【幕間】 薬師の卵
中秋の名月のお団子代わりに。
桃源郷の中央に位置する町、天中。
そこは各地から売り手が商いをしに集まる賑やかな場所だであった。
そして珍しいものや一流の品が並ぶところには、これまた色々な地域から買い手がやってくる。
バラの咲き誇るジャンナからも、ひとりの少年が買い物をしに訪れていた。
齢十六の若き霊狐は、知性の宿った瞳をせわしなく動かして目的の店を探す。
念のために付き添っていた義兄は、市場に着いて早々に一時解散を言い渡されていた。
「専門書の売っている通りは……こっちかな?」
少年もとい葉月は、店の看板と手書きの地図を見比べながら進んでいく。
時おり面白そうな店に目がいくが、軽く首を振って前を向いた。
養父から渡される毎月のお小遣いは、あまり物に執着のない葉月にとって十分すぎる額をもらっている。
滅多に使わないそれは、兎の根付から提げた巾着袋に入れてあった。
筆記用具を一式新調するか迷い、内揚げによって丈を調整してごまかしていた着物の買い替えを迷い、いや今日は書物を買いに来たのだと目を逸らす。
市場とはなんと罪深いのだろう。
貯めていたとはいえ、所持金には限りがある。
うっかり買ってしまわぬよう気をつけなければならない。
葉月は雑貨の売っている一帯に差し掛かり、そっとため息をついた。
最後にここに来たの五年前。今は亡き家族とともに出向き、丸一日歩き回った。
たった五年で景観が大幅に変わるはずもなく、自然とそのときの記憶がよみがえる。
たしか、父は香炉にいれる灰と練香を買い、母と姉は新作の帯留めを買っていた。
母たちは背が伸びて新しい着物を買う自分の付き添いだったはずだが、なぜかふたり仲良く小物を見ているところしか思い出せない。
茶屋で休憩を挟んでまたお店をみて、日が沈んだころに夕食を食べ、へとへとになって牛車で帰った。
そんな取るに足らない普通の思い出だ。
強いて言えば、牛車の窓から見えた満月が綺麗だったことくらいか。
(そろそろ夕飯時だし、用が済んだらタウフィークを誘ってあの料理屋に寄ろうかな。名前はたしか……鈴の音といっていたっけ)
そんなことを考えているうちに、いつの間にか専門書や学術書の店が建ち並ぶ通りに到着した。
多くの書店が年季の入った佇まいをしていて、見る人が見れば宝の山のである古い書物が大量に置かれている。
葉月はその中のひとつである医薬専門書店の前に立ち、そっとガラス窓を覗いた。
中には白髪の老爺が店番をしており、それ以外に人けはない。
意を決して中に入ると、店番をしていた老爺が目尻にきゅっと皺を寄せて微笑んだ。
「いらっしゃい。ゆっくり見ておいで」
その言葉に丁寧に会釈を返してから、隅から隅までびっしりと置かれた本棚に目線を移した。
興味の引かれた本は実際に手に取ってみて、内容を確認していく。
一通り見た後、葉月はようやくお目当ての本を探すべく本棚の上に張られた紙を見上げた。
探しているのは来年の2月に行われる国家試験の問題集だ。
常世にはしっかりとした過去問が存在しないので、国家試験レベルの参考書を選んで学ぶ必要がある。
幸いなことに葉月の住むアルミラージの屋敷には図書室があるので、薬学書や医学書はもちろん入っている。
怪我の絶えない役職ゆえに、外傷に関するものがほとんどだが、学ぶことは多い。
漢方についての書もいくらかあった。
けれど、そのどれもが国家試験の受験者に向いている内容ではなかった。
置いてあった本は全て読んだし、分からないところは医療班の先生に頼み込んで教えてもらったが、やはり試験に特化した本を買うべきだと判断して、ここに来た次第だ。
(ええと、試験の参考書は……あった、この区画だ)
ずいぶんと奥まったところに、その本棚はあった。
驚いたことに、棚の前には他のお客さんがいた。
同い年くらいの少年で、金の髪をゆるく編んで横に流している。
他の棚に囲まれているような場所にあったので、どうやら気づかなかったらしい。
葉月は真剣に本を読み比べている少年の邪魔をしないよう、静かにその隣に立った。
辺りはシンと静まり返っており、紙をめくる音だけが響いている。
何冊か候補を決めた葉月は、ひとつ頷いて、開いていた本をパタンと閉じた。
(やっぱりさっきの本が一番分かりやすかったな。こっちも捨て難いけど、あれにしよう)
持っていた本を棚に戻し、そのまま左手を目当ての本に伸ばす。
背表紙に指先がついたとき、その手に隣の少年の手が重なった。
