッとする。
「あっ! あの、私が聞いてはいけない内容なら、耳をふさいで聞かないようにしますよ!」
何度かこういう視線を送られたことがある。
それは決まって私に害が及ぶ可能性のあるときに向けられるものだった。
葉月さんはいつも申し訳なさそうにするが、私自身はまったく気にしていないので、気負わせないよう明るく微笑む。
しかし葉月さんはあっさり首を横に振った。
「あぁ、いえ、大丈夫です。そうではなくて……」
口をモゴモゴさせてから、葉月さんはようやく心を決めた様子で口を開いた。
「実は膨大な力が湧いてきた影響か、現世に存在する神様の目が使えるようになったのですが……その目を通して見た景色があまりにも、その……酷かったものですから」
目というのは現世にいた鯉の事だろう。
いや、葉月さんの話し方から察するに、おそらく地球上の各地に目は存在している。その全てを見たというのか。
いよいよ神様らしくなってきた恋ビトは、自分の境遇よりも現世の現状の方がよほどショックだったらしい。
口にするのも憚られるといった様子で葉月さんは話を続けた。
「現世は今、生きとし生けるもの全てが死に絶え、辛うじて土地が残っている程度です。植物が枯れ果てたことで地球上の酸素がほとんど失われています。これでは現世に帰れません」
これでは現世に帰れない。酸素が失われて、帰れない。
その言葉が何度も頭を巡っては、恐怖と混乱を伴って心臓に突き刺さった。
鼓動がいやな早まり方をしている。
瞬時に友人の顔が脳内に浮かんで消えた。
「じ、じゃあ、皆は……」
「一応まだ現世にいます。死者が通るための門が壊れていたので、魂は辛うじて地球に留まっています。寿命が残っていて、なおかつ魂が残ってさえいれば、元通りの状態にすることは可能です」
張り付く喉から無理やり声を絞り出した私に、葉月さんがすぐさま説明を入れる。
一度言葉を切ってから、彼は険しい顔つきで「ただし」と続けた。
「それは神様がいればの話。ですから、政府が次の行動に移す前に一刻も早く神様を探し出して、常世と現世の縁を繋ぎ直してもらわなければなりません」
状況はだいたいわかった。
当初の予定では門を閉じてすぐ現世に逃げかえるはずだったが、その現世はすでに生き物の住める環境ではなくなってしまっていた。
よって私たちが常世を脱出するためには、神様を見つけ出して事態を収束してもらう必要があるということだ。
「帰れないのなら仕方ないな」
同じく理解したタウフィークさんが軽い口調で言った。
そして幻術に足先を向けながら、まっすぐ葉月さんを見つめる。
その目はどこまでも力強く、凛としていた。
「さて、神様の捜索は俺たち守り屋のほうでも進めているけど、そろそろテロ活動を止めるために警備の増員をしたい。今まではハサンに丸投げしていたけど、さすがに一隊長に指揮を任せっぱなしはまずい。何よりお前は居場所の見当がついているみたいだし、神様はお前に任せることにするよ」
それはつまり、タウフィークさんとの離別を意味していた。
義兄の眼差しを正面から受け止めてうなずく葉月さんに、彼は満足そうな笑みを浮かべてから幻術を抜けた。
タウフィークさんの後に続く形で私と葉月さんも外に出る。
ほうっと白い息を吐きながら空を見上げると、門を閉じる前にはチラホラ降っていた雪が止んでいる。
私たちは無言でそのことを確認すると、顔を見合わせて笑った。
「じゃあ、またあとで。頑張れよ」
やはり軽い口調で言祝ぐと、タウフィークさんは役人の官舎がある方角に向けて歩き出した。
頼もしい背中が小さくなっていくのを見送り、私と葉月さんは元来た道を引き返す。
先ほど通った地下経路から屋敷に入り込む作戦なのである。
「さすがに万咲希くんたちは居なくなっていますかね」
「おそらく。というか、そうでないと困ります。なんというか私、身の危険を感じました」
遠い目をしながらも歩みはしっかり淀みない。
すべては世界を救済するために。はやる気持ちを抑えながら、私たちは慎重に歩を進めた。
ここまでお読み下さり誠にありがとうございます!
ついにプロットの最後に差し掛かりました。
あと少しだけお付き合いいただけますと幸いです(⋆ᴗ͈ˬᴗ͈)”