「あっ」
「……失礼した」
驚く葉月に、少年は目を丸くしながらも慌てて手を引っ込める。
参考書は数冊置いてあるというのに、まさか同じものを手に取ろうとするなんて。
顔を見合わせて、ふたりは気まずそうにそっと目を逸らした。
そのとき、静かな店内に溌剌とした声が放たれた。
「まあ! 可憐な少年少女だこと!」
びくりとふたりの少年の肩が跳ねる。
何事かと振り返ると、長身の青年が少女のような仕草ではしゃいでいた。
彼の目線の先にあるのは葉月と隣の少年だ。
「って、あらやだ! よく見たら男の子じゃないの。ごめんなさいね、きっと疲れ目だわ」
やれやれと頭を振ってから、男は気を取り直して少年ふたりに笑いかけた。
「私の名前はゆずき。あなた達は兄弟弟子かしら?」
人懐っこい笑みを浮かべながら尋ねる男に、葉月と金の髪の少年はそろって首を横に振った。
「いえ、私は自分で学んでいます。たまに守り屋の医療班の方に教えてもらいますけど、特定の師はおりません」
「俺も自分で。かかりつけの先生に質問したりはしますけど、もう歳だから弟子はとらないと先回りされてしまいました」
情報がほしい一心で、少年ふたりは聞かれてもいない自分の境遇をペロンと話した。
男はそのことに嫌な顔せず相づちを打ち、困り顔を浮かべながら頬に手を当てた。
「あら、二人とも独学でやっていたの。それは少しきついわね。薬学の知識はたしかに本で学べるけど、問題の傾向は師匠からの口頭伝承が主なのよ。私が教えてあげたいところだけど、問題の作成に携わっている以上、それは無理だし……」
困ったわねぇと言いながら、彼は意味深な視線を少年たちに投げかける。
「私に出来ることといえば……そうねぇ、紹介できる薬師を見繕うくらいかしら。何名かいるけど、どう?」
言いながら、男はニコニコと目の前にいる薬師の卵を眺めた。
どちらも賢そうな顔をしている。
何より見目麗しい。これは将来が楽しみだ、と思ったところで、金の髪の少年が口を開いた。
「お気遣い感謝します。ですが俺は独学で最後までいくつもりです。どうせ薬師になれば全て覚えること。必ずや自力でやり遂げてみせます」
少年はそう言うと深くお辞儀をして踵を返した。
去り際に、先ほどのものとは別の参考書を本棚から取り出し、会計を済ませると男に一礼して店を出ていった。
あまりの早業に呆気に取られていた葉月も、ハッとして男の方を向いた。
「私もお気持ちだけいただきます。あのようなことを目の前で言われて、じゃあ私だけというのも癪なので」
そう言い切って、葉月は少年の行動をなぞるように同じ本を買い、一礼して店を後にした。
選んだ本は、最後まで悩んで棚に戻した一冊である。
「あらあら、ムキになっちゃって」
男は指先を口元にあててクスクス笑った。
そこに呆れや嘲笑は一切なく、ただひたすらに母親のような温かい眼差しを向けている。
「大丈夫ですかねぇ、あの子たち。いくら何でも、あの難関な試験を自力で合格するのは厳しいでしょう。ゆずき先生、今からでも師を付けてやったらどうです」
カウンターにいた老爺が、ヨタヨタと店の窓際に向かいつつ言った。
ガラス窓の向こうでは、先ほど出ていったばかりの白き少年が、アルミラージの青年と何やら話している。
少年は大事そうに本の入った紙袋を抱え、うさぎ耳の青年の袖を引っ張っている。
青年のほうが嬉しそうに頷いて、満月の見守る中、徐にふたりは食事処のある方へ向かっていく。
その様子を何ともなしに眺めていたゆずきは、老爺に視線を移して茶目っ気たっぷりに言った。
「きっと大丈夫よ。だって、さっき二人が買っていった参考書、とても良いものだから。ある程度の知識がないと買うに至らない代物。そうね、もし私が自分の弟子に渡すとしたら、私もあれを選ぶと思うわ」
「そりゃ、先生が執筆した本ですからねぇ」
歯に衣着せぬ物言いをしてから、老爺は「もっとも」と目を細めて笑った。
「彼らもはじめから候補には入れていたようですが。先生が問題作成に関わっているとおっしゃるから、そちらにしたのでしょう。少なくとも地頭は良いと見た」
それから1年後。
歴代最高点を叩き出した少年が2名、新たに薬師として仲間入りした。
驚くべきことに、その2名はほとんど独学で試験を突破したという。伝説のような、そんなお話である。
本当は当日アップする予定だったのですが、間に合わなかったので翌日の更新になりました。無念(><)




